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音楽留学自体を失敗した話

こんにちは、ドイツに音楽留学しているバイオリニストのハルカです。

世の中、留学を成功させた話には溢れているけど、留学自体が失敗だった話ってなかなかないですよね?

今回、自分の中でもふんぎりがついたので色々話していきたいと思います。

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今だから言えることだが、私は一度、音楽留学を失敗した。音楽留学をして何かを失敗したのではなく、音楽留学自体が失敗だった、と言える人生の1ページがある。誤解してほしくないのだが、ウィーンは音楽留学に最適な場所である!私のようにタイミングや選択を見誤らなければきっと素敵な留学生活を送れるので、ウィーンに留学したい人はそのまま頑張ってほしい。

ということで、他人の不幸は蜜の味?人のふり見て我がふりなおせ?反面教師にして読んでください。泣

ちなみに今ドイツに留学しているが、人生で一番幸せな日々を送っている。これも一度留学を失敗したからこその喜び一入といったところだろうか。とにかく今は本当に毎日が幸せである。

2016年は本当に地獄で、留学させてもらえなかった絶望と並行して、家族のことは家族でしか解決できないことへの絶望で毎日楽に死ねる死に方を検索していた。私に近しいひとはみんな事情を知っているが、私を生かしてくれた友人たちや、血の繋がりのない大人たちに感謝だ。私は2016年に本当は一度死んだと思っている。


最初から最後まで観光客だったウィーン留学

場所が悪いのではない。ウィーンは最高に素晴らしい街だし、今でも大好き。ウィーン留学を成功させていた友人たちを今でも尊敬している。町中に世界遺産や世界一美しい〇〇という建造物に囲まれて、ベートーベンやモーツァルトをはじめとする有名な音楽家たちを身近に感じながら、毎日オペラ座やコンサートホールで一流の演奏が聴ける。そんな中で生活できることを成功と呼ぶ人もいてもいい。

でも、

私から見て留学成功している人
はこんな人たちだった

・定期的にコンサートがある
・尊敬する先生から目から鱗のレッスンを定期的に受けれる
・講習会や音楽祭、コンクールにも挑戦できる
・同年代の友人たちと室内楽を組み切磋琢磨できる
・いろんな教授のレッスンを受けることができる

ドイツに住んでいる今、上記のことを難なくクリアできた。でもウィーンに住んでいる時はこんな簡単なことすらできなかった。理由は後述で。

だから、当時できることと言ったら、ウィーンに住んでいることを思う存分楽しむことだった。友人たちは私のことをきっと観光客だなと思っていたと思うし、私も留学という名前の観光だったと思う。でも、そうやって自虐的に切り替えるしか自分を保てなかった。


【留学失敗①】27歳は学生扱いされない

私は27歳で留学することになった。本当は23歳で留学する予定だったが、親から反対されどうしても留学させてもらえず、泣く泣く諦めて当時は日本に留まった。当時ハラスメントを受けていた大学院を卒業することになり、人生のロスタイムと私の経歴に傷がつくことに落ち込み、精神的にも荒んで本当に人生でどん底だった。「あなたの人生なのに!」と言われるが家庭には家庭の事情がある。

そして、大御所の先生との出会いからウィーンにいる教授と繋いでもらい、そのおかげで留学への道筋ができた。親が理解してくれるまでに、とても時間がかかった。

もちろんウィーンには30歳近くでも学生はたくさんいるし、一般的なことである。でも、30歳近くになって初めて海外に留学として来る、というのは国立の大学ではあまり一般的ではない。修士課程やその上のポストグラデュエイトを志望するならそのくらいの年齢になると思うが、早めにもう留学してずっとウィーンに居続けた人がまだ学生を続けているパターンである。

そのため、学割の恩恵がなかなか受けられず高い交通費を支払うことになった。そもそも物価が高いので割と裕福な家庭じゃないとウィーンでは長く暮らせないな、と痛感していた。


【留学失敗②】行きたい国立大学の受験資格がない

私は日本では一般大学を卒業している。大学院は音楽科のある大学院を修了した。そもそも音楽留学をする予定で人生のプランを組んでいた。だから日本では音大には進学しなかったしその旨を親にも伝えていた。2016年にドイツに留学する予定だったが親からの猛烈な反対により叶わず。23歳という学士課程ラストチャンスを逃す。

その間にも海外講習会のオーディションにも合格し受講費用免除してもらえることにもなり、留学準備のためのチャンスを自分で掴みに行っていたが「受かると思わなかったから」と親に言われて、自分でチャンスを掴んだ講習会にも行かせてもらえなかった。だから、留学のためにできる努力は全てしていた、という前提でこの話を進める。

ウィーンでは国立音大のポストグラデュエイトに挑戦する予定だった。難しいので受かるかどうかは置いといて、入りたいクラスの教授にもアポを取りレッスンも受けて、入試を受ける旨も伝えていた。

渡欧1週間前、入試ヶ月前に大学の事務局から「あなたは演奏学科を卒業していて、バイオリン学科を卒業したという証明ができない、だからあなたは入試を受けることができない」と言われた。

その頃には周りにはウィーンに行きますと言いまくり、当時のバイオリン教室の生徒たちを手放し、ウィーンの家も決めてシェアメイトも見つかってウィーン行きの航空券も買っていたので後には引けない状況だった。

