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勇気も自信もない私はこうやって起業した

こんにちは!

Hearko代表・ギフトデザイナーのはーこです🎁


以前のnoteで、よく聞かれる「なんで今の仕事始めようと思ったの?」にお答えするべく、幼少期〜創業に至るまでのストーリーをざっとお話ししました。 コチラ>>>誰もやってない仕事が生まれるまで


今日は、次によく聞かれる「会社辞めて起業って勇気いりましたよね?」という質問のお答えになるような話をしたいなと思います!

初回の記事で「ワーホリについて聞きたい」というコメントもいただいたので、後半にワーホリの話をガッツリします。


例の如く、ロングver.とショートver.があるので、ショートver.をご希望の方は、飛行機出発の画像まですっ飛ばしてくださいね。


\(・・)/ Let's get started~


前職のデザイン会社ではグラフィックデザイナーをしていましたが、それはもう典型的なブラック企業でした。

・毎日終電は当たり前

・終電逃したら歩いて帰るの当たり前

・朝までコースの時は始発で帰宅しシャワー浴びてすぐ出社

・残業代は“みなし残業”1日1時間分

・休日出社、持ち帰り当たり前

・会議や余計な仕事が多すぎる

・社員全員体調不良または鬱

・上層部がみんなやばい

etc...言い出したらキリがないです。


上層部のやばさをもう少し具体的にお伝えすると

会長▷ 社内で二人きりになった20代の女性社員を襲おうとして「もう近づきません」という誓約書を書かされた70代

社長▷ 他社での過労死のニュースを受け、翌日の朝礼での発言が「死にたい奴は死ねばいい」


前職の人がこの記事を見たら、全力で消しにかかって来るかと思いますが、どんと来いデス。(今の労働環境はだいぶマシになってるみたい。と一応フォローしておきますね)


自分の大切な人生の時間を削ってそんな人たちの下で働き続ける気はさらさらなく、入社後1週間という早さで「3年経ったら辞めてやる!それまでは修行じゃ!」と心に決めました。(苦労して内定を勝ち取った時は震えるくらい嬉しかったのになぁ…)


なんとか3年間の修行期間を終えて、「こういうことがやりたいので辞めます」宣言をしましたが、例の社長に、「そんなちっぽけな夢、会社で働きながら趣味でやればいい」と言われました。

そんな引き止め方で誰が思いとどまるでしょうか。

「ちっぽけな夢」と言われたことを未だに根に持っているので、絶対に有名になって見返してやろうと思っています。


様々な重圧やイヤミを跳ね除けて、無事に退職しました。

ただ、その時点では、すぐに独立・起業しようとはまだ思っていなかったんです。

ただ大学で4年間アートやデザインを学び、3年間グラフィックデザインの実務をやっただけ。自信を持てる根拠も、勇気を出せる度胸もない。


ちょうどそのタイミングで岩盤浴に行って雑誌を読んでいたら、ワーホリに行った人たちのキラキラした体験談が書かれたページが目に止まりました。

思い立ったら即行動の私なので、岩盤浴を出る汗だくの頃には、「ワーホリ行こう!今しかねぇ!」と決めました。(我ながら男らしいネ)


その後、ポップコーンを売るだけで時給1200円の超暇なバイトで稼ぎまくり(笑)、渡航費を貯めた3ヶ月後、カナダのトロントへと発ちました。


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トロントでの1年間は、人生の中で一番濃かったと思います。


最初は3ヶ月間、語学学校へ行きました。

当初、英語は全然話せない状態でした。そのくせ、”お勉強”はちゃんとやってきた私は、テストの点数だけは良いので、飛び級して難しいクラスに入れられて、とても大変な思いをしました。(日本人あるある)

唯一、マイクというイケメンの先生の授業の時だけ、一番前の席に座ってよく発言する調子の良い生徒でした。笑



帰国したらブライダル系の仕事をしたかったので、現地のブライダル企業に「インターンさせてくれ」とお願いして働き始めましたが、一緒に現場に入った男性に妙に気に入られて「baby」と呼ばれ、身の危険を感じてしまったので、1日で行かなくなる、なんてこともありました。笑👶

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↑ カナダのブライダルショー


一時は本当に仕事が見つからず、お金が底をつきそうでした。

トロントの冬は体感マイナス30度にもなります。吹雪の中、ひとり街中を歩き回っては、お店に突撃して、I'm looking for a job! Are you hiring now? とレジュメを配りまくりました。コレできるようになったら、もう怖いもんなしです。

(当時はこんなこと平気でやってたのに、日本というぬるま湯に数年浸かった結果、今は営業のメールすら送れなくなってしまいましたが。)

ホームレスになるのも覚悟した頃、一つのお店に拾われました。なるようになる、生きてさえいればどうにかなるって思いました。


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↑ Tim Hortonsという、カナダで知らない人はいないCoffee Shopで働いてました。みんな超良い人でした。



この1年を振り返って、決して、楽しかった!!とは言えません。もちろん楽しいこともたくさんあったけど、それ以上に大変なこと、悔しいことも、たっっくさんありました。

よくワーホリって、「憧れの海外で働こう!」みたいなキラキラした感じでメディアには取り上げられるけど(そのメディアに釣られて行った人です🙋‍♀️)、実際そんなキラキラしてない。ワーホリという立場は本当に弱いです。

