発信とは「問うこと」かもしれない
あれは何の涙だったんだろう。
昨日、上智大学の学祭に行ってきた。
母校ではないが、久々に大学のキャンパス内に足を踏み入れ、学生気分を味わうことができた。
ここへ来た理由は、どうしても会いたい人がいたから。
哲学者の永井玲衣さん。
『水中の哲学者たち』を読んで、哲学の身近さと面白さに衝撃を受けた。
先日観た映画も、永井さんのコメントが決め手だった。
永井さんが上智大学哲学科のOGであり、学祭で講演会が行われると知って、迷わず申し込んだ。
哲学ときくと、どこか小難しく、縁遠いもののように思われる。
しかし、永井さんが考え、実践されているのは、もっと身近なものだ。
永井さんは、現代社会に「きく場所があまりにも少ない」という課題意識から、「哲学対話」の場作りに取り組まれている。
哲学とは「問い」であり、対話とは「聞く」ことである。
永井さんの哲学対話では「手のひらサイズの問い」が大切にされている。
今回のイベントでは、書くこと、きくこと、話すことの、3つのテーマについてお話を伺うことができた。
「きく」のように、あえて漢字ではなく、ひらがなを使うことで、意味の広がりを持たせるなど、書き手として参考になるお話もあった。
特に印象的だったのが、「自分とは意見が違う人、理解できない人とどう対話するのか」について。
大切なのは、そもそも「意見が同じとは?」を考えること。
共感すること?
自分が言いたいことを代弁してくれること?
1人として同じ人間はいない中で、全く同じ意見であるということは、むしろ不自然。
意見が違うことを前提として、他者から学んだり気づきを得ようという姿勢で、「きくこと」が大事だと感じた。
自分1人では行き止まりだと思っていた問いも、他者の視点に触れることで、「出口」が見つかることもあるという事実は、「希望」である。
そんなお話を聞いていたら、目にうっすらと涙が浮かんできた。
自分の中で抑圧されていた、心の叫びのようなものが呼び起こされたような気がした。
発信においても、自分の意見を表明しようとすると、批判に対する恐れが生まれて、言いたいことが言えなくなってしまう。
読者に問いを投げかけ、対話するようなイメージを持つことで、もっと気楽に発信できるはず。
あなたはどんな「問い」を持っていますか?
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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