自分の言葉で未来を生きる
例えば、映画を観る。本を読む。何でもいい。
そのコンテンツをインターネットで検索すれば、無数の感想・レビューが出てくる。それらをつらつらと眺めていけば、自分の中のモヤモヤがスッキリとしていくような感覚に陥る。
自分では気づかなかったこと、何となく思ってたけれど言語化できなかったことが、他者の言葉で自分の中に入ってくる。段々と自分がそのコンテンツを通して得た原体験がぼやけていく。原体験が、他者の言葉で塗り替えられていく。
だから僕は、本でも映画でもアニメでも、自分が触れたコンテンツを他者の言葉の下に露出させない。その前に、自分の原体験を、自分の言葉で言語化して、自分だけの城を築き上げる。
誰の目に触れることもない、自分の体験を積み重ねて出来た、自分の城。それが自分の核となって、明日を生きる僕の原動力になる。
言葉は、人類が今日の文明を築き上げるにあたって得た、最初で、最強の武器だと思う。言葉なくして僕たちは生きられない。言葉に僕たちは生かされている。
でも、今の時代は、言葉が溢れすぎて、言葉に価値を見出し辛くなっている。AIは、無限に無機質な言葉を並べてるし、インターネット空間には無責任で、野放図な言葉で溢れかえっている。誰もが言葉の力に溺れ、言葉の力を見失っている。
そんな時代で、他者の言葉を内面化せずに生きていくのは難しい。テセウスの船のように、自分を構成する一つ一つが他者の言葉に置き換えられていく。何を考え、何を感じ、何を思うか。全てが他者の言葉の影響下にある時、それは本当に自己と言えるだろうか。
だから僕はこの奔流する時代の中で、自己を見失わない為に、自分の体験を他者の言葉に譲らない。それが言葉を使って今日まで文明を進めてきた人類の歩みを、更に加速させることだと信じているから。
今日も僕は、自分が体験したこと、見た(観た)ことを自分の言葉で書き綴る。誰の目にも触れない、自分だけの城が、また一日分築き上げられる。この言葉の城のお陰で僕は明日を生きることができる。
自分の言葉に生かされて、僕は未来を生きることができる。