はるか
虹出てそうな空だなって思ったらやっぱり出てた
人よりは知り合いが多いほうだと思う。 その場その場で他愛もない話ができるくらいの知り合い。ゆうに100人は超えている。 同期には、顔が広いねって言われたりする。 えっへん。 でも、私には友達が少ないと思う。 グループでご飯に行くことはできるし、 そういった人はいっぱいいる。 でも、サシで行く人がいない。 本当に、片手に収まってしまう。余る。 初対面の人と仲良くなるのは得意。 アドレナリンが出るし、その場のノリで行けちゃうから。 初対面の人って、自分のこと何にも知らないじ
表題のとおり、イケメンを拝ませてもらえることになったらしいです。なんと。笑 同じ会社の1年目の男の子。 高卒の自分より歳上だけど、初めて見たときから 「うわぁ〜イケメン………」 「もはや拝ませてほしい」 「拝みたいっていう人の気持ちがよくやく分かった」という推しができました。 もうイケメンなの。拝ませて、ほんと。 この前までは、建物一緒だしランチ誘ってみたいな〜って妄想だけして満足してたわけだけど、 なんとこの前の研修のあと、話の流れで 今度4人でご飯に行くことになり
誰かが誰かを好きでたまらない そんな様子を見るのが好きです。 同性同士、異性同士に限らず、 誰かが誰かを好きでたまらない ものすごく大切にしている そんな様子が伺えると「うっ」ってなる 「ごちそうさまです!」ってなる その人に向ける笑顔とか、相手のことを想いやる仕草や発言。ああ、本当に好きなんだなあと。 恋愛に限らず、全力で誰かを好きでいることは 素晴らしいことです。
自分からは絶対連絡くれない君が好き
じみ〜に日記とか書いたことなかったなって思って、素敵なことは書けないけど自分なりに書こうと思います。 【サークルについて】 無性に新しいことがしたくなって、何かしなければ!という衝動に駆られて、こんな衝動は今まで無かったから、人生のターニングポイントでは??と思ってたくさん動き始めました。 まず、新しい人たちに出会いたい。 ということで、社会人サークルを探し始めました。 ・バレー ・ヨガ(女性だけのがいいな) ・テニス ・カフェ たくさん色んなのがあったけど、バレーは今も
社会人4年目に突入しました。 振り返ると社会人になってから毎年5月は病んでいました。その理由が分かったので、覚えとしてここに書き記しておきます。 まず、4月は私の繁忙期です。 忙しくしていると、遊ぼうという気になれず、友達を誘わないままGWへ…誘ったとしてもGW後の予定は入れないまま5月半ばへ… そんなこんなで、毎年5月の予定はスッカラカンになりがちです。(今年もそう) すると、色々考えちゃったり、友達居ない…みたいに思っちゃって病みがちになります。 友達に関しては、学
なんか、ほんのちょっとだけ違和感を感じる。 うそ。 結構違和感を感じる。 何気ないメッセージのやりとり。 ご飯に行ったときの会話。 前までぽんぽんと何も考えずいろんなことを話せていたのに、なんて返そう…? 返信せず時間が過ぎていく。 考えて返した文章も、なんか、違う。 合わないな、と感じるけど、仲良くしたくて。 でもやっぱり違うのかなと思うから、他に誰か探したくて。それでも、半年前までは特定の人と仲が良いとかなかったからその状態に戻ればいいのかなと思ったり。でもそれじゃ
断捨離をしています。 部屋まるごとすべて。時間をかけて。 まだ20代前半だからなのか、物心ついてからのモノは結構覚えていて、「これ〇〇ちゃんにもらったやつだ」とか「コレこういう考えでこうしたんだよな」とか、ふつふつと昔の自分が蘇ります。 前に整理したときは捨てられなかったモノでも、時間が経てば想い入れも薄れるもので、かなりポンポン断捨離できているように思います。 でも「やっぱりとっておきたい」と思うモノは結構あって、押入れ行きのモノも結構あるのですが、かなり減りました。
お酒が飲める年齢になって早1年が経とうとしています。 この1年、ほんっとうにたくさん遊びました。 飲み会に行ったり 飲み会に行ったり 飲み会に行ったり…笑 自分は酔うと、人にくっつきたくなります。 「あなたのことが好きなんだよ。 それを分かってほしい!」 という具合に距離が近くなるのです。 男女問わず。もちろん信頼できる人に限ります。 なぜ、こういう行動をするか考えました。 ①人とくっつくのが好きだから 確かにそれはそう。笑 高校生まで友達にくっつく系の人間でしたか
良いなと思ってた人がそうでもなくなったとき 面白いと思ってた人に笑えなくなったとき 寂しいな、そんなふうに感じた。 自分といるその人は好きじゃない その人といる自分も……好きじゃない 人生経験からも、性格からも 自分はその人を満足させてあげられない。 悔しい。 憧れ、尊敬、そんなものを好きと勘違いしてるのかなとも思ったけど、誰かを抱いてほしくないと思うあたり恋だったんだと思った。 ひっさしぶりに恋してるのが楽しくて そうでもないと思う今に寂しさを感じるのかな 悔しい
自分でエネルギーを生み出せない人は 他人にエネルギーを求める。 これが依存?
気分が落ち込んだとき、 なぜ私は仕事をしているのか よく考える。 自分や誰かの生活を支えているわけでもない。 目標に向かってお金を貯めているわけでもない。 仕事が楽しいわけでもない。 忙しくて自分が必要とされているわけでもない。 何のために、働いているのだろう。 1時間半かかる職場までの道のりを往復して、 いなくても変わらないんじゃないかと思えるほど暇な時間を一定の席に座って過ごして。 ブラック企業に勤めるよりずっと幸せなことは分かっている。 でも、自分はなぜ働いて
帰りの時間、ホームでよく思う。 人々は疲れた顔をしながら、またスマホというものに目を落としながら、あるいは話しながら鉄の箱を待っている。 鉄の箱はいつも決まった時間にやってくる。 ある人は乗り、ある人はそのまま待つ。 しばらくすると、箱の入口が閉まり、ゆっくりと鉄の箱は動き出す。 そして後ろからしばらくするとまた鉄の箱がやってくるのである。 人々は乗り、あるいは降り… 車に乗って目的地まで行くというのは分かるのだが、箱にすし詰めにされながら人が運ばれていくというのは
「大学は勉強したい人がいくところ」 そう思って、やりたいことが無い自分は行くべきじゃない、と。自分の知りたいことは既に世の中の誰かが研究されているはず。だから独学で学べるはず。もし、まだ研究されていない領域まで突き詰めたら、そのときに大学へ進学しよう、と。 そんなふうに思って私は大学進学を『やめた』。 でも、いまや大学全入時代。 行きたい人が行けばいい、そんなふうに思うこと自体が古いのかもしれない。 かつては高校が「勉強したい人が行くところ」であったように、大学も時代が変
今日は帰りに白杖をついた方を案内した。 杖は持っているものの、ある程度見えていそうな人は出会ったことがあったけれど、今日のような本当に見えなさそうな方と出会ったのは初めてだったから声をかけてみた。 エレベーター使いますか? どこの改札に行きますか? 改札に着いたところで、ありがとうございましたと言われてさよならした。 出口まで行きますよ、と言ったけど大丈夫です、と言われてしまったのだ。 時間をかければたどり着けるような雰囲気はしていたから、本当に出口までの助けはいらなか