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この世界は愛も悪も許されている。そう思えば納得いきませんか。

最近、そういう解釈に行き着いて。
完全独自の解釈なんで、読んでてはぁ?って思ったらすぐ離脱してくださいね。
私の考えを主張したいわけでも、誰かを不快にさせたい訳でもないから。ただ、同じようにモヤモヤしてる人が居たら、何か役立てばと思う。


ずっと思ってた疑問。


なんでこんな悲しいことが起きるんだろう。

ニュース見て、なんでこんな非道な人が存在してるんだろう。なぜ一方的に傷つける人、傷つけられる人が存在するんだろう。

こんな世界で何をしろっていうの。
何を楽しめばいいってわけ。とかね。

鬼束ちひろの「月光」の気分だった。

なんでこんなドライな人が多いの、自分が良ければ相手はどうなってもいいの?愛がない、どいつもこいつも、なんて自分のことは棚に上げて、批判してました。

私の解釈

まず、言えるのは、
この世界に区分けは無いんだと思う。

「信念」とか「自分を信じる力」が現実化しやすくて、だから、その力が強い人の思い通りになる。それだけなんじゃないかな。

「気に食わないやつは殴ってもいい」と信じてる人はただそういうルールで生きているから、そうしていて、

「私は際限なくお金持ち」と信じている人がどんどんイージーにお金を手にしていく。

「私は愛されていて美しい」と信じている人は自分に自信を持ち、その振る舞いが魅力的で結果愛される。

それだけ。良いとか悪いとか、たぶん、無い。

前提ルールはそんな感じで
そこに人それぞれの価値観が加わって、良いとか悪いとかの判断によって、複雑化していく。

「人を殴るなんて有り得ない、許せない」
「こんなやり方でお金を稼ぐなんて」
「自分のこと好きだなんて恥ずかしい」
などと人を避難すればするほど、自分で自分をその価値観でギチギチに縛っていく。

生きにくき世界は自分でそう定義しちゃった世界

そういった怒りや批判が募り、この世界はなんて理不尽で不条理で優しくない愛のない世界なんだ!とどんどん名前をつけて定義してきたのは、自分。

いちいち目に入ったものに反応し過ぎないで良かったんだよね。

フォーカスするとどんどん自分の中にその事象が侵食してきて、現実化までしちゃう。

過敏反応を捨てると楽になる

「へ〜こういう人もいるんだ、具合悪くなるくらい受け付けないけど、私の人生には関係無いやつだ、ポーイ」で、すぐ忘れる。(ように心がける)

だって私にはもっと大切にしたいことがあって、いちいち目くじら立ててる暇はないじゃん。

躍起になって、こんな人がいるなんて!どうにかしてこの世界を変えたい!変えなくちゃ!!!って、まぁ、なってもいいけど、1回ちゃんと考えたい。

それが私のしたいことの第一優先事項なのか。

この世界がおかしい!って憤慨してるだけだとさ、どんどん嫌になって、最終、なんでこんな世界で生きてんだろってなっちゃうからさ、それだけじゃないから、この世界。

愛って

何かって、まだまだわからないけど。
私はね、愛が溢れる対人関係を望んでいて愛の交換をしたいとずっと思ってた。でも、よく考えたら、確かに愛されたい、もあるけど、「自由に愛したい」が強かった。

娘を例に取ると、
極論、自分が責任取れるから、どんだけでも愛せる。それって最っ高で!可愛くてしょうがない娘を、好きなだけ愛せるのって最高で。何もしてくれなくても、そこに元気で存在してくれてるだけで胸の中がじんわり温かいし、美味しいご飯食べてたり、笑ってたりするのを見てると本当に幸せを感じる。娘が生まれて来てくれて、初めて味わえた感情。

ちゃんとこの世界に愛はある。

横断歩道を渡ってるおばあちゃんを、通りがかりの中学生くらいの女の子が一緒に寄り添って歩いてあげたり(赤信号になりそうだった)、歩道の段差によろけて転倒したおじいちゃんをそこに居たみんなで起き上がらせてあげて助けたり、

入院中で身体も心もしんどい時に、寄り添う言葉をかけてくれた看護士さん、終わらないタスクを手伝ってくれた同僚、お裾分けをくれた友達、夜中でも電話で話を聞いてくれた親友、見てないようで見ていてくれて何かあったら必ず味方でいてくれる家族。

ちゃんと存在してる。

もちろん悪もある。


でも、なんてことは無い。そこに集中しなきゃいい。
知っておくことは大切。すごい悪いこと考えたりする人居るじゃん、、、ってびっくりするけどね。ちなみに私が言う悪いヤツは、人の事騙したり、傷つけたりする人。

この経験から言えることは、


他人を信じすぎるのは‪✕‬です。

「この人言ってる意味がわからん」って違和感を感じたら「こいつ言ってることおかしい」って自分の気持ちを信じたら、戻って来られるから。すぐ耳塞いで。

押し付けてきたり、自分を棚に上げてこっちを変えようとしてくる人は、うーん、そうだね、控えめに言って関わらなくていい。

自分の行動を他人にコントロールさせたりするのは、本当に身を滅ぼす。(が、ボケっと性善説で生きてるから、思うようにコントロールされたりした泣)

 詐欺も、例えばDVとかも、他人に言われたことに主軸を置くのがダメだと思う。

「私の成功しているやり方を教えます」
→いや頼んでないし!とキッパリ断って。

「あなたのことを思って言ってる」
→自分の思うように動かしたい人が言ってくるお決まりフレーズ。(本人無自覚の場合あり)経験上100%信じちゃダメなやつ。

「お前なんて○○」(卑下するような言葉)
→そんな言葉を相手に言っちゃうようなサイコパスの言うことに耳を貸さないで。すぐ逃げて。距離置いて。

なんでも許されている世界

だからこそ、私は、私が好きな自分として好きな概念を信じて生きていくと決めた。私自身を信じ続ける。軸ブレブレだった時期があるからこそ、やっぱり私として、生きていきたいと強く思う。

じゃないと、私として生まれてきたの、謎じゃん。私だから出来ることがある。出来ないことは頼めばいい。愛とか悪とか、好きとか嫌いとか、区分けに過ぎない。悪は、愛や愛の欠乏から生まれてたりするだろうし、好きも嫌いも自分がラベル付けしてるだけだったりする。
(これ5年前の私に言っても理解できないだろうな笑。むしろ意味わかんないって憤慨しそう。)

それならば、その私が勝手に仕分けした事柄に左右されるより、私主体で自分の気持ちに素直に生きていく方が楽だし、楽しいと思う。

悪は放っておいて、愛もくれくれーじゃなくて、私の好きな種類の愛を、あげたい人たちにあげる。してあげたいことするし、(押しつけになってないか心配り忘れずに)自分もしたいことして心を満たす。

ブレたらこれ見直そう。

では、また。
Haruka♡


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