ネバーランド
ユリイカ 9月号 第54巻 第11号
「今月の作品」佳作
風呂に入っていない足裏を意識する
空気を踏んでるみたいな感覚がして
シャワーのあとと違う
見えない温みが纏わりついている
雨の少ない梅雨
くる日も降りそうで降らない白い日差しとサウナみたいな六月
気圧が下がって関節の滑りを悪くして
ぱりっと敷いたばかりのシーツに
風呂に入っていないまま
今日は横になってみる 今日も
基本的には惰性でやってきているのであり
がんばれば必ずそのぶん後ろに振れる
脳みそに鞭打って動かした体から
かいた汗まで流し落とす余力を探しながら
後ろから 終わっていないもののうちどれかの所から 名前を呼ばれるかもしれないスリルが
背中の皮膚をくすぐっている
雨上がりの匂い
鮮やかになった庭園の薔薇のみち沿い
囲んだ芝生の中心に池
表面に目を凝らして
小波と同じ色をして泳ぐ
無数の丸々としたおたまじゃくしをみる
成体のカエルよりもよっぽど恰幅のいいおたまじゃくしども
足はいらないと
足がなければ洗う足裏もなく
追っ手からもひらりと
締め切りからも 期待からも
関節の軋みからもするりと
つとめからも
ちゅるりと 同じ色の池の水をまとって
逃れることができる
きっと足から生えてくるなら
足裏を洗うための器用な腕や指先は追いつかず
途方に暮れて 池の中心をめざす
息継ぎに上がってこなくても見なかったことにしてほしいと思いながら
空気を踏まず 汚れずに
モスグリーンの水が黒く 遠ざかっていく場所まで
カエルに嫁入りでもして 足は魔女に売り
梅雨の気圧の知らない区画へ
みんながかわいい大人になって
楽しく跳ねていったり
人間に戻っていったりしても
池の芝生の庭園のなかから
優しい目で見守りながら
泡になるまで
足裏の汚れも気にならず
シャワーにも入らなくていいなら
そういう幸せもあるかもしれない
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