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「継続は力なり」は宿敵?
私は継続ができない!
突然ですが、私は「継続は力なり」という言葉が大嫌いです。
理由は単純明白、自分自身が物事を継続することが大の苦手だからです。
「1日10分でいいから続けてみよう」「まずは1週間から」
1日10分と聞くと楽そう、と思いがちですが、そんなことはありません。
私にとっては、1日5分でさえも同じルーティンを繰り返すことが難しいです。
もちろん、やってみようとしたことはあります。
1日10分、腹筋しよう。英語長文を読もう。新聞を読もう。・・・
最初の数日は続きますが、だんだんと嫌になってきて、最終的にはどこかのタイミングでサボり始め、「今日はいいや、明日やろう。」を繰り返した結果、気づいたらやらなくなっている、というのがオチです。
だから、毎日習慣化していることがある人は素晴らしいと思います。
そして、自分は継続が苦手なタイプなんだ、無理なことを頑張ってもしょうがない、と思い、今まで生きてきました。
そんな私でも、今までを振り返ってみて、継続できたことが少ないながらにあります。
今日はその貴重な「継続できたこと」を基に、私なりの結論を出してみたいと思います。
継続が苦手なみなさんも、逆に継続が得意なみなさんも、自分の観点から「継続すること」について考えるきっかけにしてくれたら嬉しいです。
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3DSが欲しくてピアノを毎日練習した小学3年生
ことは10年前に遡ります。
そして今、もうあれが10年前の出来事なのか、と衝撃を受けました。
小学3年生だった私はピアノとエレクトーンを習っており、MAXで年間10回ほど発表会に参加していました。その中で、年に2回、オリジナル発表会というものが存在し、そこで作曲をしていました。
週2回、年間10回の発表会をしていたにもかかわらず、別にそこまでピアノは好きではなかった(正確には練習が嫌いだった)ので、何回もやめさせられそうになりました。(笑)
でもいざやめるとなると、なんか悲しい気がしてなんだかんだ続けていたわけですが、小学3年生のピアノのオリジナル発表会を1ヶ月前に控えた時期に、父からこんな提案をされました。
「発表会までの1ヶ月間、どんなことがあっても必ず毎日1回はオリジナル曲を練習したら、3DSを買ってあげる。その代わり、1日でもサボったら、その約束はなしになる。」
当時、小学生の間では3DSがめちゃくちゃ流行ってました。
「とびだせ!どうぶつの森」の時代ですが、もう本当に本当に3DSが欲しかった時期なので、即決で乗ることにしました。
結果的には、1ヶ月の継続に成功し、発表会もノーミスで終われるという最高の結果だった気がします。(途中かなり怪しい日もあって、半寝で一回弾いて終わる時もありましたが・・・笑)
そして、実際にピアノの発表会が終わったそのままの足で電気屋さんに行き、3DSを買ってもらいました。
あんなに欲しくて頑張ったくせに、いざ毎日練習の義務がなくなると、これまたなんだか寂しい気がして、その後もちょくちょくオリジナル曲を練習していた気がします。そのおかげもあってか、今でもパッとその曲を弾いてと言われれば弾くことができます。逆にそれしか自信を持って弾ける曲はないですが・・・笑
継続した練習は大事なのかもしれないな、と幼いながらに実感した出来事でした。
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継続の定義は「3日に1回」
もう一つ、私が継続できたことがあります。
それが
「小論文を毎日書くこと」
です。
正確には、「毎日何かしらの形で小論文に触れ、先生にPDFにして送ること」でした。
少し補足します。 私はもともと国立志望だったため、慶應を第一志望にしたのは高校2年生の冬でした。 進路面談の朝までは国立コースに進むつもりでしたが、面談当日、親と昼食を食べていた際に、「本当に国立でいいのか?」という話になりました。私は「いい」と答えましたが、自分の気質や性格を振り返ると、
・マルチタスクが苦手
