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剣客商売7巻 第1話 春愁

地図のこと

 小兵衛宅へ、島屋孫介がやって来て『後藤角之助を見た』という。
 12年前、小兵衛は四谷仲町で道場をやっていた。
 門人の笠井駒太郎という若者の死体の上に『討ったるものは秋山小兵衛なり』とあった。犯人は後藤角之助と判明。浪人で当時27歳(逃亡)

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地図(画像)

地図1【12年前の事件】

12年前の事件・・・③四谷仲町の小兵衛の道場、⑭表町・飯田道場
④後藤角之助(下手人)の住まい
⑤笠井駒太郎・発見現場、⑥ここで笠井と後藤を見たとの証言アリ
㉑捜査/四谷・弥七宅(武蔵屋)

四谷周辺。㉑先が四谷御門

地図2 〔小野派一刀流・飯田平八郎〕⑳周辺

⑳道場〔小野派一刀流・飯田平八郎〕麻布飯倉
⑧角之助の潜伏先・霞山稲荷(桜田神社)⑪教善寺(恐喝現場)
⑲なぜか度々登場する我善坊谷

麻布周辺。六本木・虎ノ門

地図3 全体図

1)小兵衛の探索 ➀隠宅から、⑦築地経由で⑧霞山稲荷へ。
2)12年前・・四谷の道場周辺・・・地図1(③④⑤⑥㉑⑭)
3)角之助の⑧霞山稲荷〔猿屋〕から⑪教善寺(⑨⑩)。教善寺からは式場を尾行しての(⑪⑫⑳ー⑬の手前で左へ曲る)、⑳道場発見。地図2参照
4)式場が屋敷から現道場へ通ったルート⑮⑯⑰㉒⑱→⑳(⑱の先で逮捕)

データ

◆ 主は「本文抜書」・・「51)」は、文庫本のページ数です。
◆ 切絵図(地名を探すうちに辿り着いたツールですが、池波先生も切絵図片手に東京の街を歩いたそう、とてもうれしかったです)出典:国会図書館デジタルコレクション、部分切り取っています。
◆ ウェブサイト「江戸町巡り」のお世話になっています。すごいです!

12年前(1)・・事件

7)➀小兵衛宅へ、島屋孫介がやって来た。
10)「②愛宕下の通りで後藤角之助を見た」
11)その事件が起こったのは・・・12年前。
 小兵衛は③四谷仲町の道場の主であった。
 門人の笠井駒太郎という若者が殺された。大和・高取二万五千石。植村駿河守の江戸藩邸にいる身分の軽い家来の一人息子。
 犯人は後藤角之助。④四谷千日谷に住む浪人で当時27歳(逃亡)
16)小兵衛は、角之助に余り関心がなかった。小兵衛が道場に出ているときは、めったにあらわれなかったから。
17)⑤千駄ヶ谷の松平肥前守・下屋敷裏の林の中で殺されていた駒太郎の死体の上に、
「討ったるものは、四谷仲町在住の秋山小兵衛なり」と。
17)その後の調べで、同日の夕暮れ近い時刻に、⑥千駄ヶ谷八幡の境内で、笠井と後藤を見たとの証言・・・捕縛へ向かうも、逃亡後。

北が上。左手に千駄ヶ谷八幡、右手に松平肥前守下屋敷

〔猿屋〕(潜伏先)

20)➀隠宅から⑦芝口の薪河岸にある飯屋に入り(五ツ:午前8時)、⑧麻布桜田町にある霞山稲荷の門前 現在の港区元麻布3丁目
※芝口の薪河岸は、現代の築地市場辺り。

 下の切絵図は、麻布:霞山稲荷の周辺。
 赤丸:霞山稲荷の前の道に、左から「サクラ田丁」「同中丁」「同下丁」。霞山稲荷、今の名前は「桜田神社」。
 霞山稲荷の上にある「法雲寺」はあとで出てくるので、チェックを。

北は左。上は東になる。左上に六本木丁。その上の潰れた文字は「芋洗坂」

21)小兵衛が目ざす茶店は、大鳥居に向かって右の端にある⑧〔猿屋〕
 猿屋の裏側を見やった。霞山稲荷南面の木立に接している=裏口からも抜けられる
21)猿屋の真向いにある茶店へ入り、見守った。
22)女あるじは、名をおきん。五年前に亭主と死別、ひとりむすめも病死。
23)⑧霞山稲荷の境内から、ふらりと、後藤角之助があらわれたのである。
 小兵衛は編笠をかぶりつつ、傍を向いた。
 その前の路上を角之助が北へ向って通り過ぎて行く。すかさず後をつけた。
24)角之助は⑨材木町へ出ると右へ折れて、⑫六本木の方へ、ゆっくりと歩む。
 そして、⑩芋洗坂へ出て、左へ曲った。左側に⑪教善寺という寺院がある。

