佐々木はるかの思考あそび。

フリーランスの物書き/哲学する人、問う人。 わたしが見ている世界、徒然なるままに。

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最近の記事

今年の目標より先に、人生の目標が決まりそうで

もう一生死ぬまで ずっと覚えておきたい夜があったのに、 その日のうちにジャーナリングをしなかったから、 2日後に思い出そうとした時に 記憶がうっすらとしかなくなっていることに気づいた。 日付が回る深夜、 あの時間に話した会話を 本当は一字一句、すべて、すべて、 覚えていたかったんだよ。 都合が悪いことはすぐ忘れるっていう 自分の長所であり短所が 威力を発揮したのか、 自分の生き方がとても ちっぽけに感じてしまって、 その惨めさが、 その夜の記憶を消したのかなあ、なん

    • ピカソ、か、山田かまち、か。

      例えばピカソのような、 ネームバリューが確立されたからこそ 大衆が天才と評価しているような芸術家がいる。 ピカソという名前を伏せて作品を公開すれば、 これは俺でも描けるだろって、 言う人が続出するであろう、そんな世界観。 小さい頃から 並はずれた絵の才能を発揮したピカソは、 その果てに何を見て、 あのような作風に至ったのだろうか。 小さい頃、 お父さんの書斎にあった、山田かまちの詩。 わずか17歳で生涯を終えた彼。 子供の時によく読んでいた文章を、 34歳になった

      • どこへ行くのか

        私の知ってるあの人が 音楽を表現手段として選んだように、 私の知ってるあの人が 絵を描くことを表現手段として選んだように、 私の表現手段は 多分言葉だったのだ。 言葉を手段とすることを、 自ら選んだのではなく、選ばされた、 そんな感覚で 言葉と向き合っている気がする。 他者に受け取って欲しくて 残す言葉もあれば、 受け取っても受け取らなくてもいい 単純に垂れ流すだけの 言葉もある。 そして、 私以外の何者にも 受け取って欲しくない、 私だけのための言葉の表現もあ

        • 私がぼんやりしていた頃、

          もうどうでもいいじゃんって、 もうなんでもいいじゃんって、 夢を追いかけながらも 来るもの拒まず去るもの追わずな感じで、 両手広げて 流れに逆らわず浮かんでみようって思いながら、 もうどうでもいいじゃんって、 もうなんでもいいじゃんって、 世界に対して期待する気持ちもなく、 悲観を1周回って 楽観のロープの上を結局は綱渡り。 歌手のyuiが、 16歳の自分のことを歌った曲、 My generationの中に、 こんな歌詞がある。 ”わかっているの、覚悟があればい

          社会が本当に感染しているものは

          社会が本当に感染しているものは、 ウイルスではないだろうよ、 と、ふと思った。 でも、そのウイルスではない感染している何か、は、 もはや完全にパンデミックのレベルで、 コントロール不能だと思った。 私たちは、 一体何に感染しているのだろうか。 どうにもならないことは、 どうにでもなっていいことなのだと、 甲本ヒロトが言っていたから、 多分この世界のほとんどのことは、 どうにでもなっていいことなのだろう。 ブランコを漕ぎながら 靴を飛ばす。 面白おかしく風を切

          社会が本当に感染しているものは

          大きな空の下の小さな街で。

          言葉を綴りたいと思って、 仕事の帰りにカフェに寄った。 ラップトップを抱えて。 アーモンドミルクのデカフェ。Lサイズのマグ。 いつもの注文でオッケー? と、バリスタの彼が言ったので、うんと答えた。 名前も知らない彼。 彼も多分、わたしの名前は知らない。 お会計をしながら、 バリスタの彼は言う。 この間ここに、あなたの友達が来たよ、と。 誰のこと?と聞くと、 名前は知らない、と言う。 白人で背が高くてヴィーガンの男の人だよ、と。 ああ、ベンのことか、と私は思

          大きな空の下の小さな街で。

          Above and Beyond.

          Above and beyond nationality. Above and beyond race. Above and beyond ethnicity. Above and beyond immigration status. Above and beyond culture. Above and beyond religion. Above and beyond gender. Above and beyond age. Above and beyond soc

          私のライター歴。表現の自由の名の下に。

          ライター、随筆家、文筆家、物書き、 呼び方は色々とあれど、 私は言葉を書く人である。 それと同時に、 文化哲学を学んでいる思想家であるとも 思っている。 哲学をやっているとすぐに、 単語の定義付けをしたくなってしまうので、 ライターとはそもそも一体 どういう属性のものなのかを、 はっきりさせたくなるのだけれど、 単に言葉を書く人という定義で言えば、 私は物心ついた時からライターだったと思った。 一般社会の定義でいう、 職業的な意味でのライターならば、 以前に、 ヨ

          私のライター歴。表現の自由の名の下に。

          消費者は消費しているのではなく、消費されている。

          大量消費社会がデフォルトとなった今の時代を、 流れに逆らって 逆走するのは難しいとよく感じる。 例えば仕事で、 例えば家庭で、 何を使って何をするにおいても、 それを”使い捨てる”という選択肢が存在していることを、 私たちはすでに頭の中で知っている。 使い捨てのストローにおむつ、 使い捨てファイル、 使い捨てTシャツ、 物が凄まじい速さで回転し消費される前提にある世界で、 自分の時間とエネルギー、そしてお金を費やしてまで ”使い捨てない”ことを選ぶのは、 大きな

          消費者は消費しているのではなく、消費されている。

          短編小説:地球の自転に逆らって

          わたしは車を走らせていた ふとカーナビを見ると、 車は西の方角に向かって進んでいるという 私は思った そうか、私は地球の自転に逆らって進んでいるんだな 車は走った 地球は回った 私は車の中でふと、 どれくらいのスピードで走れば、 宇宙空間にピタリと停止していることになるんだろう、 と思った そんなことを考えていると、 すぐに仕事場に着いたのだった 私は車を停めて、 車外に出て大きく息を吸い込んだ そして地球はまた、 私がやって来た方向へ、 どんどん東へ

          短編小説:地球の自転に逆らって

          社会:激怒したのはメロスだけなのか。

          2020年の3月、惑星規模でコロナ渦に突入し、 マスクだのワクチンだの、 ロックダウンだの自粛だの、 ここオーストラリアでも怒りや憎しみ、悲しみ、恐怖や不安と、 負の感情が社会の中を渦巻いた数年間。 日本はそれに加えて、 やれ増税だ、電気代アップだ、 インボイス制度だと、 政治的なフラストレーション。 昔々に、 反町隆史のポイズンが大ヒットしたのは、 時代が歌詞を見事に反映していたからだというのも あるでしょうが、 25年の時が流れて2023年現在、 当時

          社会:激怒したのはメロスだけなのか。

          はじめに:徒然草をかき分けながら。

          徒然なるままに、日暮らし、 硯に向かひて、 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば・・・ ありがとう吉田兼好さん。 私が続きを書くなら、 どう書くかな、どう締めようかな。 徒然なるままに。

          はじめに:徒然草をかき分けながら。