・興味が持てないことは頑張れない
・高校1年生で理科の履修を忘れた(ただの不注意)
流石にこれだけが理由ではないものの、明らかに手一杯感が否めませんでした。また、自分の関心領域が明確だったため、「国立でないと学べない」という必要性も特に感じませんでした。結果として、私立文系に進む方が得策だと判断し、昼食が終わる頃には私文志望ニンゲンに切り替わっていました。
話を戻します。
高2の冬に慶應を第一志望に定めましたが、最初にぶつかった壁が小論文でした。慶應の一般入試では避けては通れない道です。
私は元々文章を書くことが得意で、作文ではほぼ毎回選ばれ、東京都代表になった過去もあったり、高校時代に映画の脚本を書いたりしていたため、ある程度の自信はありました。しかし、現実はそう甘くはなく、最初の頃は添削でコテンパンにされました。笑
ここでまた少し脱線しますが、小論文は本当に奥が深いものだと思います。 日本語の論理構成、正確な表現、説得力を持たせるためのインプット作業など、単に文章を書く以上のことが求められます。しかし、これを乗り越えると絶大な自信が得られ、一生役立つ思考プロセスや構成技術が身につくため、慶應が小論文を重視していることを私はすごく素敵だと思っています。
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さて、次は本当に話を戻します。(笑)
先生に最初に言われたのは、「小論文に毎日触れて、先生に送り、添削を受けること」でした。
そして、私が今回最も伝えたいのが、この継続にあたってのルールです。
そのルールは、
「継続の定義は3日に1回」
です。
つまり、できる日は毎日続けるのが理想ですが、どうしてもできない日があっても3日空けなければ「継続」と見なしていい、ということです。
私は5月から小論を始めたため、受験まで時間がないととにかく焦っていました。
また、万が一不合格だったときに「ほら、やっぱりね」と思われるのが嫌で、できることはすべてやりきり、誰からも文句を言われない状況で受験を終えたいと思い、小論文だけは毎日継続しようと思いました。
ちなみに、その勢いで他の科目も継続できたらもっと楽だったんでしょうが、残念ながら、興味が持てないことを頑張ることができない性格のため、興味を惹きつける学習方法を見つけきれなかった科目には応用することができませんでした。笑
また、私はもともとサボり癖があり、3DSを手に入れて以降、何かを継続できた試しはありませんでした。さらに、先生の添削が辛辣で(もちろん的確な指摘でしたし、先生のことはめちゃくちゃ尊敬していて、とても仲良しだったのですが)、読むたびに落ち込み、泣き、リライトし・・・の繰り返しでした。そのため、モチベーションはどん底で、毎日小論文の悪口を言っていました。笑
そんな中で救いとなったのが、「3日に1回ルール」でした。
どれだけやる気がなくても、3日に1回だけは小論文に関わる何かをして先生に送れば、「継続している」と認定される。だからこそ、嫌で仕方なかった時期でも、このルールのおかげで完全に投げ出すことなく続けることができました。
ひどい時期には、3日に1回しか小論に取り組まない日々を繰り返し、やったとしても簡単なニュース記事まとめなど、ものの5分で終わるインプット作業ばかりしていました。逆に、不安に駆られすぎて1日3本小論文を書いて送っていた時期もありました。
何が言いたいかというと、人のやる気は日々変動し、ささいなことで左右されるものです。
「毎日やらなければならない」と厳しく縛ると、結局続けられなくなることもあります。その点、「やらない日があってもいいよ、その代わり期限付きでね」という、猶予を与えてくれるルールは、私のような継続が苦手な人間にとって大きな救いになるのではないでしょうか?
とはいえ、私は今でも継続が得意になったわけではありません。これまで継続できたと胸を張れるのは、この小論文と3DSをかけた戦いの二つだけ。
結局、何でもかんでも継続ルールや報酬によって続けられるわけではないんだな、と改めて感じています。笑
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私は言語学習もできない!
