noteはじめました。
はじめまして。
埼玉県飯能市でひっそりと整体教室を主宰しております、ひがはるかと申します。冷やし中華はじめました。みたいなノリで、noteはじめました。
コロナ禍において自分にできることはなんだろうと、ない頭で考えを巡らせていたところ、友人が「普段冊子にしている文章をnoteに投稿してみたらどう?」と提案してくれました。
普段からいつもいつも整体法のことばかり頭の中にある私は(←それもどうかと思いますね・・)文章を書くことで自分の頭の中の整理になるので、意外にも文章にすることが苦ではないのだと気付いたのです。
文字に残すという責任
しかしながら文字というのはとても難しいもので、読み手の状況によって解釈が変わってしまう繊細なものです。ましてやインターネットという相手の顔が見えない世界で、誰が私の文章をどういう心持ちで読んでいるかなんてわからず、どう伝わったか確認しようもありません。考えるだけで恐ろしくなってしまいます。
野口整体法というただでさえわけのわからない世界を私などが文章にして間違って伝わってしまわないだろうか・・という懸念をずっと抱いていました。
しかし、私自身が野口晴哉氏の考え方に出逢えたのもまた野口先生(※私はお会いしたことはありませんが、僭越ながら野口整体法の一端を伝えるものとして先生と呼ばせていただきます)が残してくれた本や、正しいかは別として整体法を伝えている方々のブログなどでした。
野口先生も文章で伝える、ということを百も承知で本にしているのだとは思います。
野口晴哉はもうどこにもいない
野口晴哉は間違いなく天才でした。「生きている人間」の研究においてここまで緻密に観察している学問はほかにないと思います。
ではなぜ世間にそこまで伝わっていないのかといえば、野口晴哉が天才すぎて同じレベルの指導者が一人も育っていない、また野口先生の時代よりも医学が進み、社会観念が大きく変わってきたということも理由にあると思います。
昔の資料を読んでいるとほとんどの弟子たちや会員が育っていない、伝わっていない。
あの時代でいくら野口先生が「治療をやめた」といっても、野口先生がいれば大丈夫という会員しかいなかったのだろうと思います。
それでは医者にかかる心理とさほど変わりはありません。(そう考えるといつまでも人間は変わっていませんね。)
また、野口先生が簡単にこうだよ、と教えている基本的な動作がもうすでに普通の人とは違うので、「押す」と野口先生がいうことが、ただ指圧のようにギューギュー指で押すことだと思って会員たちに伝わっていたりして、どこの世界でも天才というのは教えることができないのだなと思うわけです。
と、会ったこともない大天才について私が語るなんてことは大変おこがましく、先人たちに怒られそうなのでこの辺りにしておきます。
そんな想いを【遺稿】に綴っておられます。
我は去る也 心伝え 技授け 今や残す可き何も無し
伝え授けることむづかしき也 我は授けしと思えど 何も会得せざる人多き也
我伝えしつもりなるに 十日あとは何も伝わりおらざりしを認めさせられること多き也 所詮 自ら会得せしこと以外に 伝え授けること出来ざる也 我が去るはこの為なり
体験を増やし 交換し 我が伝えしこと 授けしことを会得せば 次を伝える也 その間 我は休む也 五千年か一万年経し頃 又帰る也 又伝える也
箱根へ移る 誰にも会わず 語らずただ悠々する也 駒が岳に対し 無心を続けんとするもの也
野口晴哉(1981)『碧眼ところどころ』全生社.
とても耳が痛いのですが・・。私の恩師であるS先生(お名前をインターネットに出すのは嫌がられますのでS先生とさせていただきます)もいつもいつも同じことをおっしゃっています。
でもここに”交換し”とあるならば、自分の体験したことを誰かに読んでもらって役立つこともあるかもしれない。そんな想いでおります。
私もその野口先生がうんざりした会員や弟子たちと同じように、何度言われても変わらない、変えることができない、理解できないことがたくさんありますが。
しかし!!死ぬまでその道を自分のペースや景色で辿って行きたいと思っております。
山道はいろんなコースがあるはずです。
どうぞ生温い目で見守ってください。
よろしくお願いいたします。