ピアニストを伴奏者と呼ばないで
高校生のとき、とある著名な巨匠からレッスンを受ける機会を頂いた。
1週間ホールに通い詰めレッスンを受ける講習会。
レッスン以外にも、周辺の施設へのコンサート、最後には修了コンサートなどのイベントもあった。
その中で、受講生の先輩がソナタの公開レッスンで演奏することになり、それを聴きに行った
そのときにいつも伴奏してくださっていたピアニストの先生が、
「ピアニストのことを伴奏者と呼ばないでください」
とおっしゃった。
毎日毎日わたしは「先生!伴奏お願いします」
などといっていてとても申し訳ない気持ちになったのだが、
ソナタを弾く上で、ヴァイオリンもピアノも対等の難しさがあり、高い表現力を求められていて一緒に音楽を奏でていること。伴奏者、と簡単に一括りにされるととても悲しい、というようなことをおっしゃっていたのを覚えている。
先生の言ったそのお言葉が腑に落ちたその日から、伴奏者、と聞くとどこかモヤッとする自分がいた。
配慮の終わりは恋の終わり
私がメンデルスゾーンのピアノトリオ1番を演奏する時があった。
メンデルスゾーンのピアノトリオ、通称:メントリ。
メントリは甘い旋律とドラマティックな動きを持つ室内楽曲でも人気がある有名なもの。
当時、付き合っていた人が昔ピアニスト志望の人で、趣味でヴァイオリンも弾ける人だった。
私がメントリを弾くと言ったら彼がバカにしたような態度をとりながら一言
「ヴァイオリンは楽だからいいよね。あれはピアノが難しいんだよね〜不公平だよね。 」
別れを決めた
というかここですぐにでも別れていてもよかったくらいの発言、いや失言だ。
ピアノにはピアノの、ヴァイオリン にはヴァイオリン の、チェロはチェロの、それぞれの困難を乗り越えながら持ち味をだして歌い上げ人々の心に届けることが、どんなに大変なことか。
彼にとって一緒に演奏するヴァイオリンとチェロは自分を引き立ててくれる「伴奏者」だったのかもしれない。そんな人とは一緒に音楽したくない。
彼はピアノ譜の音数しか見えていなかったのと同じく、私の作り笑いしか見えていなかったのだろう。
ここで高校時代にタイムスリップする。
ピアニストを伴奏者と呼ばず、対等な目線でリスペクトを持って音楽を作り上げていくことの大切さ。
先生の伝えたかったことが、パズルの最後のピースのように私の心に当てはまった。
そしてその彼はパズルのピースのようにデリカシーのバグを見せてきたので別れの一面が完成してしまった。