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補欠でも喜べるんだぞ

ここまで色々あった五輪。それでも、日本が勝てばとてもうれしいし、外国のチームでもみてる人を虜にするシーンはたくさんあった。

ちなみに、バスケ3x3の男子決勝はその一つ。縁もゆかりもないラトビアを応援した。

自分はスポーツは楽しければ大満足なので、正直部活で真夏に水を飲まずに練習した野球部時代とかは楽しさより辛い印象が強い。

それより高校時代に(高校に部活制度がなかった)、一緒に住んでいた2人と毎晩団地内のボロボロのコートでバスケして、帰りに激安アイスを食べるルーティンの方が、スポーツの思い出として自分はずっと楽しかった。

そんな軟弱なスポーツ経験ばかりの自分でも、一回だけ、スポーツで「選ばれた側」になったことがあった。

私が通っていた小学校は、4年生によるバスケの学校対抗戦があって、自分もその練習に参加していた。

今は人並み?ぐらいに運動はできるだけど、小学生の自分は明確に「運動苦手」という意識があって、スポーツ全般に後ろ向きだった。

だけど、だからと言って「僕スポーツ嫌いなんでやりません」と言えるほど強い子でもなく、仕方なく毎日練習に参加してた気がする。

そしたら、途中からちょっとバスケが面白いと思うようになった。無心で動き続けられるし、点数もたくさん入るからワンプレーの重みが少なく一回のミスをそんなに悔やまなくても良い。運動音痴がチームプレーする上でこれ重要。

そして防御にチャンスがたくさんくることが大きい。

そう、自分はバスケ楽しいと思えてからも、レイアップも結構下手でオフェンスははっきり言って苦手だった。そして、僕はスポーツ=オフェンスが醍醐味だと考えていたので、得点できない自分が嫌だった。

だけど、バスケではボールに飛びついて敵のボールを横取りすると「チームから褒められる!」「ナイスって言われる!」ことに気づき、「ディフェンスなら自分も一旗上げられるのでは」という小さな可能性を感じていたのだった。

とはいえ、本番の学校対抗戦に参加できるのは限られた選抜メンバーのみ。正直、自分はそこに選ばれることに期待すらしていなかった。

ベンチ入りする選抜メンバーはあっという間に決定したのだけど、それ以外に補欠枠があった。この枠は、先生が日々の練習を見ながら1日数人ずつその枠を発表していく仕組みだった。

そして、最後の補欠枠を発表する日。

同じクラスのS君はクラス内でも人気者かつ運動ができる、典型的な陽キャだった。だけど、そのS君はベンチ入りはおろか、ここまでの補欠枠にすら選ばれていなかった。

だからなのか、補欠枠に最後選ばれるのはS君だと、私も含めみんな思っていた。そんな中、最後の補欠枠が発表された。

「最後の補欠枠は、はるか(私のこと)だ」

!!!(´ω`っ;  )3

その時、「え、S君じゃないの?」みたいな空気が、夕練終わりの体育館の一角に、先生を囲み体育ずわりをした私たちの中に流れたのを覚えているし、自分もそう思った。

これまであらゆるスポーツで平均より遥か下の成績しか残せず、「ワタシはるか君より握力高ーい!☆」と体力測定で女子児童に言われる始末だった自分なので、めちゃくちゃ驚いた。

先生曰く、必死にボールに食いついていくのが良かったから最後名前を呼ばれたらしい。確かにどう考えてもライン超えるボールにも全部走って行ってた。

だからか、その日以降はより必死にボールに向かう日々だった。最後までレイアップも下手だった。だけど、自分の役目はディフェンスにあると勝手に結論づけてボール見つけて走りまくる犬の気持ちで練習した。

そうやって打ち込めることは楽しかったし、何より初めてスポーツで「選ばれる、枠を勝ち取る」という経験はすごく嬉しかったし、小4の自分が頑張るには十分な理由だった。

ちなみに、選ばれたと言っても「最後の補欠」なので、たぶん集団食中毒でチームがダウンとかじゃないと回ってこない役回り。結局自分がベンチに座ることはなかった。

だけど、相当自分はこれが嬉しかったらしく、毎年、年度末に書かされる作文にこの経験を心を込めて書いた。内容を薄めて原稿用紙を埋めるのが得意(←無駄)だった自分が、薄める必要もなくすらすらかけた。

そしたら、終業式で毎年学年で1人がその作文を全校生徒の前で読み上げるというイベントがあるのだけど、それに自分が選ばれた。

そんなことも自分は初めてだったので、前夜に母親といっしょに最後まで原稿を修正した記憶がある。あんなに真面目に作文したのはあれが最後かも…。

ちなみに、全校児童の前で「補欠になってうれしかった(なお試合には出てない)」という、聴く側からしたクライマックスの無いストーリーを聴く不思議な時間だったと思うのだけど、それを当時は不思議と思わなかった自分の小学生メンタルは褒めたい。

テレビを見ていると、銀メダルで悔しがる人もいれば、8位入賞で喜ぶ人もいる。メダル数を争ったりするぐらい、メダルかどうかは重要とされてると思っていたので、この感覚は不思議だなぁと思っていた。

でも、考えてみると、みんなあくまで自己ベストを更新できたかどうか、結局は自分との戦いで順位はその目標値でしかないから、そういう絶対的な順位の凄さとは違うところで、それぞれの感情が湧き起こるんだろうな、と思った。

仕事でつい、業界TOP企業のずば抜けて洗練されたデザインシステムと、自分が作ったそれと比較してしまい、規模も完成度も負けていて、少し辛くなることがある。

だけど、自分は補欠で盛大に喜べた男だ。ベンチ入りがどうとか関係ない。自分の手の届く範囲で自己ベストが更新できれば嬉しいもの。

そんな気持ちでアスリートの勇姿と今日の閉会式を見たいと思う、お盆2日目の夕方なのでした。


Cover photo by https://unsplash.com/photos/_XjW3oN8UOE

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