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僕は考えてなかった、悩んでたんだ
パスカルは「人間は考える葦である」と書いた。
小学校でも大学でも会社でも、僕らはよく考えることが大切だと言われる。
現代を生きる僕らにとって、考えることの重要性は誰もが認めるところだ。
昔、僕はよく考えているつもりでいた。考えることも好きだった。
けど、一向に進まない物事にイライラしながら、どうすれば良いのかと頭を捻らせることも多かった。
「なんでこんなに考えているのに、前に進まないんだろう?」と。
そんなことを考えていた僕に、転機が。
随分前のことだが、ヤフーの安宅さんのブログ記事に衝撃を受けた。
「悩んでる暇があるなら、考える」
この記事の中の一節が、本当の意味で僕の「悩み」を救ってくれた。
「悩む」というのは、答えが出ないという前提のもとに考えるふりをすること。「考える」というのは、答えが出るという前提のもとに、建設的に考えを組み上げること。整理すること。
この記事を読んでから、なんとなく考えているようで進まない思考の理由がわかって、本当に嬉しかった。
「そうか、僕は考えていなかったんだ、悩んでいたんだ」と。
考えを巡らせるどころか、ただ頭の中で言葉遊びをするような堂々巡りを繰り返していただけだったのだと。
これをはじめに読んだときは、脳がスパークしたような感覚に襲われた。
他の人にとっては当たり前のことだったのかもしれないが、考えることについて考えていた僕には衝撃的な定義だった。
考えるというのは、答えを出す前提で概念を積み上げていく作業だった。
ぼんやりとしか悩むことと考えることの違いを考えられていなかった僕にとって、まさに転機となった。この記事に出会えて本当に良かった。
しかし、さらなる疑問が浮かんだ。
考えられず、悩んでしまう理由はなんだろう?
これについては、真剣に「考えて」みた。
なぜ僕らは悩んでしまうのだろうか。
僕は普段研究をしているから、ある種の知的生産が生活の大部分を占めている。
もちろん疲れているとか、全然わからないことに立ち会って途方に暮れてしまうとか、そういった要因もあるのだろうけど。それでも体調や状況に関係なく、思考し続けられない時というのがある。
安宅さんの定義でいけば、考え続けていけば何かが積み上がって、議論が先に進んでいるはずなのだ。
それをわかっているのに、どうして僕らは悩んでしまうのだろう?
膨大な情報や難しい概念に出会ったとき、切り口がわからず立ち止まってしまうのはなぜだろう。
時間がかかったが、僕なりに答えに辿り着いた。
考え続けるためのツールがない
要するに、思考し続けるためのツールがないのだ。
例えば、大学の勉強会で1週間後にある病気に関する研究のアイディアをプレゼンする必要があるとする。
果たして、僕らはフルに7日間を使って、プレゼンの内容について考え続けられるだろうか?
よくある流れはこんな感じだろうか・・・
・とりあえずネットで病気の名前を調べてみたり、論文を集めてみたりする。
・研究室の同期に頼んで、なんとなく出来そうなことをブレストしてみる。
・なかなかアイディアが浮かばないからとりあえず放置してみる。
確かに考え抜いた後でリラックスすることが発想の秘訣なのは間違いないが、本当に7日間を使い切って考えられている、と言えるだろうか?僕は違うと思う。
このプロセスは、途中で話が進まなくなって「悩んでいる」瞬間がほとんどだと思う。もしくは完全に立ち止まってしまい、思考停止している状態かもしれない。
でもこれは、考えるための、答えを出すためのツールがないからだと気付いた。
例えば、随分古い時代にタイムスリップして、当時の人に「まっすぐ紙を切ってください」と伝えたとする。
もし道具が十分に発展していない時代であれば、折り目をつけて破るのが精一杯だろう。でも、はさみの存在を知っていれば、少しはまっすぐに切ることができる。
もっとまっすぐ切る必要があるのなら、カッターと定規の使い方を知っていれば、はるかに綺麗な直線で切ることができる。
これは物をどんな道具でどうやって扱うか、加工するかという話だが、同様に、問題をどのような道具でどうやって扱うか、それ自体を考える必要があったのだ。
道具を使う発想を持たない限り、自分の紙をまっすぐ切る技術を極限に高めるようなアプローチにしか辿り着かない可能性が高い。
このことに気づいてから、思考の切り口やフレームワーク、そもそもどうやって考え始めたか、など「考え方」についてとても意識的になった。
最近出版された濱口秀司さんの論文集にも似たようなことが書いてある。
なぜコンセプトを考え続けることが、これほど難しいのか。その最大の理由は「絶対的なツールがないから」である。
濱口さんは自由度の高い「コンセプト」を考え続けるためのツールを開発し、圧倒的な結果を出している。
僕より遥かに精度の高い思考で、あまりにも鮮やかに「考えるツール」に対する一つの答えを出しているのを目の当たりにして正直悔しかったが、このように「考える方法」について本気で考える人がいる、という事実が嬉しかった。
これからも僕は研究者として、もしくはビジネスマンとして、たくさん「考える」機会を持つことになるだろう。
知的生産で仕事をしていくからには、僕も思考の精度と再現性を極限まで高めていく必要がある。そのためには、問いそのものを見極めること、答えを出すことにこだわること、目的から手段を選ぶこと、など様々な要因がある。
でも、何より大切なのはいろいろな物事や思考の共通点を探り、文字通り「考え続ける」姿勢なのかもしれない。
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