私の信仰

金川晋吾さんの個展「祈り/長崎」を見にいった。祈りの地長崎と言われる長崎の、キリスト教の像や、宗教ではない長崎の平和祈念像、自身の身体や家庭の中での信仰の様子などが写真で写されていた。
その写真は被写体と距離があり、長崎の平和祈念像などはどこかのっぺりとしてその過剰な肉体の表現とはギャップのあるのっぺりした顔の間の抜けた感じなどが目についた。そこに威厳はなく、奇妙な像とさえ見えた。
被写体との撮影者の距離感は、「見つめる」けれど決してそこに交わらない、撮影者の物、人、風景とのスタンスを感じた。

「神を信じるということは、信じるか信じないかのどちらかにはっきりと切り分けられるようなことではない。信じるということは、信じようとすることや信じたいと思うことであって、それはつまり信じるということのなかには、信じられないということも含まれている」

金川さんの個展の文章にあったこの言葉はなんとなくわかるような感じがあった。

わかるというのは自分の実感として割と近いものを感じということ。

私は子どもの頃から原罪意識が強かった。小学生くらいから高校生くらいまで、とにかく自分の無価値感、生きているのが申し訳ないような感じが強かった。それは現実的な能力や人間関係とは関係なく、理由なくあらかじめ「ある」ものであった。

小学生の低学年の頃だったか、羽仁もと子にハマった母親が日曜教会に私を連れていくことがあった。何回通ったか忘れたが、そこで賛美歌を歌ったり新約聖書を読んだりした。

私はその賛美歌の歌の一節「どんなに小さなことりでも神様は愛してくださる」という言葉に涙が出て、夜、布団の中に入っても眠れない時に口ずさみ涙を流しながら寝ていた。(軽く不眠症だった)

原罪意識の強い人間にとって、神様の存在は、自分の肉体をすり抜けて誰も触ることのできない体の内側の「心」の部分までするっと触れることのできる唯一の存在だった。

私はその時、神を信じるというよりも信じようという気持ちを持つことで楽になる感じ、を知ったのだった。

実際に神様がどんなに小さなことりでも愛してくださるかどうかはわからないけれど、そういう存在を信じることで、自分のこの苦しい原罪意識から束の間救ってくれる存在として、私はその賛美歌を口ずさみながら眠れない苦しい夜をやり過ごしていったのだった。

中学生の時、進路を決める時に私は地元から少し離れた高校を志望した。
中学生の時、ヤンキーからいじめられまた男子たちからもいじめられていた私は同じ中学の人たちがいく地元の高校には行きたくなかった。

思春期の中学生男子の残酷さを知った私は、男子のいない高校に行きたかった。そこで、地元の駅から3つくらい離れた、小学校の時の友達が行った私立の中高一貫の女子校に行くことにした。
そこは仏教の高校で、浄土真宗本願寺派の高校だった。しかしその特色を大きく打ち出すわけでもなく、そこは普通の地味な女子校の佇まいをしていた。
校内は幼稚園、大学も附属でついているので敷地が広く、木が鬱蒼と生えていて森のようだった。

毎朝、放送が始まると三帰依文という聖典を唱える習慣があった。

自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上意を発さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍ならん。

意味もよくわからずこの言葉を毎朝唱えていて、卒業してから30年くらいたった今でも唱えることができる。

私は当時この言葉の意味を理解せず、ただ言葉を発していただけだけれど、それでもそれは嫌ではなかった。

それによって仏に近づくような気持ちはなかったが、それでも何かこの呪文めいた言葉を発する時、何か自分に悪くない作用がある気がした。

何かを信じようとすること、信じようとする気持ちを繋げる言葉というのは
自分に何かよい作用をもたらす、という感覚はある。

それは、よるべのない水の中をどこを目指していいかもわからず泳いでいる時に、遠い水面上に当たっている光のような存在というか、その光が見えたことがうれしい、その光を頼りに少し進んでいける、そういうもののような気がする。

そういうことを、金川さんの写真を見て思った。


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