北は上。元図を回転させています。下側、少し左に「材木町」とあり、上の地図とつながる。

教善寺(恐喝現場)

 その境内へ、角之助が入って行くではないか。
 角之助の後から惣門を入り、松の木陰へ身を寄せた小兵衛は、彼方の鐘楼の下で後藤角之助が中年の侍と出会い、何やら語らいはじめているのを見た。(その侍に見覚えアリ)
 中年の侍は、⑪教善寺の裏門から町屋をぬけ、⑫六本木の大通りへ出て行った。
 侍は大通りを東へすすみ、⑬飯倉の榎坂へかかる手前を左へ折れた。
 その右側の一角に、剣術の道場(麻布飯倉)があった。
 ⑳〔小野派一刀流・飯田平八郎〕
 <小兵衛「謎が解けた」>

12年前(2)・・回想

 飯田平八郎直行という剣客は、⑭四谷表町に道場を構えていた。
 むかし、光昌寺という小さな寺があり、それが淀橋へ移ったのち、道場が建った。
26)目の前は、道をへだてて紀伊家の宏大な上屋敷。江戸城の外濠にも近い。
 坂道を曲がりのぼったところの、寺と寺にはさまれた小さな③秋山道場とは雲泥の差(仲丁は何カ所かに分散???)
 飯田平八郎には、⑮下谷・御徒町に屋敷がある8000石の大身旗本・室賀大和守が後盾。いまその道場跡は、喜撰堂という茶問屋になっているはずだ。
※『泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず』に関係ありや?

出典:国会図書館デジタルコレクション 四谷辺図部分

小兵衛、黒幕を知る

 侍の名は式場某。
30)秋山小兵衛は、㉑四谷伝馬町に住む御用聞きの弥七の家へ向かったのである。
<潜伏のきっかけの話が入っている>
32)おかねが竜土町にある遠州屋という油屋の隠居と話しているのを角之助は耳にはさんだ。←利用しようと転がり込む形で
34)角之助は12年前、金50両で小兵衛の毒殺を引き受け、笠井駒太郎を実行役に選んだ(駒太郎は秘密の借金があった)。
37)〔猿屋〕に賊。角之助は即死。

黒幕の逮捕

38)それから3日後のことだが・・・。
 ⑮下谷御徒町にある室賀大和守屋敷の裏門から式場勘右エ門があらわれた。
 待ち受けていた侍二人、式場を守るように寄り添い、⑯御成街道へ出ると、⑰筋違御門の方へ向かった。


 三人が、虎ノ門から⑱江戸見坂へかかったとき・・・市兵衛町から⑲我善坊谷へ出た三人が屈曲した坂道をのぼりかけようとした。
 この坂をのぼり切れば、間もなく飯田道場の前へ出る。
 あたりは大名・武家屋敷がたちならんでい、日中でもさびしい場所なのである。・・・

角之助の所在(式場)

43)式場勘右衛門は妻の墓詣りに⑳麻布桜田の法雲寺へ出向いた。
 帰りがけ、桜田の通りへ出て歩みはじめた式場。向こうからやって来た後藤角之助が、⑧霞山稲荷の門前へ向かって行くではないか。
※妻の加護を感じる。憎むべき式場だが・・・

エピローグ

47)「駒太郎は愛宕下の水茶屋の女に金をつぎ込んでいたそうな」
 小兵衛は、島屋孫介に伝えた。島屋は否定するも小兵衛には苦い記憶がよみがえっていた。当時は些細に思えたこと。
 微風に乗って、桜の花びらがひとつ、居間へながれこんできた。
 おはる、
「あれまぁ・・・とうに、櫻花(はな)が散ってしまったのに、こんな・・・」

見附を調べた。

出典:

江戸城三十六見附(えどじょうさんじゅうろくみつけ)
浅草見附
筋違見附
小石川見附
牛込見附
市谷見附
四谷見附
喰違見附
赤坂見附
虎ノ門
幸橋門
山下橋門
数寄屋橋門
鍛冶橋門
呉服橋門
常盤橋門
神田橋門
一ツ橋門
雉子橋門
竹橋門
清水門
田安門
半蔵門
桜田門
日比谷門
馬場先門
和田倉門
大手門
平川門
北桔橋門
西の丸大手門
西の丸玄関門(二重橋)
坂下門
桔梗門
下乗門
中之御門
中雀門

 飯倉という地名は広い範囲をさす(古い地名)。バリエーションも多い、飯倉片町、飛び地。田舎では根付いているかのように見える寺社の移転も多いようだ。それでいて、坂の名前は追いかけることができる。横丁名も。
 江戸は一筋縄ではいかぬ。

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