見出し画像

第二の家族へのラブレター

シェアハウスに、3年ほど住んでいる。
正直、住み始めたときはこんなに長く住み続けるつもりはなかった。
他人と一緒に生活するのは、楽しさよりも息苦しさや窮屈さが勝るイメージがあったから。

人と一緒にいる時間は賑やかで目まぐるしい。刺激的で発見に富み、人生に深い感情の波を与えてくれる。
一方で、私にとっては、自分のペースを乱され、心に多くのノイズが入り込んでくる時間でもある。コントロールが利かなくて、予測不能。それが時に大きなストレスを生む。

だから、孤独な時間が私の人生には必要不可欠だった。
乱れたペースを取り戻し、自分のテンポで呼吸ができる時間。ノイズが一気に消えて、静かにひとときの自由を味わえる、平穏な時間。

シェアハウスに住んでしまうと、その均衡が崩れてしまう気がして怖かった。
四六時中他人に縛られて、自分を見失ってしまうのではないか。他人のノイズでいっぱいになって、自分のペースで生活できないのでは...。

そんな不安を抱えながら、それでも自分の好奇心の強さに勝てずに住み始めたシェアハウス。
気づけばシェアハウス生活も4年目に突入している。それくらいに居心地の良い場所だった。そして、私の人生を大きく変えてくれるきっかけとなった場所でもある。

シェアハウスのおかげで、常に何かに急かされるように走り続けていた私が、自分のペースでゆっくりと歩くことができるようになった。
自分らしくのびのびといられる時間ができ、心が豊かになった。
想像していたのと、まるで逆の変化が起こったのだ。

私の人生に大きな恩恵をもたらしてくれたシェアハウスについて、もう少しお話させてほしい。

────────────────

3年前、シェアハウスに住むと決めたときのこと。
私は当時、化粧をしないと怖くて外に出られなかった。
それほどまでに、すっぴんの、ありのままの自分に自信が持てなかったのだ。
人の目に晒すのが怖くて仕方がない無加工の自分。
化粧はそんな自分を丸ごと隠してくれる鎧のようだった。

自分を晒すことへの恐怖は、3年前から急に現れたわけではない。幼い頃から、私はずっと人の目を恐れて生きてきていた。
私は不完全だから、努力して成長し続けないと許されない。そんな切迫感をずっと心の奥に抱えていた。
もっと周りの求める自分にならなければ、相手の求める自分にならなければ。
そうやって周りの表情を窺って、自分の行動の答え合わせをする毎日。
答え合わせの結果が不正解だったとわかると、今すぐに消え去りたいくらいの恥ずかしさと恐怖心に襲われた。

そのうち、思想も感情も言葉も、人に見せる前に自分の頭の中で正解から外れていないかをチェックする癖ができていた。
常に人の顔色を窺い、正解を探すアンテナを張っているので、人と一緒にいると途方もなくエネルギーを消費してしまう。

だから、私は他人と長時間一緒にいるのが大の苦手だった。
友達とのお泊まりは決まって寝られないし、修学旅行は1日目でヘトヘトになってとても楽しめない。

しかも、そんな自分の心の疲れに私は長らく無自覚で、自分は人といるのが好きだと思っていた。
本当は、人が怖いなんていう自分の「不正解」の部分に気づかないふりをしていたかっただけなのだけれど。

その無自覚さと、常に誰かといなければ除け者にされるのではないかという恐怖心から、私は人といる時間を増やし続けた。
それはつまり、本当の自分を隠す時間が増えるということだ。
こうして、私と人との壁は歳を重ねる度に分厚くなっていった。

就職して仕事を始めてから、そのスピードはさらに加速することになる。

会社に入ると、「社会人だから」という理由で守らなければいけない決まりや規範が増えた。
人と会うときは必ず化粧をしましょう。先輩よりも先に休みをとってはいけません。個人の幸せよりも売上が大事です…。
そんな社会の正解と自分の正解が対立する場面で、私は常に社会の正解を優先し続けた。
それはつまり、自分を否定し蔑ろにする行為でもある。そうやって、無意識のうちに「私の価値観は間違っている」と自分に刷り込んでいった。まるで呪いのように、少しずつ。
化粧はまるでそれを象徴するかのような作業だった。
そうしているうちに、気づけばすっぴんで外に出られないくらいに、ありのままの自分に自信がなくなっていたというわけだ。

─────────────────

そんなとき、シェアハウスに引っ越した。
友人は1人もいない、赤の他人同士が集まって生活しているシェアハウスだ。

当然、引っ越した当初は、家でも必ず化粧をしていた。
しかし、家の中でいつも化粧をしていることへの言い訳を用意するのが苦しくなり、おそるおそるすっぴんでみんなの前に出ていった。
すると拍子抜けすることに、ほとんどの人が私がすっぴんであることに気づかない。
その上、すっぴんに気づいたごく一部の人からは、むしろ「いいじゃん!」と賞賛されてしまう始末。
私にとっては相当自分を醜く見せていると思っていたそばかす、毛穴の開き、目の下のクマが他人にとってはこんなに些細なものだったなんて!
そう思うと、なんだか自分を取り繕うのが馬鹿らしくなってしまった。

そしてそれは化粧に限った話ではなかった。

片付けが苦手なところ、自炊ができなくてコンビニ弁当ばかり食べているところ、忘れ物が多いところ…
時間が経ってボロが出るほど、必死に隠していた自分の「ダメな部分」が出れば出るほど、皆はそんな私を掬い上げ、向き合い、認めてくれた。
それまでは相手の声ばかりを優先していたから、
自分のできないところや変なところを否定し、存在しないかのように扱っていた。
自分の意志や気持ちが存在することにすら気付かないことも多々あった。

でも、シェアハウスでは、私が無視していた心の声を、周りが率先して聞いてくれた。言語化し、存在を認め、反応を返してくれた。
おかげで、私は少しずつ自分の心の声を聴くことができるようになっていった。

気づけば、ありのままの自分を真っ直ぐに見つめて肯定できるようになっていた。他人を自分よりも優先することも少なくなった。
化粧をしなくても、外に出られるようになった。

────────────────

思うに、誰かの正解を伺いながら生きるということは、自分が人生の主導権を握れていないということだ。
恥ずかしいから片付ける、変だから化粧をする。
そうやって私は自分の人生の主導権を他の誰かに明け渡してしまっていた。
いや、生活だけではなく、私という人間全てを常に他人に委ねて、どこか他人任せで生きていたように思う。
でもシェアハウスで、自分の心の声を聞けるようになってから、気づいた。
私の人生は他の誰のためのものでもなく、自分自身のためにあるものだと。
この世には、今まで私が思っていた以上に自分で決めていいことがたくさんあるのだと。
片付けも、料理も、化粧も、自分が心地いいからやる。恥ずかしいからでも、義務だからでもない。

他人にどう思われようと、自分が心地よい選択をすること。
私の人生は誰のものでもなく、自分自身のものであること。
その言葉の意味がようやくわかって、私と他人との間にあった大きな壁は消え去った。
私ははじめて私を生きられるようになった。

私にとってのシェアハウスは、真の意味での多様性を教えてくれた場所。
自分の人生を生きることを教えてくれた場所。

よくよく考えれば、偶然同じ時期に同じ住まいを選んでいただけの関係性。
血のつながりがあるわけでも、自分で一緒に住むと決めたわけでもない。
それでも、たくさんの愛で私の人生を大きく変えてくれたあなたたちを、
私は第二の家族と呼びたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?