あなたも「本当は違う」と思っていませんか? #センセイを捨ててみる。
記事を読み、率直に「そう」おもいました。
不登校は「問題」ではなく「現象」である、ということです。
だから、不登校の生徒を”学校に来させよう”としても、どうにもなりません。子どもにとっての「本当の問題」が、解決していないからです。
その「問題」は、生の本質であり、子どもの生活に根ざし、いつも子どもたちの頭から離れないものです。
記事の趣旨としては、「学校でもなく家庭でもない、多様な3rdプレイスの存在を知り、そこに身を置くこと」を提案しています。
もちろん、この方向性を模索することには、私も賛成です。「安心できる場の提供」は重要ですし、何より、「多様なコミュニティに所属していること」自体が、リスクマネジメントとして機能すると思うからです。
とりわけ、子どもたちにとっては大きな意味を持ちます。固定的な価値観に縛られないことは、逃げやすさ、生きやすさ、人生における展望の抱きやすさに繋がります。
いえ、私たち大人でさえも、そういった場を必要としているんじゃないでしょうか。「あちらがダメなら、こちらに行こう」。そういった思考や行動をシンプルに選択できれば、誰にとっても人生は今よりずっと、輝くと思います。
3rdプレイスを探しあぐねている、それ以前にそういう発想を持てない子どもたちをなんとかしたいと思うなら、同時に大人が感じて、動くことです。
もう一つ、言いたいことがあります。
それは、「表面的な問題にフォーカスするのは、もう止めよう」ということです。
上記に掲載した具体的な問題には、それを引き起こした根本的な課題があります。私は教員なので実感として分かるんですが、問題行動の背後には”そうせざるを得なかった、やむにやまれぬ子どもたちの思い”が隠れていることがほとんどです。
そういった根本的な課題というのは、だいたいデリケートかつシリアスであることが多く、簡単に介入を許さないような側面を持っています。
ですが私自身、30年に及ぶ教員生活の中で、そういった辛い状況にある生徒の置かれている状況を、変えることができませんでした。介入できる問題ではないにせよ、「本質はなんだろう?」と考えるようになったのは、おそらく30代後半以降からです。
3rdプレイスは、もちろん必要でしょう。
ただ、学校は、まだできることがあります。
それは、「問題の本質について、考え続けること」。
表面的な問題行動への対処や形式的なサポートをやめ、苦しい状況にある生徒の心の底をすくいとってやることが大切です。
そのために学校ができる最速最短は、従来の学校教育が広めてきた陋習を捨てることです。これだけで、かなりの数の生徒が救われると思います。