突然ですが、私は今Duolingoを使って英語と韓国語を勉強しています。
ちなみに、私は言語学習も嫌いです。笑(好き嫌いがはっきりしすぎている性格を少しはどうにかしたいと思っていますが・・・)
ただこれも、正確には、「一つの勉強法を押し付けられる学習スタイルで学ぶ言語学習が嫌い」ということな気がしています。
私がこれまで受けてきた言語教育は、単語を覚えて、毎週テストされて、最終試験までに教科書をしっかり理解した上でそのテストがあって・・・
という、1番シンプルなものです。
私はこの、「ただ単語を覚えること」がとにかく苦手です。
無機質でバラバラの単語を、ただインプットしろと言われるのは屈辱でしかありませんでした。
大学受験の頃は、塾の方針が、「単語は、単語帳の暗記ではなく、長文の中で出てくるものの暗記によって身につけていくべき」というもので、「文章」という、ストーリー性や何らかの意味を見出すことのできるものから単語を覚える方法が自分に合っていました。
この性格のために、大学でハングルを学ぶ際にも大苦労しました。
単語に何らかの意味を持たせないとインプットできないのに、毎週テストがありました。
ハングルを読める方ならわかると思いますが、まずは基本子音と母音を暗記するのにまず大苦戦しました。暗号にしか見えない上、とにかく覚えられなかったので、ずっと独自の暗記法を開発していました。笑
例えば、
「ㅁ」と書くと「m」の発音になるので、
覚え方は「口(クチ)はmouth」
これはまだわかりやすい方ですが、
「ᆺ」と書くと「s」の発音になるので、
覚え方は人(ヒト)はス、ヒトはス、ヒトはス・・・・とひたすら唱える
いつもそれを横で聞いていた言語が得意な友達は大爆笑していました。
一緒にハングルを履修していたその友達は言語習得がとても早く、ハングルもすぐに習得していました。また、覚え方などなくても暗記できるようで、その点に関しては本当に理解できないなとずっと思っています。
そんな私なので、必修の言語が取り終わったら言語とはサヨナラしたわけですが、韓ドラが好きなのと、機会あって韓国人の方と会った際に
「次会うときまでにどのくらいハングルが上達してるかテストするからね!」と言われたのをきっかけに、Duolingoでハングルの学習を始めました。
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継続を促してくるDUO -Duolingoの継続手法-
さて、そんな言語学習嫌いな私は今Duolingoで言語を学んでいるわけですが、それには、言語を習得したいという目的の他に、もう一つ大きな目的がありました。
それは、学習教材としてのDuolingoがここまで人々に刺さっている理由を知りたかったからです。
私は以前書いた通り、バンドをしています。
大学には部室があるのでそこでバンド練をしているわけですが、バンド練の合間や終わった後にメンバーが、「今日Duolingoやってないわ〜」と言って、続々とレッスンし始めるわけです。
さっきまであんなにドラムを叩いていたあの人が、あんなに声張り上げて響かせてたあの人が、休憩時間に言語学習???
意味が分かりませんでした。受験生かと思いました。
そして、毎回、Duolingoってゲームアプリじゃないよね?と質問していました。(もちろん違いました。)
これは、自分でやってみるしか真実はわからないなと思い、始めることにしました。
Duolingo、ここがすごい!
