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459.良い人生は良い日々の連続

素敵な言葉を知った。

「良い人生は良い日々の連続。」

確かにそうだと思う。

良い日々が続くことなんてあるのだろうか?
果たして毎日が良いと思うことはできるのだろうか?

結局は、何が良いのかは出来事が決めるわけではない。

良い出来事が起こったから良い日だったなんてことは、ほぼ博打で日々を過ごさざるを得ない。

雨が降ったから憂鬱になるような人生では、天候という努力ではどうにもできないものに一生を左右され続けることになる。

そんなギャンブルみたいな人生は些か虚しい。

何かがあったから嬉しくて、何かが起こったから悲しくて、何かを感じたから幸せとか、不幸せとか、そんな調子では人生は起こる出来事次第になってしまう。

どうすれば日々が「良い日」になるか。

出来事ではない。

解釈だ。


「良い」と認識する力

毎日、昨日の良いことをアウトプットするようにしている。

毎日、だ。

そりゃ、今日良いことあったかな、と思う日が全くないわけではない。
時にはそうやって何が良かっただろうかということを考える日も中にはある。

ただ、そんなときこそ何が良かったかを探すことに価値がある。

やっているのは「良いことを毎日アウトプットする」ではなく、「良いことを探し出せる解釈の力を身につける」なのだ。

信号に引っかからずスムーズに駅まで行くことができた、でもいいし、雨予報だったけど外出中は降らなくて濡れずに済んだ、でもいい。

「良い」と認識できる範囲を広げることを、まずトレーニングする。

今日も何も良いことがなかった、という日々が続いて幸せになるだろうか。

ほんの小さな日常の幸せを見つけられるような人間になるだけでも、十分に価値はあるようなものだ。

出来事で人生を左右されない

広島に8ヶ月間住んでいた経験がある。
そのときに感じたことが非常に多い。

当時は東京で、日中の仕事以外にも勉強したり、人と会ったり、少しでも人生充実する自分になるためにいざ活動するぞ、というタイミングだった。
今みたいに個人事業主として働くことや、さらにその先を考え始めて、一歩行動に移そうかという矢先の出来事だった。

転勤しても、どうしてもご縁を切りたくなかった自分がいた。
驚くほど自分の人生について考え抜いた期間だった。

そのときの学びを下記の記事に書いている。

結果的に、約8ヶ月間、広島で生活しました。
このままでいいのかと延々悩み、本を読み、東京で新しい体験をし、平日の仕事終わりにはいつまでこの生活が続くのだろうと悩み、そんな日々は正直辛かったです。

結局思っていても何も起こらず、環境や他人が自分を理想通りに導いてくれることもなく、幸運な出来事という宝くじに当たるみたいな偶発的事象はそんな都合よく巻き起こってくれなくて。

広島生活も4ヶ月過ぎたときに、この自分の人生は自分のものだよなという思いや、たくさんの新鮮な経験から、仕事を辞めてでも東京に戻ろうということを決めました。

思っているだけでは何も起こらない。

周りの環境や、誰か理想の他人が自分を導いてくれることもない。

当選の宝くじは道端に落ちていないし、謎の人物との出会いで超能力は身につかないし、角で食パンを加えた美少女とぶつかることもない。

何か起こったときに自分が変わるのだとしたら、人生は出来事から始まるしかなくなってしまう。

社内の辞令や、転職のタイミング、いきなり起業はビビっちゃうからどこかの勉強会やセミナーに行ってみる、そのタイミングは永遠に来ない。

入学式や入社式みたいに、4月になったら起こるイベントなんてものは、人生を変えるフェーズでは起こらない。

出来事に人生を左右されているうちに、人生が終わってしまう。

出来事を待っていても、人生の長さでは足りないのだ。

少しでも、自分の力で人生を動かすようになること。

圧倒的な経営力よりも、すごい資格や職業よりも、何が主体で人生を創り上げるかをグリップする方が、幸せに近づきそうな気がしてならない。

毎日の中で「良いこと」を見つける。というより「良いこと」を創り出す。
その連続が「良い人生」を生み出す。

人生の主体は出来事だろうか?

結局、頭の中でどう解釈しているか次第なのだとしたら。

それはトレーニングで何とでもなる。

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