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457.キングダム「函谷関の戦い」から学ぶリーダー像

映画『キングダム 大将軍の帰還』を観賞してから、Web漫画で少しずつその先を読み始めた。

中でも最も熱い戦いがかの有名な「函谷関の戦い」
5ヶ国連合の合従軍と戦う秦国の、絶望的な戦いはまさに常に手に汗握る物語だった。

幾度も心震え、感動し、想いが昂り、まるでその世界にいるかのように没入した。

秦国はオールスターとも呼べるほどの将軍を各戦地に配置したのだが、その将軍それぞれが強烈なリーダーシップを張っていて、これぞ将軍たる所以だと感じるシーンが度々見受けられた。

人を率いるリーダーとはこういう存在である。
この大合戦のストーリーを読んで感じた、それぞれに共通するリーダー像を書き出してみようと思う。


1.函谷関の戦いとは

函谷関の戦いとは、紀元前241年に起きた楚・趙・魏・韓・燕の五国合従軍と秦の合戦のことである。

史記に書かれた内容は少なく、詳細が不明な点が多いが、そもそも5ヶ国連合軍が攻めてくるのを防いだという時点で歴史的な大合戦だ。

キングダム本書では、その合戦のストーリーがそれぞれ作られ、各地で非常に鮮烈な、凄惨な戦いが行われる様子が描かれていた。

ぜひ読んでほしい。
キングダム本書では33巻までに収録されている。


2.それぞれのリーダーシップ

ここでは秦国きっての大将軍がこぞって参戦した。
その誰しもが素晴らしい手腕を発揮して軍を率い、自ら立ち上がり、戦いを動かしていた。

老将の蒙驁、張唐は若手の将軍には真似することのできない”重み”がある。
これは他の将軍では出せない感覚かもしれない。

麃公や信は、戦の中で感覚を研ぎ澄ませて状況を判断し、味方を鼓舞して突き進んでいた。

蒙武は圧倒的な力を携え、桓騎は野盗上がりのアングラ集団を独自の信念で束ね上げていて、王翦は何を考えているのかよくわからないが恐ろしい先見と心理戦を制して窮地を救っていた。

リーダーとはこう在るべきだ、という理想はあるかもしれない。

が、実際には様々なリーダーシップの姿があり、人によって全く違うように見えても、同じように万を超える大軍を率いるに値するリーダーだと感じられる。

リーダーシップとは何なのだろうか。
一般的なイメージはあるかもしれないが、そうならないとリーダーになれないというわけでもない。

そのポイントを分解して考えてみた。


3.なんだかんだ圧倒的な実力

まず何より、圧倒的な実力が必要である。
後ろで指揮を執っているだけのように見える将軍たちも、いざ戦場に立てば圧倒的に強かったり、敵に恐れを覚えさせるほどその実力が発揮されてる。

特にキングダム内では蒙武将軍が圧倒的だった。

死闘を繰り広げた直後にまた戦場で暴れまわり、なぜ倒れないのか、どこにその力が残っているのか、その姿だけで恐怖のどん底に突き落とされるような、圧倒的な力がとんでもなく印象的だった。

老将の張唐も戦場では非常に強い。
現場の経験値、鍛錬を続けてきた身体、一般兵が勝てるわけのない要素ばかりだ。

信もでの絶望的な六日間を通して、理解しがたいほどの数の敵を倒している。

それは相手も同じで、李牧も知将といえど武力にも非常に長けている。

まずは何より、圧倒的な実力が大事。

これはどの世界でもリーダーとして必須の要素だと思う。

張りぼてのリーダーだと当時の戦場では真っ先に命を落としていただろう。
現代でも張りぼてのリーダー像は、いずれメッキが剝がれていくに違いない。


4.命を捧げるほど慕われる人間力

では、圧倒的な実力だけでリーダーだと呼べるだろうか。
決してそれだけではない。

後追いして命を落とす兵がいたほど、将軍という存在は慕われていたのだ。

特にでの政の演説は、本当に心震え涙が出そうになった。

人の上に立つものがこれほどに慕われていて、これほどに力付けができて、これほどに深く人々から思われている、リーダーという存在ではとても大事な要素だと感じた。

将軍という立場だから気を遣うのではない。

一見横暴な桓騎将軍も、仲間からの信頼や愛がとても強いことがわかる。
「心配すんな 全部上手くいく」
これの名台詞は痺れる。
一言ですべてが詰まった安心感を放つ、これも桓騎というリーダーの成せる業だろう。

信も飛信隊の仲間から慕われている。
それは決して上下関係ではなくて、同じ仲間であり、互いが志同じくするかけがえのない存在なのである。

もちろん敵将も仲間にはとても慕われている人ばかりだ。
将軍と部下という関係性を超えた感情が、それぞれには存在しているように思った。

それは決して戦場だけで育まれたものではないだろう。

普段の生き様、関わり、日常や互いに乗り越えてきた経験や、そういった戦場以外のところでも、人間力というのは培われる。

圧倒的な実力ありきの、人を惹きつける求心力のようなものが、強烈にあると感じた。

各将軍ごとにその色が違うのも、この函谷関の戦いを通して描かれた素敵なリーダー像だと思う。


5.まとめ

現代を生きる我々は、急に首を取られたり、失敗したら命を落とすようなことをしたり、人に向けて刃を向けたりすることもない。

とても恵まれた豊かな場にいるのだから、挑戦に臆することは理屈上ないはずである。

ただ仲間を率いたり、新しい仲間と手を組んだり、いざ戦場のように一丸となって立ち向かう場面があったりすることは、現代でも十分にある。

そのときに大切なことは、過去も現代も変わらないはずだ。

リーダーとして生きている人は、きっとどの時代でもリーダーとして君臨しただろうし、結果を出しただろうし、人に慕われていたと思う。

様々なビジネスや投資や転職や起業という手段がある中で、何をするにせよそれを扱う自分自身がどんな人間であるか、結果を出すに相応しい人間であるか、多くの人と仕事ができるほど魅力に溢れた自分であるのか、ここが特に手段に溢れた時代にとっては大事だと考えられる。

どんな自分なのか?
それを鍛えよう。

うまい仕組みではない。
素敵な人のつながりを広げよう。

画期的なビジネスモデルではない。
結果を出すに足る自分でいることの方がよっぽど重要である。

ビジネスが結果を出してくれるのでもなければ、投資先が、転職先の企業が、結果を出してくれるのではない。

王騎将軍の矛を使えば戦場で無双できると勘違いしてはならない。

どんな自分なのだろうか?

様々なタイプのリーダー像を通して、結局そこが大事だと感じた。

日々の仕事が、現場が、自分のリーダー像を育てるのだ。

天下の大将軍だと思って、研鑽を積んでいこう。

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