スタートして継続35日まで達成したけれど、スマホの通知を切っている時期が多かったためにレッスンリマインドに気づかず、連続記録が切れて最初からやり直すことになった私視点から、Duolingoの継続手法のすごいところを二つ紹介したいと思います。
フリーズ機能
Duolingoは、連続記録を表示することでユーザーの継続意欲を促します。
ですが、採算お話ししてた通り、私のように「毎日の継続は至難の技」と思ってる人間はいると思います。
そんな人たちを救ってくれる、3日に1回ルールでお話しした、「やらない日があってもいいよ、その代わり期限付きでね」を体現した仕組みこそ、「フリーズ機能」です。
これは、私が1日取り組むのを忘れた時にフリーズして、継続記録をDuo(Duolingoのキャラクター)が守ってくれるというものです。
そして、連続フリーズ機能というのもあり、1日以上やり忘れた日があっても、またしてもDuoが記録を守ってくれます。
このフリーズと連続フリーズは、言語学習をすることで貯まる仕組みになっているようなので、ゲームチックに学習を進めながら、継続を促してくれる優れものだなと感じました。
2.最終手段「5連続レッスンで継続できることを証明」
1ヶ月連続記録が続き、フリーズ機能に甘え始めた頃、いよいよ連続が途切れますよ!という警告がたくさん来ました。
その時に出てきたのが、「今日5回分レッスンを行えば、継続記録を続行できる」という機能です。
連続記録を更新しているみなさんはあまりお目にしない光景かもしれませんが、さすが継続が苦手な私は開始1ヶ月で目撃しました。
ですが、1ヶ月も続いたので、連続を切らせたくないという思いが芽生えていました。どうにかして5回分取り組もうと頑張っていましたが、4回目の学習を終えたところでアプリが落ちて最初からになったので、諦めました。笑
記録は切れてしまったものの、救済の方法としてレッスンを促し、継続を維持させるこの仕組みはとても面白いと思いましたし、Duolingoがこんなにも人々の継続意欲を掻き立てている理由が少しわかった気がしました。
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内発的動機付けと外発的動機付け
ここまでは私の実体験に基づいたお話をしてきましたが、その事例をもう少し理論的に解釈したいと思います。
みなさんは外発的動機付けと外発的動機付けという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
簡単に説明すると、
外発的動機付け:外的報酬の獲得、あるいは、罪の回避など、活動が何か他の目的の手段になっている状態
内発的動機付け:活動それ自体が目的になっている状態(その活動の遂行から得られる満足以外に明白な報酬を受け取らない状態)
です。
今回の私の事例を当てはめると、一つ目にあげたピアノの練習と3DSの事例は「外発的動機付け」。つまり、3DSという報酬の獲得が目的で、ピアノの練習をするというのは、3DSという報酬を得るための手段になっています。
そして二つ目にあげた小論の事例は、「3日に1回」継続ルールに助けられた部分もありますが、小論文が書けるようになりたいという目的のもと、約10ヶ月間取り組み、最終的に受験で使えるレベルにまで持っていくことができた(目的を達成できた)という点から、「内発的動機付け」の例に当たると思っています。
これだけ聞くと、理想は内発的動機付けの状態と感じるかもしれません。活動そのものに意義を見出して取り組むことができれば、それはベストですよね。
ですが、私はそれはすごくハードルの高いお話なのではないかと考えています。
報酬で釣るやり方では、本質的な力は身につかないでしょう。ですが、活動に関心を持て!と強制するだけではあまりにも無責任です。
そこで、私が着目しているのが、私が掲げているテーマでもある、「ゲーミフィケーション」なのです。
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「継続している」という意識すらさせないもの-ゲーミフィケーションが秘める可能性-
「ゲーミフィケーション」という言葉をご存知でしょうか?
とある論文では「ゲームの考え方やデザイン・メカニクスなどの要素を、ゲーム以外の社会的な活動やサービスに利用すること 」と定義されています。
ゲーミフィケーションに関しては、また改めて詳しく記事にできたらと思いますが、内発的動機付けにおける、「活動そのものに関心を持つ」きっかけを、ゲーミフィケーションが作れるのではないかと思っています。
ゲーミフィケーションの醍醐味は、「気づいたら〇〇していた」という没入感にあると考えています。
「継続しないと」と思って継続するのではなく、その活動が楽しくて、「ついやってしまう」、そしてその延長として、「気づいたら継続していた」が体現できれば、継続が苦手な私のような人でも、何かを継続することができるようになる気がしています。
(まだまだ仮説段階で、自分自身も勉強中なので、これからもっと深掘っていけたらと思います。!)
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終わりに
話が様々なところに飛躍してしまいましたが、今回伝えたかったのは、
・継続することの難しさ
・継続するための工夫
・楽しく継続することを実現するための私の取り組み
です。
記事を書く中で紆余曲折して出てきた、
小論文について/ゲーミフィケーションについて/モチベーションについて
は、また次回以降詳しくお話したいなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!