ただ1年滞在して良いという期間が与えられて、何をしなきゃいけないわけでもなく、学校に行こうか、どんな仕事に就こうか、旅行に行こうか、ボランティアしようか、どこに住もうかって全部自分次第。

私も1年間、「今日何しよう」「来月どう過ごそう」「残り3ヶ月どう生きよう」と常に考えながら生活をしていました。


こうやって自分と向き合って、自分のしたいように生きたいように生きられる生活は、自由な私にとても合っていたと思います。毎日必死に「生きてる!」って感じられた。

というか、1年ではないにしても、限られた期間だけが与えられているという意味で、人生って本来こういうものだよなと、当たり前のことに気づかされました。

「自分の人生の舵は自分で取っていく」

そういう気持ちがとても強くなりました。

そんな気持ちで帰国したので、起業することは本当にごく自然な流れでした。


不安が全くなかったと言うと嘘かもしれませんが、不安とかよりも、「やっと自分の人生を自分で作っていける」というワクワクの方が何倍も大きかったです。

小さい頃から厳しい親に育てられ、学校では周りの目を気にして過ごし、常に優等生でいなければならなかったことが、本当はずっと苦しかったんだと思います。


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カナダから帰国する時に、一人でアメリカ横断(トロント→ニューヨーク→ラスベガス→サンフランシスコ→日本)をして帰ってきたので、日本に着いた頃には貯金はマジの0円で、クレジットカードの引き落としも残高不足でできないくらいの超ボンビーガールになりました。(もはやお金がなくなることへの恐怖心はない)

よく言われていることですが、若い時には借金してでも、できるだけの経験をした方が良いと思います。

私は一旦実家に住むことにしたので、住む所や食事に困ることはなかったので、本当親には感謝ですよね…(自由すぎる娘でごめんなさい)


とりあえずバイトをして生活を立て直さなければと思い、一応やりたい事業に繋がりそうな、結婚式の二次会などをやっているカフェと、結婚式のブーケやテーブル装花を作る花屋さんのバイトをしつつ、事業を始めるというトリプルワーク生活を始めました。(フリーで動ける私はとても重宝されてしまい、パズルのようなシフトで週7バイト、隙間時間に自分の事業…という超ハードワークでしたが、ブラック企業で鍛えられていて良かったなと初めて感謝しました。)


もちろん、事業を始めたっていきなり仕事なんてありません。最初の1年間は、知り合いからの依頼しかなかったです。

幸いにも、周りがちょうど結婚適齢期のため、ウェルカムボードやブーケなど、たくさん作らせてもらいました。

そんな中、「彼女にプロポーズしたいから、アルバムを作ってほしい」と頼んでくれた友人がいました。

「なるほど、確かに男性はそういうの作りたくても、なかなか自分で作れる人って少ないのかも…」と、とても新鮮な気持ちでした。


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↑ 記念すべき1作目のプロポーズフォトブック


この時に作ったアルバムを、作りたてのしょぼいホームページに載せたところ、それを見て依頼してくれる方が現れました!(今思えば、よく頼んでくれたなぁ…)

初めて知り合い以外の方から依頼が入った時は、本当に嬉しくて嬉しくて、泣きそうになりました。

そのお客さんがきっかけで、また一人、また一人、と実績を見て依頼してきてくださる方が増えていき、今では同時に10件程の案件を掛け持つくらいになりました。


何の後ろ盾もなく、自分の名前と技術だけで仕事を生み、お金を生むことって、本当に大変なことです。それを一度きりでなく、継続的にやっていかなければならない。

本当に大変だけど、本当に嬉しいことです。

お客さんは、「私」や「私のつくるもの」「私の想い」を求めてくれている。

うまく言えないんですが、世界にただ一人の「私」として、ちゃんとこの世に存在したような、そんな気持ちになります。


もしも、独立・起業したいけど、不安だとか勇気が出ないとか自信がないとか、そういった理由で踏みとどまっている人がいたら、全力で後押ししたいのでコメントください!

勇気も自信もべつにいらないと思うんですよね。

会社で働きながら副業でもいいし(副業禁止でもバレたら会社やめたらいいと思う)、会社辞めるなら、お金はバイトでもすればいい。飲食店なら賄いも食べられるし。しばらく住まわせてくれる人間関係を作っておけばいい。

もしかしたら「こんなはずじゃなかった」「やめとけば良かった」って思うこともあるかもしれない。でも、あらゆる犠牲を払ったとしても、それを上回る幸せを見つけることができると思います。


私は、いま毎日が幸せです。


本日の結論:

必要なのは勇気でも自信でもなく、「生きてりゃなんとかなる精神」。



久しぶりに当時のことを思い出して、ちょっと熱い気持ちになりました。


伊坂幸太郎の小説「終末のフール」から、私の大好きな一節を引用して締めたいと思います。苗場さんというキックボクシングのチャンピオンと、ある映画俳優の対談シーンです。


「苗場君ってさ、明日死ぬって言われたらどうする?」俳優は脈絡もなく、そんな質問をしていた。
「変わりませんよ」苗場さんの答えはそっけなかった。
「変わらないって、どうするの?」
「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
「それって、練習の話でしょ? というかさ、明日死ぬのに、そんなことするわけ」可笑しいなあ、と俳優は笑ったようだ。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」文字だから想像するほかないけれど、苗場さんの口調は丁寧だったに違いない。「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」


しびれます。

では🙋‍♀️


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