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私は春風に恋をする
何とも言えない懐かしさを感じながら扉を開けると、そこにはまだ薄暗いステージと、レトロな椅子があった。ほんのり甘い香りが鼻をくすぐった。ステージは、真ん中が客席側に少しせり出していて、初めて来た私にはどこの席に座ったら良いのか分からなくて戸惑った。
「こっちにしよう。さくらさん、絶対にこっちに目線くれるはずだから。」
一緒に来たマリは慣れた様子で席に座った。私も手を引かれて、どぎまぎしながらマリの隣の席に腰を下ろした。一息ついて見回すと、席に座るお客さんはまばらで、意外にも女性の姿がちらほらあった。
「女の人も来るんだね。なんかびっくり。」
私が小声で言うと、隣のマリが楽しそうに笑って言った。
「だから大丈夫って言ったじゃん。飛鳥もきっと好きになるはず。」
ここは知る人ぞ知る、ストリップ劇場『ジュリエッタ』。友達のマリはここの常連さんだ。私は相手にノーと言うのが苦手な性格のせいで、マリの誘いをはっきりと断りきれないでいるうちに、流れでここまで来てしまったのだった。周りのお客さんたちは、みんなが慣れているように見えて、私だけが場違いな気がした。
ストリップとは、『踊り子』と呼ばれる女の子たちが、服を脱ぎながら裸で踊るステージだという、にわかの知識だけは持っていた。正直、エッチで男の人を誘うようないかがわしいイメージで、女の私が見るようなものではないと思っていた。だけど、マリがあまりにも目を輝かせて、ストリップの良さを語るので、少しだけ興味もあった。実際にここに来る前、マリは、
『飛鳥が想像しているような、エッチなステージじゃないよ。もっと芸術的な感じなの。行けば分かるからさ。』
と私に言っていたけれど、壁には鏡が貼ってあって、ステージの様子がいろんな角度から見えるようになっており、マリの言葉を素直には信じられなかった。
私がそわそわしていると、
「さくらさん、本当に綺麗だから、多分飛鳥驚くと思うな。本当、芸術的っていうか、美しいんだよね。」
と、マリが興奮気味に言った。
「私は初めてだし、マリほど良さが分からないかもしれないけれど・・・。」
私がマリに圧倒されながら控えめに言うと、
「まぁ、とりあえず見たら分かるから。」
と、マリは自信満々に言った。
「・・・うん。」
私が頷くと、劇場がゆっくりと暗くなった。いよいよ始まるらしい。ピンクのスポットライトがステージを照らして、踊り子さんの名前がコールされた。
「最初はさくら美緒ちゃん。」
「さくらさんだ!」
マリが小声で叫ぶのが聞こえた。さくらって苗字の方だったんだ・・・と思いながらステージを見上げると、さくらさんはオーガンジーのような、透けた柔らかそうな素材のガウンを纏って、こちらへ背中を向けてポーズを決めているところだった。ピアノの曲が流れ、さくらさんが上半身をひねって、客席側へ振り向いた。そして私たちの座る席に目線をくれて、にこりと微笑んだ。
――あぁ、綺麗だ、と思った。
私の周りに流れる、時間の流れがゆっくりになって、春の柔らかな風を感じたような気がした。隣のマリが歓声を上げて、
「ほらやっぱり、さくらさんこっち見てくれた。」
と得意気に私の耳元で囁いた。
ゆるく巻かれた髪。ぱっちりとした目、長い手足。ピンクのライトを浴びながら、ピアノの音に合わせてさくらさんが踊り出すと、ガウンがふわりと舞った。さくらさんは穏やかに微笑むと、くるりと回り、真ん中にせり出した中央の舞台へ歩いて来た。柔らかな表情のまま、さくらさんはゆっくりとガウンの紐をほどいた。少しずつガウンがはだけていく。ガウン越しにも透けて見えていたフリルのついた下着のようなコスチュームが露わになっていく。いけないものを見ているようで、目を背けたくなる気持ちと、恥ずかしさとで、頬が熱くなるのがわかった。それでも見たくてたまらなくなる。気がつけば、私の目はさくらさんに釘付けだった。さくらさんはガウンをステージの上にゆっくり落とすと、ブラのフロントホックに手を掛け、するすると躊躇いもなくそれを脱ぎ去った。さくらさんの、それほど大きくはないけれど綺麗な形の胸が晒される。先ほど脱いだガウンを体に巻きつけながら、上半身を大きく反らせてポーズをとるさくらさんは、エッチと言うよりは単純に美しいと思った。タイトルは分からないけれど、どこかで聞いたことがあるピアノの曲が響いていた。さくらさんは曲に合わせてゆっくりと舞い、ポーズを決め、私たちに陽だまりのような微笑みを向けた。やがてガウンの中に埋もれるように寝そべると、片脚を上げてポーズを決め、音楽はゆっくりと小さくなっていった。お客さんの温かな拍手が聞こえて、演目が終わるのだと分かった。ステージは曲に合わせて静かに暗転し、劇場はしばらくぼんやりとした闇に包まれた。
暗転の中で最後に見たさくらさんは、透き通った笑みで柔らかくこの空間を包んでいた。さくらさんが舞う姿を頭の中で思い浮かべた途端、制御し切れない何かが弾けたように涙が溢れた。隣にいるマリのことを気にしている余裕なんてなかった。どの瞬間のさくらさんを思い浮かべても、ため息をつくほど美しくて、胸の奥が苦しくなった。この感覚を知っている。
――私は恋に落ちたのだ。