夢はあっていいんだよね..ライターになると決めたとき
夢はあっていいんだよね。
自分をライターと称せるために、ライター養成講座を受講している。半分が終了した時点での思いを誰かにツタエタイ。
書く仕事
実は、受講する直前までライターになるとは考えてもみなかった私。そんな私がどうしてライターになりたくなったか、少し考えてみた。
一番大きな理由は、話すことが苦手だからかもしれない。私にとって話すことはとても刺激的で、悪い意味で疲れるし、楽しむことはできない。自分より他人を優先しがち。
とは言え、人はみな社会の中で人と人との間に生きていて、人との交流には特別な場合を除いて言語をコミュニケーションツールとして使うことが一般的だ。
だからそうしてきた。そうしないと生活できなかったし、仕事もできない。そう思っていた。
でもフッと思った。人生半分にさしかかり、これからしんどいことをするよりは、楽しく笑顔で過ごしたい。今までは他人に合わせてきたけれど、自分を軸に生きてもいいんじゃない!?
話すことからなるべく遠ざかるためにどうすればいいのか。芸術的なセンスがあるわけではない。ものづくりに長けているほうでもない。・・う~ん。
あれ?書くことはずっとしているよね。書いている間は誰とも言葉を交わすことないよね。書くことで思いも伝えることができれば人との交流が全くないわけでもないし。
書くことでいろいろできないかなと思ったとき、ライター養成講座のお知らせに出会った。
私は縁とか引き合わせとかを結構信じる方だ。今回もとても縁を感じた。流れるようにことが進んだからだ。
気がつくと第1回講座を受講していた。この時の内容をまとめたのが初めてのnoteでの記事だ。
今読み返すと文章が乱暴だと感じる。
第1回講座での”書く力を身につければ人生を変えることができる”というフレーズが見事にはまり、ライターになるんだという決意をした。今までの生き方とは違う生き方をしたい。違う景色をみてみたい!
つまり、第1回講座を受講中にライターを目指すことを決めたのだ。
書くことへの意識の変化
今まで書く機会は仕事でもプライベートでもあったけれど、とにかく書くことだけしか考えていなかった。どう人に伝えよう、どう書いたら読みやすいのか、構成はどうすればいいのかなんてどうでもよかったのかもしれない。(それは言い過ぎか・・)
結構行き当たりばったりな文章を書いていた。そしてそれに気づいていた。一応、何度か読み返してそれなりに修正することもしていたのに、やっぱり出来上がりは取っ散らかっている印象だった。それでも私らしい文章だとひとり納得していたのだ。
受講中の養成講座では、回をこなすたびに講座とは関係なく宿題がでる。講座の内容と感想を書くことだったり、与えられたテーマで作文を書いたりする。講座も重要な位置にあるが、この宿題が私にとってはとても大きな刺激となっている。
その宿題は添削されるわけではないのだけれど、プロの方に提出するという緊張感と認めてもらいたい、うまく書きたいという思いが静かではあるが心の中でうごめく。
今まで意識していなかったところまで目を向け、神経を集中させてことばを連ねなければならない。そして、1回で書き上げるのではなく、数日寝かせて読み直し、書き加えたり、段落ごと削除してみたりしている。
今までは1回書いた文は大きく変えることは好きではなかった。もしかすると最初の文へのこだわり(プライド)があったのかもしれない。
書くことがきらいではなかったけれど、さらに書くことを意識していかなければならない今の状況は、ライターを目指すためには必要な過程であるのだろう。ちょっと「あ~、また宿題?いやだな。」と頭をよぎるけれど、取り掛かるとその作業に集中して楽しんでいる自分もいる。
なんだかすでに満足している。今までにない感覚を味わえているからだ。「これからやで~。」と突っ込みを自分でもしてしまうけれど、しっかりこの感覚を味わいながら先にすすみたい。
まだまだ成長途中。半分が終了したところでえらそうには言えないが、私がこれからどうなっていくか(いや、どうしていくか)がとっても楽しみだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。是非応援してください!!