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『アナログの逆襲 −旅行記』前編

「彼らは何もわからない」

そう思っていた。だからこそ、外見を取り繕って、草木染めを用いた老竹色のスーツを特注した。時代に反して、無駄に良い素材を使った契約書も作ってみた。だが、全て無に帰した。
私は今日、世界の原理かもしれない事実を知り、世界への希望を失った。

21xx年を生きた人物の旅行記をゆっくりと読み進める。

13.Jan.21xx(☁︎)

 世の中は恐ろしく透明になった。
 何もが透けて見えるくらいには、至る所に監視の目がある。衛星システムのレベルが格段に上がり、2000年代前半に発展途上国と呼ばれていた国々が、衛星システムやそれらを用いた情報技術の業界において、発展しすぎて困るほどのレベルに達した。無論、監視の目を背けるための情報バリア技術も非常に発達している。
 ちょうど一年前の1月13日、ようやく、巧みに構築されたバリアシステムを突破して、私たちはとある島国を発見した。その島国は、今や世界一の情報技術を誇るインドネシアに帰属する。インドネシアでは、2020年以降に生まれた新生児に「UP(Universal Program)」と名を打った教育を施していたそうだ。これは、世界中でトレンドとなっていた情報技術の競争に遅れをとらないよう、先例のインドを追いかけて試行されたプログラムらしい。それが功を奏し、UPの恩恵を享受した世代が活躍を収めた。その結果、インドネシアは瞬く間に世界一の情報技術を誇るようになった。
 そんなインドネシアが背景にいる噂の島国を、私たちはとうとう発見した。だが、その島国を噂に聞いてから発見に至るには相当の時間を要した。情報バリアシステムを突破するためのシステム構築に約7ヶ月、実際に使い出して改善を重ねること約3ヶ月。のべ、約10ヶ月を要したわけだ。

(今どき、こんな時間のかかるプロジェクトなんて、、、)

 そう思いながらも、なんとか他の国を出し抜いて、発見に成功した。
きっと、今も血眼になって探し回っている輩は世界中にたくさんいるだろう。

 そうそう、行きつけのアイリッシュパブで耳にした"とある噂"を先に記しておかないと。

"その島国には、周りの国と通じ合う術がない。同時に通貨という制度もないらしい"

 ここだ。本でしか見たことのないアナログ世界を味わえる場所がまだある。私の心は躍った。当時の日記にはこう書いてある。

13.Jan.21xw(☀︎)
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今日は、私の人生において生きる意味が見つかった日になるかもしれない。いつも通り仕事終わりに立ち寄った『Bush』で、ある噂を耳にした。

"その島国には、周りの国と通じ合う術がない。同時に通貨という制度もないらしい"

冬の曇天から、雷が頭に降ってきたようだった。探し求めていた時代がそこにはあるかもしれない。神は、私を創る時代を間違えたのだとばかり思っていたが、かろうじて、そうではないという希望が湧いてきた...

 私は今も、この日のことを鮮明に覚えている。何もかもが透けて見えるほどデジタル・情報に溢れた世界で、そんなアナログ文化を持つ島国の存在があると知った時、心に一滴の希望の雫が生まれた気がした。その雫は、驚くほど透明であるはずだが、同時に屈折による反射光でその透明さを確認できない。
 かつて、宝石の主流であった"ダイヤモンド"のように。

 そして、ついに私は同じ仕事仲間で「アナログ好き」な3人とともに、その島国を発見することに成功した。あとは、、、時間との勝負だ。プロジェクトの進行中には、気合を入れて、今流行りのオーガニックスーツをオーダーした。今どきの染料は、全て自然の産物を使う。1856年にロンドンのウィリアム・パーキン博士が化学染料を偶然作り出したところから、約300年。今では、化学染料は「体に害悪だ」という理由で、使うことを政府より禁じられている。今回、私がオーダーした老竹色のスーツは、柘榴の実の皮を乾燥させた染料を用いているらしい。
 無事届いた老竹色のスーツを着てみたが、その色味に優しさは全くない。鏡を覗くと、植物の苦痛が移ったのかと思うほど、険しい顔が映っている。
まあ、何はともあれ準備は整った。

 今や、全世界を地下で繋ぐリニアモーターカー「World linear」を用いれば、インドネシアまでは7時間もあれば到着する。同志たちも、既に出発の準備は完了しているとのこと。私たちは、翌日の切符を早速手配することにした。
「World linear / BOUND FOR JAKARTA / AM 7:45」
 到着予定は、明日PM 2:15。

14.Jan.21xx(☁︎)

 昨晩からの時間がどれだけ長く感じたことか。頭の中で、羊が囲い柵に引っかかってはこける。それを不服そうに見ている夢の中の私。それともう一人。そういやあれは誰だったんだろう。

 AM 7:45のWorld linearに間に合うよう、AM7:00には私をはじめ全員がバーミンガム・ニューストリート駅に集まっていた。風が強い。相変わらず天気も曇りである。3℃の冷たい空気にさらされながらも、私たちはとても季節に不似合いな格好をしている。寒さと人目を避けるように、私たちは駅に入った。駅の半地下には国内を巡る鉄道があり、さらにその一段階地下に潜るとWorld linear用の駅がある。

