見出し画像

だから私は「理由」を書きたい

人はみな違う。

この世界に1人として同じ人間はいない。

それなのに、どうして同じように見えてしまうのだろう?

本音と建前

「志望動機を教えてください。」

面接の定番質問だ。

あなたはこの質問に対して、どう答えるだろう?

真っ正面から100%本心で答えられるだろうか?

「本音と建前」

この場面のゴールは、面接官に好印象を持ってもらい、面接試験を突破すること。

だから、本当の動機を伝えるより、建前であっても、簡潔でもっともらしい回答をしようとする。

その結果、回答がみな似通ってしまうという現象が起きる。

この質問をする意味はどこにあるのだろう?


理由には独自性がある

哲学者・永井玲衣さんの『世界の適切な保存』を読んでいる。

先日講演会に参加し、永井さんの基本的な考え方は理解したつもりだったが、この本はどうも難解で奥が深いと感じている。

本の中で気になったところを紹介する。

思うに、わたしたちの主張はきわめて似通っている。
「幸せになりたい」「平和がいい」「よく生きたい」「よいものはよい」。
なぜこんなにも分断しているのかわからないほどに、主張はほとんど一緒なのだ。
だが、私たちは理由が異なっている。
その主張を支える合理性がばらばらである。
そこにこそ、悲劇と可笑しさがある。
経験、思想を重たく背負った結果の、そのひとの独自性がある。
 今日もどこかで「それじゃ筋が通ってない」と誰かが、誰かの考えを判断している。
非合理性という評価が下されているかもしれない。
だが、どんな考えにも合理性はある。
それが聞き取られることには価値がある。

『世界の適切な保存』p.39-40


だから私は「理由」を書きたい

これまでの投稿の中で、最も多くのスキをいただいたのが、下記の自己紹介記事である。

自己紹介投稿は、応援の意味でスキが押されやすい印象があるし、プロフィールに固定していることで、多くの人に読んでもらえているのだろう。

それだけでなく、「理由」について掘り下げる内容を書いたことで、自分の独自性や魅力が伝わったような気がする。

「なぜ岡山から愛知(名古屋)にやってきたのか?」

「なぜnoteを始めるのか?」

その理由に私のキャラクターが詰まっている。

結論だけ書くこともできるけど。

「理由」を伝えることは、私が書く意味であり、生きる意味でもある。

だから私は「理由」を書きたい。

たとえ誰かに「それじゃ筋が通ってない」と思われたとしても。

「そんなしょうもない理由で?」と思われたとしても。

しょうがないじゃん、それが私なんだから。

私はあなたの「理由」が読みたいです!



毎日投稿2ヶ月継続中です!

下記の有料記事を11/17まで特別価格で購入いただけます。


最後まで読んでいただきありがとうございました。




いいなと思ったら応援しよう!

HARUKI
よろしければ応援お願いします!いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!