武蔵御宿捕物帖-8
あらすじ
辰之助は八王子千人同心だ。日光東照宮の火の番を勤めあげて帰る途中の扇町屋で捕り物に出くわす。その時あった男の笑顔に引っかかって、所沢まで行ってみた。出会ったのは、男とは似ても似つかない小柄な少女だった。
捕り物の男(実は女)は、所沢の岡っ引きだった。相棒と共に町を守っていた。件の少女とは姉妹の間柄。悪い虫なら容赦しない。
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おなつ
辰之助は、大きな駕籠二つに野菜を詰めると、振り分けにして馬の背に乗せた。露の浮いた青菜はつやつやしている。根菜は洗ってひとくくりにして馬の背にバランスよく置く。馬の負担を考えてだ。
まだ夜明け前、いや、丑三つ時をやっとすぎたくらいだ。今日は月夜だからちょうど今時分、明るい。このチャンスは逃がせない。所澤村の市が立つ前に届けたい、あわよくば一目だけでもおなっちゃんに会いたい、というのが、下心だった。
辰之助の家は畑の南側にあり、北側には川がながれている。所澤は北東に向かった先にある。月明かりの中、しばらく川沿いを東に向って歩く。川面がキラキラと光っている。やっと橋だ。橋をわたるともう、多摩ではない。
小高い丘の間の道をトボトボと歩いて行くと、民家が見えてきた。
勝楽寺村だ。けっこうアップダウンがある。
そのまま、谷地を抜けて行く。この辺は田圃が多い。多分沢の水を引いているのだろう。細い道のところだけが乾いているが、田圃はぬめぬめと光り、けっこう深いのだろう。こういう田圃は結構水抜きが難しいと聞いた。
『ああ、この水をうちの畑に引けたらなぁ』
今までは、母に言われて力仕事多めの畑仕事をしていた。
言われたことを最小限。もちろん種まきから収穫まで一通りしていたのだけれど、おけいの見世に卸すためのあれころを考えると、畑のことをまるで知らなかったことに気づいた。小松菜一つ、順調に芽出しができない、追い撒きをしたら、今度は生えすぎた。あれはどうしたことだろう・・・
夜明けは早かった。薄紅色から朱色の薄いのへ。こんなにきれいな日の出は久しぶりだ。
明るくなったころ、おけいさんの見世に着いた。
おなつの顔を一目でもと思いつつ、いやいや、と心を引き締める。
おけいさんにやっとの思いで
「野菜を持ってきたら買ってくれるかい」
と交渉して、今日が初荷なのだった。ちょっと心苦しかったが、新田の百姓とだけ言って、八王子であることは伏せてしまった。だが。もしかしたら分かっているのかもしれない・・・
「遅いじゃないか。もう下準備にかかろうと思っていたのに」
「すみません、昨夜(ゆんべ)の内に届けたらよかったでしょうか」
「いや、うちは朝どりがいいのさ、取り敢えず見せとくれ」
荷をひろげようとすると、
「ちょいと、店先で広げちゃ困るよ、裏に持って来ておくれ」
「はい」
潜り戸を抜けると、裏は石敷きになっていて、大きな石造りの井戸があった。
「すごいだろう、うちの井戸さ」
野菜はすべて買ってくれることになった。売れ残りを市で売っていたらまた時間がかかる、心の中でホッとしながら急いで八王子へ引き返す。
八王子に戻ってくると、もう昼だった。畑仕事をしてきたテイで家に入った。しかし、母の姿はなかった。昼飯だけが台所にあって、すぐ食べられるようになっていた。昼に遅れたせいか・・・今、出たという感じだが、それにしては飯が冷めていた。そうそう、井戸にはスイカがあるはずだ、今朝沈めておいたヤツ。
母に打ちあけて、正式に結婚を申し込むか・・・たぶん、ことわられるだろうなぁ・・・後ろ向きにしか考えられない。
水を浴びて腹ごしらえをすると、千人同心の教場に向った。このごろ、小頭は
「とにかく勉強しろ」
と、うるさく言ってくる。南蛮医学とか砲術とか。キナ臭い話がまわって来ていた。北方から敵が攻めて来る、など、絵空事を言うやつもいる。
そのころ、辰之助の母、お園は、所澤へ向っていた。
どうやら、辰之助の不穏な動きは所澤から帰ってからだと、見当をつけ、その、鍋屋横丁の角の見世、というのに行ってみることにしたのだ。山道をたどって行くと、1時間くらい短縮できる。4時間もかけて着いてみれば、市はたけなわ、そろそろお昼時だ。
角の見世はすぐわかった。所澤の市の様子を聞いたとき、そこだけ曖昧にしゃべっていたのが気になった。蔵造りのちゃんとした店構え。聞いた通りだ。見世蔵づくりの飲食店は多くない。たいていは屋台なのだった。
「ちょっと、失礼しますよ」
口の中で呟いて暖簾をくぐった。中ではちいさなおばあさんが愛想よく迎えてくれた。
「あいよ、なんにしますね」
「ちょっとお昼を、ね(壁に貼られた書き物を見て)じゃ、饂飩で」
「はい」
暖簾を分けて、親方と若い男が2人。
「2・2で」
言って、腰かけた。親方がお園を見て愛想よく声をかけて来た
「おや、ねえさん、こっちでいっしょに食べないかい」
おけいが慌ててでてきて怒鳴った。
「おい、よその客に声をかけるってどういう料簡だい、静かに食いな」
「なんだよ、うるせいな」
それでも、それきり声をかけては来なかった。
お園は出てきた饂飩をおいしく食べた。
声をかけてきた親方とその弟子は、食い終わってそそくさと出て行った。
お園はおけいに声をかけた。
「ごちそうさま、さっきはどうも」
「あら、はい、わるかったね、悪い奴じゃないけど女と見ると見境ないのさ」
「私は大丈夫ですよ、こんなだもの、ふふ」
それを聞くと、おけいの顔が厳しくなった
「そんなこと言うけど、あんたは大丈夫でもね、ああいうのは釘を刺しておかなきゃ、いつか誰かが困るのさ。女だっていろいろだ、弱い女もいるんだよ」
そういえば、いい機会だとお園は、なるべくさりげないように
「そういえば、お手伝いの子は今日はいないの?」
と、聞いてみた。おけいの顔が又厳しくなった。
「ここはあちきが一人でやってる店だ。若いのに用があるなら別の見世においき」
狐につままれたような気になってお園は外に出た。うちの息子は誰を訪ねて来るんだろう?
