479.半年後の世界を生きる
今の行動が実を結ぶのは、せいぜい半年後である。
今いい感じではあるが、今がいい感じであることは今関係ない。
書いてて訳がわからなくなりそうだが、今は半年後なのである。
未来は今、という。
まるで時間が未来から流れてきているかのように、未来は今に収束してくる。
僕の今の感覚は、3ヶ月後や4ヶ月後の2月3月を生きている。
どれだけ奇跡が起きても、明日や来月に急に覚醒するわけではない。
変化は、まるで季節の変わり目のように曖昧で、白黒ではなくグラデーションの世界なのである。
ちょうど昨日今日で気温がガクッと下がった。
冬将軍の足音がいよいよ大きくなってきたことが伺える。
冬はもうすぐ来る。
だが、感覚的にはもうすぐ春になるような世界をイメージして、その時の自分を想像しながら生きている。
今月、来月、達成することはもちろんある。
目標設定だってあるし、それを達成するために今の行動が無駄であることは全くない。
ただ、そんな今も3ヶ月か半年ほど前の自分が作り上げた今なのだ。
未来は今である。
今は、過去なのだ。
過去の自分が創り上げてきた今なのだ。
今の仕事は半年後に一つぐらいは形になる。
今の行動は僅かだが春頃に結果になる。
それが良い形なのか、悪い結果なのかはわからない。
それは今作っているもの次第だ。
今日新しく出会った人とも、半年後には互いの人間関係にアップデートがあるだろう。
逆を言うと、半年後にしか目に見えた形にはならない。
いい意味で、潔く諦める。
今月来月の目標を捨てるわけではない。
それはそれで何とかする。
そういうものなのだ。
すぐに変化は起こらない。
たった一ヶ月や二ヶ月程度では何も現実は変わらない。
変わるのは、内なる自分自身である。
それは外から見えない。
自分でも変化した実感があるかもわからない。
必ず変えることができると信じた者から、必ず変わっていく。
そういうもの。
今、いつの自分を生きているだろうか。
今からやってくる冬はもう終わりを告げているだろうか。
春の陽気を感じているだろうか。
夏の暑さを彷彿させているだろうか。
その自分を生きるのだ。
そうすると、そうなっていく。
僕はこの半年間で変化が巻き起こった。
真夏にクリスマスの気分で生きていたからだ。
これからも、そんな自分を創り続けていく。
半年後を生きるとその半年後になるということを、この人生で証明し続ける。
僕の理想の実現のためである。