208.人に笑われるぐらいがちょうどいいんじゃなかったっけ?
Aqua Timezの『決意の朝に』という曲を、久々に聴きました。
僕の年代だと当時は中学生の頃。
とても流行った記憶がありますし、今でもカラオケで歌う人も多いと思います。
当時からいい曲だなぁと感じていましたが、今聴くと結構熱い歌詞なことに気が付きます。
まず、聴いてみてください。
人に笑われる経験をしたことはありますか?
挑戦を続けていると、時に笑われたり、心無い言葉にぶつかることがあります。
そんなことをしてどうするんだと。意味はあるのかと。
笑う人がいます。
そんなことやめたほうがいいよ。
何度か言われたことがあります。
疑われたことも、心配されたことも、誤解されたことも、うまく伝えられなかったことも、たくさんありました。これからもきっとあるでしょう。
元メジャーリーガーのイチロー氏は、日米通算4257安打達成の会見時に、このような言葉を残しています。
キングコング西野亮廣さんは、このようなブログを書かれています。
サッカー選手本田圭佑氏は、過去にこのようなツイートを投稿しています。
夢を語れば笑われ、挑戦すれば叩かれる。
そうやって成果を上げてきた人は、世の中に数多く存在します。
「夢を語れば笑われるこの世界を、終わらせに来ました。」
人に笑われてきた経験があるからこそ、この舞台挨拶の言葉にはこんなにも重みがあるのだと思います。
世の中はこんなにもその熱に響いているのに
一方で、熱い言葉に世の中は響きます。
笑われるぐらいがちょうどいいのに、現実は笑われるぐらいだと時に本当に笑われたり、心無い言葉にぶつかったりします。
「理解できない」は恐怖や懐疑となって、常にマイノリティはマイノリティであり続けているのがリアルです。
こうした歌に、歌詞に、言葉に、シーンに、響く世の中があり、響く人がいるというのに、です。
『ワンピース』のルフィは「うるせぇ!!! 行こう!!!」という名言を残しています。
『MAJOR』の茂野吾郎は「できるかできないかじゃねぇ。男ならやるかやらねぇかのどっちかしかねぇだろ。」と言ってマウンドに向かいます。
佐藤寿也は「この肩しかないだろ!ゴローくんにはもうこの肩しかないんだよ!僕はゴローくんと一緒に、ここにいるみんなで一緒に甲子園に行きたいんだ!」と言って主人公の茂野吾郎に想いをぶつけるシーンがあります。
YouTubeにも再生回数400万回超えの名言集の動画もあります。
ただ、実際に同じような言葉を口にしている人を見るとどうでしょうか。
嘘くさい、怪しい、騙している……。
ありもしない言葉の裏を探るように受け取る人もいます。
それがどうということはありませんが。
人間ですから、僕も過去いろんな物事に対してそう思ったことがあるのも間違いありません。
もっとも、アニメや漫画でどれだけ熱い名シーンを見ても白々しいという反応が必ずあるように、人も、人生も、同じなのでしょう。
どうせ響く世界に人は残るのです。
響く人の元に居続けるのです。
学校生活も、習い事も、軍隊のようだった高校野球も、会社の仕事も、フリーの仕事も。
経営しようが、起業しようが、同じ会社に居続けようが、何もしないことを選ぼうが。
きっとどこにいても、どんな状態でも、その場かその人の何かに響いて、何かを思って、そこにいるのです。
正解のないこの世界で何かを選択するということは、何かを信じるということと同義なのです。
こう生きていきたいものです。
熱を発信し続け、自分の目で確かめ続け、その熱量に響く人たちと共に、僕は人生を歩んでいきます。