向いの井戸のところでぼーっとしていると
「どうしました?桶が落ちたのかしら?」
と、優しげな声がした。振り向くと少女が笑いかけてくる
「大丈夫ですか、暑いですからね、ちょっと待ってね」
抱えた荷物を石畳に置くと、桶を井戸に放って、カラカラと滑車を使った。手際よく桶を手元に引き付け、台の上に置いた。そばにある柄杓を選ぶと
「桶はこのまま、柄杓はゆすいで。使った水は川に流して。自分の水を井戸に戻しちゃだめですよ」
いつも言っているセリフなのだろう、淀みなくそういうと、地面に置いてあった包みを抱え直して店の裏手へと歩き去った。
お園には閃くものがあった。きっとこの子だ。我が息子ながらいい趣味だ。おけいが厳しい顔になったのも腑に落ちた。いろいろ苦労をしているのだろう。
あたりをつけたことに安堵し、お園は八王子に戻ることにした。今日は二人の息子は稽古日だから遅くなる、でもそれにしても夜になるわけにはいかない。
市を抜け、角を曲がると小さな常見世があって、簪を売っていた。店先に道具一式を置いて打っているところを見ると、職人なのだろう。少し高価な簪を奮発して、箱に入れてもらった。思いついてもう一つ色違いを作ってもらった。振り分け荷物の内側に入れる。
あとは帰るだけだ。
八王子に着いた頃には日が暮れていた。
『あたしも足が弱ったものさね』
独り言ちして、夜食の支度をする。そのあとで湯を沸かしてゆっくりと汗を流した。今日は教場の日で、辰之助も弟の吉之助も遅くなる。それを見越しての所澤行だった。
「ふん。いつ言う気かね、まったく」
実は辰之助によい養子の口が来ていた。ほんとうは・・・長男だから家を継げというべきかもしれないが、千人同心の身分は不安定で、辰之助の父もお園の親も苦労をしていた。千人同心の仕事の上に、農家の苦労も背負わないとならない。でも、飢饉のときには・・・人には言えないが・・・給米(千人同心の給与)のおかげで命拾いした、と思っている。
「千人同心のところに嫁に来てくれるかなぁ」
今度はこんな心配がこみあげる。
「何やってんだか」
風呂から上がると母に戻って機に向った。この機にも助けられてきたのだ。
この辺りでは、娘が生まれると喜ばれる。娘が二人もいたら家が建つ、といわれるくらいのもので、羽二重が織れるようになったら一人前、腕がよくてタイミングがよければ・・・殿様のご婚礼とか・・・何倍かの金にもなることがある。・・・それは伝説だけれども。
機に向うと無心になる。無心になるといい反物になる・・・息子たちはまだ帰って来ていないけど、さすがに燈心がもったいない。ふっと吹き消すと寝所に向った。
早朝に二人は家に戻って来た。
夜通しの討論なんて初めてだった。江戸から医者と蘭学者が来て、知らない話をいろいろ教えてくれたのだ。
千人同心にはいろいろな人がいて、出入りも比較的自由なのだった。
「おかえり」
母の声に、吉之助が弾丸のように喋りだした。まったく、誰に似たのだか。
ひとしきり喋ると、ニコニコして朝ご飯を食べ出した。
辰之助も隣に座って、こちらは黙って食べている。
二人は着替えると畑へ向った。
母はあたりを片付けながら今の話を反芻していた。なんだか、キナ臭い。
あまり暑い中で畑作業をするとかえって作物にダメージを与える、二人はそこそこに切り上げて、小屋で鎌の手入れなどをした。山に入って粗朶を取って来るという予定もあったのだが、きりあげることにした。
畑から戻ってくると、辰之助が母に声をかけた。
「ちょっと、話がある。いっしょになりたい子がいるんだ。いいかな」
「あんたの気に入った子なら、かあさんはいいよ」
「話はどうなっているの」
「いやまだ、話もしていないんだけど・・・昨日の話を聞きながら迷っている場合じゃないって思い出して」
「ふうん。あんたらしくないね」
辰之助は、小鉄に相談することにした。
すぐに馬五郎にも知れ、馬五郎ことおはるは、おなつを連れ、4人で会うことになった。
「おなつの気持ちはどうなのよ?」
という、妹を手放したくない一心のおはるの一言が、話を一歩も二歩も進めてしまったのは、否めない。
士分である「寺の先生」の養女の形で話は進められ、春には婚礼の段取りが整った。
その話を小鉄にするとき、おはるの目は真っ赤だった。
「おい、俺らも一緒になるか」
まんまる目のおはるにちょっと傷ついた小鉄であった。
「うんっ。一緒になる」
おはるは小鉄の懐が好きだ。すっぽり埋ってフフンと鼻を鳴らした。
独り言ちにおはるが喋る。
「なっちゃん、取られちゃったけど、いいか」
ぎゅっと捕まえて小鉄が答える。
「いいに決まってる。おはるはうちにくるんだ」
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