ある、虐め
窪田藍は、高校で毎日のように虐めを受けていたが、寧ろ(なにくそ)と思っていた。登校すると、机の上に食べ残しの菓子パン等のゴミが置いてあることは良くあることだった。席に座らずに立っていると教師がお前が片付けろ、と言う。
「おかしくないですか。私のゴミじゃないのに」そう言うと「おかしいかおかしくないかはお前が決めることじゃない。教師の俺が決めることだ」と返された。頭がくらっとしたが、椅子だけを教室の隅に移動させ、膝の上でノートを取ることを一週間ほどやると、父親とようやく会えた。頼れるのは父親だけだった。
父親は医者で1ヶ月に数日しか会えない。家に帰って来る頻度はそれより高いが、同様に、寝ている時間も長い。(その父親を起こさないことが、自分の最大の存在価値であるかのように育って来た。)
父親は帰って開口一番こう言った。
「ゴミは毎日あるのか」
「そうよ」
「それなら、直に止む。毎日早起きして、朝飯の菓子パン食って、ゴミをいちいち置くほど相手は勤勉じゃない」
実際そうだった。と言うより、父親がそう言った朝に、そうだ、自分がゴミを捨てれば良いのだ、と気付き、ゴミを捨て、そのゴミの主の数人代表にツカツカと歩み寄り「捨てときましたが、何か」と相手の目を見て言った。その瞬間(全くどうでも良いわ)と思った。次の日に、菓子パンの空袋は一つに減って、その次の日に全く失くなった。
要は藍は、虐めていた相手より遥かに幸福だったのだ。その原因は極めて真っ当な父親にあった。しかし、それに最も気づいていないのは、藍自身だった。