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剣客商売第8巻 第6話 秋の炬燵
押上村の片隅、長竜寺を杉原秀は訪れている。和尚は父の幼馴染だ。
長竜寺を辞したお秀は、小兵衛の隠宅を訪ねようとしていた。
十間川沿いの道へ出て、西へむかう。彼方の木立の中から、よろよろ、道へあらわれた男がひとり、泳ぐように両手を前方に突き出したかと思うと、道へ倒れ伏した。続いて、四、五歳の男の子が道へ出て来た。
ほどんど同時に、木立から走り出た男が、その子供へ飛びかかった。
お秀は、とっさに石塊(いしくれ)を投げた。
身を挺して救った男の子を背負い、お秀は猛スピードで隠宅へ向う。
今まで作ったものは「目次」記事にリンクがあります。
切絵図は、<出典:国会図書館デジタルコレクション>です。ありがとうございます。
地図(画像)
全体図(下に、向島図・三田図あり)
香具師が殺しを請け負うという、別のシリーズみたいな展開。
相手を油断させるため、おはるが単独行動するという、おはるファンにはたまらない展開でした❤
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地図の北方:向島・小兵衛宅⑥、下:本所(お秀)➀長竜寺、②③⑤北へ
![](https://assets.st-note.com/img/1697434422339-WRZOTHH7LW.png?width=1200)
地図の南方向。
⑭大野庄作(「先生」と呼ばれる殺し屋。小兵衛と立ち会ったことがある)⑬大野の師匠・・・矢部彦太郎道場
⑨飯富の亀吉(ドラマの最初に子供を殺そうとした男、お秀の蹄にやられた)、⑩白金の徳蔵(香具師の元締)、⑫おさいの実家。
実は、お秀の家は⑦にある。
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地図データ
〇本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。
〇切絵図は「出典:国会図書館デジタルコレクション」です。ありがとうございます。
ことのおこり
258)江戸の東郊、押上村(現・東京都墨田区向島押上町)の片隅の、十間川に沿った木立の中に、①長竜寺という小さな寺がある。(切絵図の下に続く)
切絵図:赤〇周辺、押上村。その上の濃青は、北十間川、右の縦の濃青は横十間川。死んだ男は「押上村の」とあるので、赤丸の範囲内での出来事だと思う。
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右中ほど、法性寺「柳島妙見堂」と呼ばれた。
258)杉原秀は、前日、長竜寺を訪れ、元照和尚がすすめるままに一夜を過ごした。(和尚は父の幼馴染)
いまも、この女武芸者は、⑦品川台町に道場を構え、近辺の若者たちへ剣術を教えている(手裏剣だけは教えぬ)。
260)お秀は、②十間川沿いの道へ出た。道を西へとった。その突き当りは大川である。
④大川へ出て、⑤源森橋をわたり、北へすすめば、やがて隠宅へ到着する。
261)③彼方の木立の中から、よろよろと十間川沿いの道へあらわれた男がひとり、泳ぐように両手を前方に突き出したかと思うと、道へ倒れ伏すのがみえたからだ。
また、ひとり・・・四、五歳の男の子であった。
ほどんど同時に、木立から走り出た男が、その子供へ飛びかかった。
<石塊(いしくれ)を投げて救う、男の子を背負い隠宅へ>
263)⑥秋山小兵衛宅。
お秀が聞き出したのは
「婆やのお家にいた・・・」
と、いうことと、
「ぶんたろ・・・」
という名前だけであった。
278)「押上・・・⑧出村の長兵衛という御用聞きの縄張りでして」
※「出村」は、地図上、押上出村のことと思われる。
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飯富の亀吉
270)その日の夜になっても、飯富の亀吉の熱は下がらなかった。
⑨芝の白金の外れにある常林寺
〔殺し〕をたのんだのは、⑩白金一丁目の正蓮寺門前に住んでいる香具師の元締、白金の徳蔵。
正蓮寺門前の茶屋を古女房にやらせている。
赤沼の儀平
282)その日の夜になって・・・。
白金一丁目の正蓮寺門前にある、香具師の元締・白金の徳蔵の住居で、徳蔵が赤沼の儀平と共に密談をかわしていた。茶店の裏手
283)⑪〔伊藤屋勘次郎〕の息子で四歳になる文太郎の暗殺を、頼んできたのは、これも香具師の元締で、芝から麻布にかけての盛り場を縄張りにしている〔芝の治助〕であった。・・住所不明
伊藤屋勘次郎は、⑪日本橋・大伝馬町の木綿問屋で、43歳になる。
先妻が亡くなった後、お絹に手をつけ、お絹は文太郎を生んで後、急に亡くなった。
その後、勘次郎は、⑫芝の神明宮前の大きな料理茶屋〔松屋安右衛門〕の姪で、おさいと再婚した。
289)大野庄作の剣術の師は、当時、⑬芝の三田四国町に道場を構えていた矢部彦太郎(切絵図の右上 〇四国丁ト云)
292)大野は、いまも亡き両親が住み、自分が生まれ育った⑭芝の田町三丁目の裏道の小さな家に独り暮らしている。(切絵図の中左寄り同三丁目)
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小兵衛の作戦
288)⑮寺嶋の白髭神社の南の鳥居前に〔伊勢清〕
299)⑯木母寺の門前を過ぎたおはるは、⑰大身旗本の下屋敷の間の細道を左へ切れ込んだ。
300)おはると子どもは寺嶋村の畑道へ出て、南の方へ
彼方に見える⑱長崎采女という旗本の下屋敷の塀沿いの道へ荷車が一つ
300)先へまわった赤沼の儀平は、白髭神社の東方三町ほどのところに。
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婆やの家、とは。
308)婆やのおみねは、おさいに疎まれ、⑲本所の小梅代地に住む瓦職人の兄・辰蔵の許へ身を寄せていたが、伊藤屋にいる文太郎の身を案ずること、ひととおりではなかった。
文太郎がおみねを慕って泣くので連れてこられた。
兄・辰蔵が文太郎殺しに一役買ったのは、それから二日か三日のちであった。
309)「ときに、白金のなんとやらいう悪党は、まだ見つからぬのか?」
310)「おそらくは、江戸を抜け出したに違いございません」