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”伝統”について考えてみた


伝統のイメージ

伝統という言葉にどういうイメージを持ちますか?
厳格で時代遅れ?
決まりの根拠がよくわからない?
理由もなく守らされる?

全部大体正解で、不正解だと思います。

以下に私が伝統を守る厳しさを体感した話を記します。

伝統を意識しなかった幼少期

私は大学生まで所謂伝統に接する事はなかった。
とは行っても小学校は創立60年近く、中学校も創立50年近くであったが、伝統なんてモノを感じた事は一度もなかった。
スポーツ強豪校でも、進学校でもないから?
そんな感じで大学生になるまで、私は伝統なんて言葉は辞書に書いてある概念としか認識していなかった。

竿燈会との出逢い

そんな私は大学入学と同時に「竿燈」と出会う。
いつかちゃんと竿燈の事は書きたいのでここでは簡単に紹介します。
竿燈は、青森市のねぶた祭り、仙台市の七夕祭りと並ぶ東北三大祭の一つで、無病息災、五穀豊穣を願う祭り。その歴史は江戸時代から始まったと言われており、国の重要無形民俗文化財に指定されている。そして、祭りは毎年8月3日、4日、5日、6日の4日間と決められている(台風が来ても、大雨でも基本的には中止にならない)。
祭り自体は秋田市にあるいくつかの町内会によって運営されているが、大学の一期生達の働きかけなどもあり、私が居た大学では在学中のみ祭りへの参加が特例的に許されていた。
約260年の歴史ある祭り。
最初は何気なくやっていたが、段々と“伝統”という言葉に縛られ、息苦しくなっていく。

私が直面した伝統

竿燈をやるまでの私は、祭りは氏子や有志がやっていて、管轄する神社に神輿などが保管されてると何となくイメージしていた。希望すれば誰でも出来るモノだと。
このイメージは竿燈においてはまるで間違いだった。
詳しい説明は省略するが、竿燈祭りには大きく以下のような伝統、しきたりがある。

● 女人禁制。
これは祭りの発祥に関係あるらしい。
竿燈の始まりは町内会の男衆の力比べから始まった事と竿燈自体があるモノを象ったと言われているため、女人禁制となっている。
現代でも女性が竿燈に近づくと「竹が割れる」と言われ、近づく事すら許されない。
ハッキリ言って、全く科学的根拠はない。
ちなみに女性が参加する場合はお囃子(笛、太鼓)のみの参加になる。

● 町内会に所属している者しか参加出来ない(特例あり)。
前述に書いた通り、秋田市にある大学、市役所、県庁などは町内会に属してはいないが、特例的に祭りへの参加が認められている。
町内会自体は高齢化が深刻で、若い子達は進学が就職で県外に出るのが当たり前になっており、町内会自体を存続させる事すらかなり難しい状況となっている。

● 祭りの花形たる差し手は本来、長男しか出来ない。
これも祭りの発祥に由来する事らしい。
初期の頃は本当に町内会に所属する家の長男のみで行われていたとの事。
これでは本当に立ちいかなくなり、ある時から長男以外も参加出来るように変化していった。
昔の家の形が反映された結果、このように運営されていたと思われる。

● 開催は毎年必ず8月3日~6日までの4日間。
竿燈を含め、東北の夏祭りのほとんどは日程がかぶっている。
そのため、観客の取り合いが発生したり、ツアーはかなりの強行日程(祭りを見て、夜に移動する)になってしまう。
また、大雨でも台風が来ても中止にはならなかった経験がある。
祭りは県にとってかなりの収入になるのだから、お互いに調整すればいいのに…。
ちなみに、私は6年間秋田にいたが、竿燈をやっていたため、他の東北の祭りを見に行く事は出来なかった。ある意味では勿体ない事になっている。

● 祭りの行進中、過度な盛り上げは禁止
これもまた意味がわからない決まりでした。
竿燈自体は動かない事を美徳とする祭りなのですが、観客の立場で考えると、最初こそ凄いと思っても、段々飽きてくると思う。
そういう事を無くすために、盛り上げをやっていたが、後に禁止とされた。

伝統を守るということ

上記のような伝統の中で、6年間、竿燈に携わった。
正直、竿燈は好きだった。
働く場所さえあれば、私は未だに秋田市にいて、竿燈を続けていたと思う。
それくらい好きだった。

辞めた理由はいくつもあるが、一番は伝統の考え方の違いな気がしている。
上記にも記載しているが、古くからの伝統を守ることに固執し続けた結果、祭りの担い手は年々減り続けている。
それが悪いとは全く思わない。
だた、最初は無病息災、五穀豊穣のために始まった祭りであっても、今や3万人を超える観光客が訪れる観光資源の一面も持つ。
もうあの頃の力比べのままの姿では維持できないのも現実。

私が所属した大学のサークルでは、毎年必ず町内会の方から祭りの伝統や歴史を教えてもらうことを続けていた。加えて、様々な町内会との交流を積極的に行い、竿燈の伝統を知ることには真剣につとめてきた。
その上で自分たちに出来ることを模索し続けた6年間だった。
そういう意味ではもう私に出来ることはない。

最近は後継者不足で祭りの取り止めのニュースもあり、竿燈もいつかこうなると感じている。

伝統を守るという事と時代に合わせた変化の共存の難しさと今でも感じている。竿燈が近い将来に無くならないように、せめて自分も近く見に行きたいを思っている。