92.その偶然には意味がある?「シンクロニシティ」はあなたの脳が引き寄せている
「意味のある偶然の一致」という意味の言葉、シンクロニシティ。
全く関係のない事象が、まるで事前に打ち合わせていたように偶然起こることを指します。
ある人のことを考えていたら偶然現れた。
たまたま同じことを考えていた。
虫のしらせを感じた。
偶然で片付けるには、理屈で説明するにはあまりにも奇跡的なため、意味があるんじゃないか、というユングが提唱した概念です。
偶然にしてはあまりにもできすぎている
学生の頃、小説がとても好きだったので移動中は常に読んでいました。
ある作品を読んでいて、まさにクライマックス、感動のシーンを読みながら帰っていたときです。
ヒロインが病気で亡くなっていくまでのお話。(ネタバレになるので作品名は伏せますが、石田衣良さんの名作です。)
最後の食事が、シチューでした。
うわー、つらいけど、感動。
物語に引き込まれて、世界に埋没して、大学二年生の僕は自転車で最寄り駅から家に帰ります。
余韻に浸りながらの帰り道でした。
家について、晩御飯を見た僕は驚愕します。
シチューでした。
泣きそうな感動を覚えた直後に、これは勘弁してくれよ……と思いました。
この頃から、小説で起こることが現実で起こるという現象に名前をつけてほしいと思っていました。
シンクロニシティ。
ありました。
さて、続いて社会人になった僕はやっぱり小説を読みます。
癌になった男の子がそれでも明るく生きる奮闘ストーリーでした。
最後は完治して、ハッピーエンド。
実話を元にしているようで、これからの人生はより開けていく、そんな温かな気持ちになる物語でした。
そのとき、ちょうど僕も友達が癌と戦っているところでした。
まさか友達が若くして癌になると思っていなかったのですが、早期発見のため治療は順調に進んでいるようでした。(それでも、気分は悪くなるし髪は全部抜けたようでした。)
本を読んでいる最中、その友達のことが頭をよぎります。
連絡するといつも気丈に返事をくれる、心の強い大信頼の友達です。
小説は、近くの図書館で読み終わりました。
面白かった、と一人暮らしの家に帰って、ポストを見ると一通の手紙が届いていました。
「完治したのでぜひ遊びにきてください。心配してくれてありがとう。」
といった旨の手紙が、その友達から来ていました。
そんなことある?と思いました。
癌が治った話を読み終えたその日に、手紙が届くかと。
その次の連休で、友達のいる九州まで飛んでいったのはいい思い出です。
偶然にしては、あまりにもできすぎている。
神様からの、試練であり、プレゼントである、という解釈でしか説明しようがありませんでした。
果たしてその偶然には本当に意味があるのか?
お腹が空いたら、やけに飲食店が目に入る。
引っ越ししようと思ったら、やけに物件情報が目に入る。
自分の仕事の業界のものばかりが目に映る。
バレンタインデーやクリスマスが近づいたら、街がカップルだらけのように思ってしまう。
人は考えていることに世界を寄せています。
ただそこにある世界を見ているわけではなく、自分が見たいように世界を見ているのです。
この辺は、カクテルパーティー効果とか、網様体賦活系(RAS)と呼ばれるものとか、いろいろ研究されて実証されています。
このことから、シンクロニシティはもしかして、偶然に意味があるわけではなく、意味を見出すような出来事を偶然と呼んでいるだけかもしれない、と思うのです。
考えていたらその人が現れた、というのも、考えていようがいまいが結局は会っている。
そうすると、事実は変わらない。
「意味がある」というのは、自分の頭の中だけで起こっている現象ですよね。
意味を見出す。価値付けする。
起こる現象は日々とんでもない数があるのですから、その中から意味づけできるような出来事が起こることもあるかもしれません。
なんて。
ちょっと夢がないかな。
奇跡のような嬉しい偶然に、意味を付けられるような人は好きですよ。
結局は、解釈次第。
あなたが今ここにいて、この人と共にいることも、奇跡みたいなことなんですから。