つまり、志望大学を受験すらできないことから留学生活が始まった。


【留学失敗③】とりあえず音楽院に入学するが心が腐る

どの国にも音楽院がある。私立扱いなので国立よりも学費が高いのが特徴だ。授業がある音楽大学と違って、専門学校のような位置付けらしい。私の在籍していた音楽院は基本的にレッスンだけだった。でもそこではアンサンブルとオーケストラも授業もなかったので、まず音楽仲間や友達ができない。同じ門下の友人は少しできるが、やはりアンサンブルをしないのでそこまで仲良くなれなかった。

もちろん、音楽院も卒業すれば立派なキャリアになるし、本人がきちんと目的を持って在籍して上達すれば成功だ。私の友人も音楽院を卒業して音楽家として海外で生活している。

でも私は行きたい大学に行けなかったことからすでにモチベーションがなかった。また別の先生を見つけるにしてもまたアポからコネクションから留学期間をオーバーしてしまような見込みだったのでもうきてしまったからには仕方ない、身動きが取れないことを諦めて、とウィーンにとどまることにした。

とりあえず先生との相性が最悪で私の自己肯定感も削がれるし、コンクールも大きいのを受けろ、でも今のレベルでは受けたらダメだ、小さいコンクールはキャリアにならないから受けたらダメだ。とコンクールにも挑戦できなかった。

他の先生に習ったら絶対に2度とレッスンしない!マスタークラスに行くのもダメだ!ととかく地獄だった。

でも私にとって特に勉強になるレッスンではなかったのでいつまで経っても上達しないし、やりたいことをさせてもらえないし、とにかく私の心は腐っていった。

そして人前で弾くのは半年に一回のクラスコンサートだけで、日本では週1で本番があったのにその差に演奏欲求不満を感じていた。

シェアメイトの友人は国立大学に通っていて、しょっちゅうコンサートがあって、いつも音楽仲間と楽しそうに過ごしていて、コンクールにも挑戦していて、とてもキラキラしていて羨ましかった。


【留学失敗④】同年代の周りの友人たちは留学を終える歳

私が留学せず日本に留まっていた時、留学をしていた同年代の友人たちは留学を終えて、日本に戻ってきていた。そしてその仲間たち同士で室内楽のコンサートをしたり、オーケストラのオーディションを受けて日本で音楽家として活躍していた。私はまだ留学するためにどうすればいいのかずっと動いていた。そして結婚や出産、昇進など、また一つ、人生のステージを上げていた。

そういうことも踏まえて、私は人生を生き急いでいた。だから、歳をとっていくにつれて、そもそも留学は1年だけでいいやと思っていた。つまり箔つけのような経験でウィーンに行ければいいなと思っていた。でも私が本当にやりたかったことをすでに手に入れた友人たちと過ごす時間はあまりにも酷だった。

そのためドイツ語真面目にやらなかった。ドイツ語は今でもとても難しい。習得するのに時間がかかる言語だ。どうせ1年しかいないんだから英語だけでいいや、と英語しか喋らなかった。

2018年から1年間、ウィーンに留学して私が得たものは、ちょっとレベルが上がった英語力と、自分の無力さと留学成功者への嫉妬と1年分の老いだけだった。

2016年にドイツ留学行っていたら人生変わっていたのになんて不幸なんだという恨みつらみを抱えて生きていたし、今でも、コンクールの年齢制限にぶち当たった時にBAD入ってその真っ黒なドロドロとした感情が溢れることがある。幸せな今でも時折そうなのだから、たぶん、死ぬまでこうだろう。


留学が失敗か成功は自分が決めること


私はずっとやりたかったことがあった。同年代の人たちと室内楽を組むこと、コンクールに出ること、そして何を一番やりたかったかというと、オーケストラスタディを学んで海外のオーケストラアカデミーで学んで、日本でオーケストラにチャレンジしたかった。でもそれは全てできない、留学適齢期に留学できなかったからだ。私の準備不足ではなかった。だから、とても卑屈になっていた。自分の演奏にも全く自信がなかった。バイオリンをやめようと思ったこともあったが、それすらも親が許してくれないダブルバインドの最中、精神を病みつつあの地獄を生き抜いた。

自分が決断できなかったから留学が遅れたわけではなく、私の場合は親が留学を許してくれず親の判断が遅れたため、私は思い通りのキャリアが築けなかった。そういう人も世の中にはいるだろうし、自分の人生を誰かに奪われてもその人は責任をとってくれないのだ。たとえ親でも。

失った時間は何億円、何兆円積まれても戻ってこない。時間はお金でも買い戻せないものだ。

でも今は、全て自分のお金でヨーロッパに戻ってこれて、生活して、一番興味のあるバロックバイオリンを学べて、尊敬する教授や仲間たちと音楽に打ち込めて、心から幸せである。かといって、他の人たちには絶対に30過ぎてからの留学は勧めない。私のような前例ができてしまったけど、絶対に早く海外に行くこと。絶対に。

でもきっと今私は私が思う成功に当てはまっているよ、と10年前の絶望の渦中にいる私に声をかけることができていると思う。


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