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自己紹介|20歳、放浪に至るまで

私はいつも「|」を使ってみたいものの、どうやって表示できるのか分からず、仕方なく諦めていました。
だけど今日初めての発見。
ただ「たてぼう」と打つと、「|」に変換してくれるのですね。
なんだ意外と単純。またいいことを知った。


こんにちは。ハルカです。
今回は、私の今までの道のりを紹介しようと思います。


生まれは兵庫県。
父は私が5歳の時に亡くなりました。
母は女手一つで幼い子ども二人を育てるために、小学校教諭として毎日働いていました。

そんな中3コ上の兄が不登校に。
家族の中にしんどい人が誰か一人でもいると、一気に家の中の雰囲気がどーんって重くなるんですね。
そんな兄も、不登校を経験した人が集まる高校へと進学し、
見事に爽やかな青年へと変化していきました。

そして4年前。宮崎にいた祖母が亡くなり、
祖父と一緒に暮らすために宮崎県へ家族全員で移住。
それをきっかけに、私は宮崎県の高校へと進学しました。
そして、これが全ての始まりでした。


不登校を間近で見てきたものの、私には関係のないものだと思っていた矢先、
高校1年生の2学期、自分を追い込みすぎたせいか体調を崩し、
苦登校(文字通り、苦しみながらの登校)になりました。

そんなしんどい時期が続く中で、ご縁があり、2年次の10月から通信制高校に編入することになりました。
そして、せっかくの自由な時間、満喫しなきゃもったいない!と思い、
バイトを初めてみたり、合宿免許に行ってみたり、一人旅をしたり、
と自由奔放な高校生生活を送っていました。

高校卒業後、初めは大学進学を考えていましたが、結局自分が何をしたいのかが分からず、
とりあえずで大学にいくのはお金と時間がもったいないなぁと思い、
一旦大学は保留することに。


さぁ、そしたら何をしよう!と迷っているときに
タイミングよく、フォルケホイスコーレの存在を知り、流れるよーにデンマークへ。
そこでフォルケホイスコーレに一年間留学しました。

その後、「真夏の日本に帰ると命の危険を感じる」と悟った私は
ヨーロッパを3ヶ月放浪することにし、
10月の初めに日本へと帰国しました。

そして今は母が運営しているフリースクールでスタッフとして、のんびり働いています。


なんだか文字だけで見ると、何度も大きな決断をしてきたように見えますが、
私としてはいつも楽しそうな方に、物事が流れる方へと向かっている感じです。
すごくすごく、流されてます。

だけど、それが楽しいんです。
もちろん踏ん張らないといけない場面もたまにあるけれど、その時はその時です。

ただいつも意識していることは、本質的な意味で、楽しい方へ向かうこと
そのワクワクのためなら、多少のマイナスな面があってもいいんです。
それで失敗したって、いつかはいい経験になると願ってます。


まだまだ人間生活初心者の私です。
フラフラしてるし、意見はよく変わるし、継続なんて大の苦手だし。

でも私はそんな自分が結構好きなんです。
そしてこれからも、まだ放浪を続けるのか、具体的な道を選んでいくのか、
自分がどんな道のりを歩んでいくのかが楽しみです。

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