剣客商売第5巻 第2話西村屋お小夜
江戸そぞろ歩き・地図
このページをひらいてくださって、ありがとうございます。
今回は、第5話第2話「西村屋お小夜」です。
池波正太郎著「剣客商売」は、江戸の町を歩いている気にさせてくれます。実際に歩いてみようと、マイマップを作りはじめました。
お断り:「江戸散歩」がテーマなので、江戸を離れたら対象外としています(力及ばずなんです・・)。旅好きなかた、ごめんなさい。
地図(画像)
地図1 日暮里・上野周辺
今回の話のきっかけとなった妙六寺へのお見舞い。場所は➀
②は、見舞いの菓子「南京落雁」を求めた神田明神下。
➀~⑥見舞の日。⑦⑧は若い二人の実家の話。⑨事件、駕籠を呼ぶ
⑩・⑪捕りもの
地図2
1に収まらなかった⑦薬種問屋、⑩盗人宿・⑪旅籠含む
本文抜書(地図データ)
切絵図で場所を探しながら、地図を作っています。切絵図がすばらしく、また、国会図書館デジタルコレクションの利用は出典を示せばOKとのこと、使わせていただくことにしました。
地図のデータです、よろしければご確認くださいませ。ミスや思い違い、書き落としがありましたら是非、コメントをいただきたく、よろしくお願いいたします。
※「51)」等は、文庫本の頁数で備忘用。ちょっと煩雑でごめんなさい。
見舞い
80)佐々木三冬は、田沼主殿頭意次の屋敷から、三日ぶりに根岸の寮(別荘)へ帰ろうとしていた。
三冬は、➀日暮里の妙六寺に墓守として住みこんでいる留蔵という老爺を訪ねた。井関多田八郎の道場で長年にわたり下男奉公
81)②湯島天神下の菓子舗〔東屋庄兵衛〕方の〔南京落雁〕を買いもとめ、上野山内から、③天王寺へ抜け、妙六寺の留蔵を見舞った。
82)④石神井川用水のながれに沿った道を東へすすみ、⑤金杉新田のあたりから左手の畑道に切れこんだ。
83)東から北へかけて、いちめんの田畑がひろがり、西側は東叡山の木立。そのころの根岸の里の景観は、田園そのものであった。
⑥時雨岡の不動堂の近くまで来て立ちどまり、
右も左も、こんもりとした木立で、行手がひらけてい、川のせせらぎが聞こえた。これは石神井川用水が曲がりくねって、ふたたび、三冬の前へあらわれることになる。小川をわたれば、三冬の寮の裏手へ出る。
お小夜と利太郎
87)あの男は、三冬の寮と竹藪ひとつをへだてた東側の寮に
その寮は、⑦日本橋通り本町三丁目の薬種問屋〔松屋伊兵衛〕のものだ。
90)女は、⑧下谷池の端仲町の書物問屋〔西村屋佐助〕の次女で、名をお小夜。
佐々木三冬の実母・おひろの実家は、これも下谷の五条天神前にある書物問屋〔和泉屋〕、根岸の寮へ移るとき、二た月ほど、暮らしたことがある。
99)夜が明けて、嘉助は⑨坂本二丁目の〔駕籠辰〕へ行き
101)<三冬は賊をカゴに乗せて大治郎宅へ運び、作戦を練る>
104)「伯父ごの和泉屋吉右衛門方へ行き、西村屋の内情を」
105)西村屋さんが池の端仲町へ店を出しなさったのは17・8年ほど前のこと。大坂から・・・(伯父さんの話)
<襲撃あり>
113)飯田粂太郎が出て、浅草・今戸の本性寺へ行き、和尚へ大治郎の手紙をわたした。<本性寺は秋山家の菩提所>
隠れ家
117)⑩武州・豊島郡船方村の古い百姓家
そこは、⑩現代の東京都北区堀船4丁目のあたりになるだろう。
この家は、船方村の百姓・喜左衛門のもの。荒川辺(べり)のこのあたりには、ほとんど百姓家がなく、寺院が点在しているのみで、喜左衛門たちも竹藪に囲まれた家を出て、かなり離れた南の耕作地ではたらくのである。
なんでも喜左衛門夫婦は、20年も前に、先代の夫婦養子として摂津の国(大阪府)から此処へ来たのだそうな。
119)このとき、風に騒ぐ川波を乗り切り、西の方から荒川をわたって来た一艘の小舟が、喜左衛門宅の裏手へ着いた。
124)佐十郎も当時、大坂の心斎橋の三ツ寺筋で〔万草紙本類おろし〕河内屋佐十郎と名乗り、
128)荒川辺の、梅之助一味の〔盗人宿〕では・・捕らえられてしまった。
128)荒川をさかのぼった⑩川ノ口(埼玉県和光市・下新倉)の旅籠上州屋に潜んでいた梅之助はじめ十余名の盗賊も火付け盗賊改め方によって捕らえられた。