【ショート小説】毒親と呼ばれて
友達みたいになりたかった。
なんでも話せて、なんでも聞いてもらえる、そんな親子になりたかった。
私はそうじゃなかったから。
私が子供の頃、日本はまだ貧しかった。
母親はいつも私に背を向けて、畑に向かい、針を動かし、おむつを洗い、一日中あくせく働き続けていた。
学校でのできごと。
友達とけんかしたこと。勉強で褒められたこと。
生理になってしまって、とても怖かった。
一生懸命話しかけたのに、母親は振り返ってもくれなかった。
*
そうやって育った私が母親になった頃、日本はようやく豊かになった。
今では信じられないかもしれないけれど、当時は誰もが憧れだった「団地」に住むことができて、私は母親のようにあくせく働くことのない、専業主婦になることができた。
私はあなたが小学校から帰るのを、手作りのお菓子を焼いて待った。
あなたは、学校であったことを私に話してくれる。
私も、団地であったことを、面白おかしくあなたに話す。
向かい合って笑う、母と娘。
クッキーの甘い香り。
団地の四角い窓から差し込む日差し。風に揺れるレースのカーテン。
奇跡みたいに幸福だった。
*
あなたが十歳を超えた頃、恋愛にも興味をもつようになったから、夫との馴れ初めや愚痴も話すようになった。
母親に聞いてもらえなかった、生理の話も。
友達みたいに対等に話せて、嬉しかった。
あなたに話すと、幼い頃から胸の中に溜まっていた澱がとけて、すっきり体が軽くなった。
*
「私はあなたの友達じゃない」
だから、28歳になった娘からそう告げられた時、意味がわからなかった。
「私はあなたの娘であって友達じゃないの。なんでもかんでも、私に話さないで」
28歳にもなって恋人がいない娘に焦れて、私が結婚する前に付き合った男たちについて、意気揚々と語っていた時だ。
何が間違っているの?
私にはなかった、母親との時間。
貧しくて、忙しくて、決して振り返ってくれなかった、私の母親。
あなたは豊かな時代に生まれて、母親と友達みたいに話すことができて、こんなにも幸せなのに、どうしてそんなことを言うの。
「親の生理の話なんか、聞きたいわけないでしょう」
娘はこう吐き捨てて、家を出ていった。
「私はあなたの感情のゴミ箱じゃない」
*
「私は毒親に育てられました」
娘のSNSへの連投が、スマートフォンの小さな画面の向こうで、ぼんやりと滲んでいく。
「小学生の頃から私は母の感情の掃き溜めにされていました」
あのティータイムのどこに「毒」があったというのだろう。
手作りのクッキー。柔らかな午後の光と、風にそよぐレースのカーテン。
母と娘のほがらかな笑い声。
どこをどう探しても、「毒」など決して見当たらない。
*
話せば、きっと誤解はとけるに違いない。
だって私たちは「友達」のように仲の良い親子なのだから。
だから私は今日も、娘への通話ボタンを連打し続ける。
話したいことがたくさんある。聞いて欲しいことが、たくさんある。
飢えたような幼い子供が、ほつれたレースカーテンの向こうに見えた気がした。
(了)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?