 リニアに乗り込んでからは、本当にあっという間だった。リニアの中には、朝早いので寝ている者もいれば、最近流行りのコンタクトレンズを通じたバーチャル・ゲームをする者もいる。しかし、私たちは誰一人としてそういった「流行り」の最新機器に興味は持たなかった。それぞれ、睡眠、日記や小説、新聞を読むなどして、リニアでの7時間を過ごした。私は、どうも感情が落ち着かなかったことを覚えている。10ヶ月もの期間をかけて訪れる場所について、「ある噂」しか情報がなかったからかもしれない。それでも、かつての当たり前、それでいてイマの生活には無いアナログを探す旅の第一歩を踏み出したことに嬉しさを感じていた。

 到着後は、不似合いだった格好がさらに不似合いで、ジャカルタにはうまく溶け込めていない。それくらいに蒸し暑かったため、すぐに上着とクルーネックセーターを脱ぐ。
 ジャカルタに到着後は、南のバンドン(Bandung)まではバスで移動した。東南アジアは、情報技術発展とともに大繁栄を遂げた地域である一方で、その裏に地方との格差が生まれた地域でもある。バンドンで乗ったバスには、初めて見るメーカーロゴが付いている。調べてみると、かつて日本の主要メーカーだった自動車メーカーのロゴのようだ。"ここにはまだ、あの頃の血が流れている" そう感じた。

「ザザザ・・・」

 何か変なノイズのような音が耳に流れる。一種の耳鳴りだと言い聞かせ、気にしないように無理やり睡眠の格好を取る。

 バスは想定内の渋滞に捕まり、到着したのは予想とニアピンのPM6:15。今日はバンドン周辺にあるゲストハウスに駆け込み宿泊することとなった。えらく豪勢なゲストハウスは最後の晩餐を思わせる。明日は、海を渡り噂にしか聞いたことのない島国へと向かう。

15.Jan.21xx(☀︎→☔︎)

 明朝、祖国では滅多に見かけないスズメの鳴き声を目覚ましに、目を覚ます。朝ごはんは、ハムとエッグをガスで調理する。初めて使うガスコンロに四苦八苦しながらも、動画を見よう見まねになんとか朝食を作り終える。その後、4人で向かった先はバンドンよりさらに南の港街サントロ。そこからは、手当たり次第に船乗りに声をかける作戦だったのだが。声をかけた一人目の船乗りが、喜んで私たちをその島国へと連れて行ってくれるとのこと。ここはまだ、英語が通じる。そして、通貨が必要であった。おそらく、そのためにすんなりと乗せてくれたのであろう。通貨の存在感は一向に消えない。

 船乗りは、その島国へと近づきすぎることを恐れていた。その島国には、聞いている限り、近寄ることを禁じるためと思われる奇妙な噂が流されていた。「ちょっと待ってて」そう言って約10分経った頃、彼は3人の友人と小さめの木舟を持ってきた。「途中からはこれで」それだけを伝え、私たちをボートに乗せた。思った以上に近くまで連れて行ってくれたことに胸を撫で下ろす。
 約2時間経った頃だろうか、ボートに乗ってからが長かった。私は船に乗った事がなかった。そして、今にも嘔吐しそうだったことを記憶している。船が止まった場所からは、遠い目にミジンコほどの島が見えた。恐らく、あれが噂の島だろう。それは、船乗りが木舟をおろしている姿から容易に想像ができた。
 私たちは船乗りに礼を言い、四人でその木舟を漕ぎ進めた。時刻はわからない。時計をはじめ、あらゆる電子機器は島に来る前に捨ててきた。日が昇りきっておらず、おそらく午前中であることは推測できた。

 木舟を黙々と漕ぎ続ける私たちの腕を、筋肉痛がじんわりと襲う。だが、私にとってはその疲れがとても心地よかった。
 島には、船着場などはない。木舟はそんなに頑丈ではなさそうだったため、砂利に乗り上げない位置で降りた。そこからは木舟を連れて、泳いで島まで向かった。

 泳ぐ私たちの目に飛び込んで来たのは、鬱蒼と生い茂るシダ植物とヤシの木。気温だけでなく、生息する植物までもが非日常を感じさせる。疲れ切った腕にもう一踏ん張りだと言い聞かせながら、海岸へと泳ぎを進める。
 すると、鬱蒼としたシダをかき分けて、背の低い子どもたちが海岸へと出てきた。彼らは全裸で、何か首飾りをしているようだった。子どもたちはキョトン、と私たちを見つめている。表情までは見えなかったが、動きが固まっていた。その直後、ルアーナマントのようなカラフルな服を羽織った大柄な男女が姿を見せた。直立不動である。

 私たち四人は目を合わせ、海岸まで行くかの話をしかけたところで、帰る選択肢はもうないことを思い出す。私たちは意を決めて、海岸を目指した。

後編へ続く


語彙説明

ルアーナマント

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