欲望を失った私たち
緊急事態宣言があけた。
長い長い期間、人と会うことすらはばかられていたけれど、
そういった感覚がだいぶ薄れたように思う。
先日久しぶりの友人Aに会った。
Aとは5年ほど前に、
当時よく足を運んでいたバンドのライブ会場で出会った。
共通の友人を通じて知り合い、食事をして意気投合。
二人でも月に1度くらいご飯やスイーツを楽しむ仲になった。
元々足を運んでいたバンドに私が行かなくなったあとも
時々あって食事とおしゃべりを楽しんだ。
Aと私は、お互い都内近郊に住んでいたが、出会ったのは名古屋だった。
引き合わせてくれた共通の友人は仙台の人だ。
それくらい私たちは日本中に足を運んでいた。
北海道も福岡もお金はかかるけれど、
遠くへ行くことに対する精神的ハードルは
私たちにとっては非常に低かった。
それが当たり前の生活を何年もしていたなか
パンデミックが起きた。
Aと私はライブへ行くという行為を、まるでしなくなった。
月に何本も、気軽に地方へも飛んでいたのが嘘のように
ぱたっと足を運ばなくなった。
私たち以外の周りの友人たちは、
ライブに行けなくなったことを寂しがり、
早く元の生活へ戻りたいと言い続けていた。
実際今年に入って少し規制が緩和されたころには
感染対策をしながらライブへ行く子たちが増えてきたし、
これから年末にかけて、ツアーを回るという子たちも出てきた。
・・・けれど私自身はそんな風にする気が全くないのである。
あれだけ行っていたのが嘘のように、
ライブがなくなったことも悲しいとも思わず、
この生活に慣れてしまい、ライブが再開した今ですら
行く気が全く起きないのである。
パンデミックが始まったころ、
私は自分の順応性のおかげで不満を持たず
この状況に適応できているのだと思っていた。
けれど、どうやらそうではないらしい。
徐々に環境が戻ってきても、
その戻ってきた環境には順応するわけじゃない。
相変わらずライブに行く気は起きないし、
飲み会に出かけようという気分にもならない。
久しぶりにあった友人Aも同じように話していた。
したいことがなくなってしまったと話すA。
私も全く同じだった。
お互い、欲望という感情をうしなってしまった様だ。
それはライブに限った話ではなく
〇〇がしたいという欲が消えてしまったのである。
年齢的な話かもしれない
コロナは関係ないかもしれない
けれどそれまでの当たり前を失ってしまった瞬間が
確かにあったのは事実だ。
2020年2月29日、私はライブハウスにいた。
少しずつ感染症について騒がれていた頃で
直前にはライブハウスでクラスターがでて、
「ライブハウスは怖い場所」と言われるようになった時期だった。
ただ私にとって、ライブに行くのは当たり前のことで、
前々から連日で予定されていた日程だったので、
次の日も当然のようにライブに行くつもりでいた。
けれどその日に
翌日のライブがなくなることが発表された。
政府からの要請で開催が困難になったのだ。
そしてそれ以来、あんなにも恋焦がれるように足を運んでいた場所へ
私は一切行かなくなった。
パンデミックがなければ、私は、私たちは、
今でも同じ生活をしていたのだろうか?と疑問に思う。
たらればを考えても仕方ないのだけれど。
・・・かといって、コロナのせいで変わってしまったと
嘆くつもりも正直全くない。
仕事も娯楽も失ったが、運よく生活はできている。
今の生活に特別大きな不満があるわけではないから
当然といえば当然かもしれない。
もしかしたら嘆く力すら失ってしまったのかもしれないが。
惰性で動くことはできるけれど、
何かに向かうエネルギーを失ってしまった。
漠然とした義務感で今日も生きながらえてはいる
けれど、失った欲望はどこに行けばみつかるだろう。