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剣客商売第6巻 第6話 いのちの畳針
地図作成中
池波正太郎著「剣客商売」は、江戸の町を歩いている気にさせてくれます。自分でも歩いてみたくなって、地図を作りはじめました。
地図は、各話ごとに作っています。
公開しているものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
※ネタバレあります!ご注意ください。
※「江戸散歩」がテーマですので、江戸を離れたら、地図にしていません、旅好きなかた、ごめんなさい。
では。楽しんでいただけますように。
地図(画像)
地図1 前半(きっかけの事件、小堀屋敷など)
畳針 友之助は、➀本伝寺門前で拾い、④為七が木立に引きずり込まれるのを見、畳針を投げる。③為七の家、⑤友之助宅
⑩小堀屋敷
⑧菊坂の親分宅 富五郎は⑨の大塚の藤兵衛に頼むかどうか悩んだ。
(頼んでいたら、この近さ、きっと発見され、闇から闇)
②薬種屋 友之助は定期的に持薬を取りに行く。
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全体図
⑫湯島天神下・同朋町、友之助と為七の隠れ家。
小堀の若殿(右京利久)は、⑪王子権現参詣の帰りに事件を起こした。
小兵衛はおはると、⑥鬼子母神へ参詣の帰りに見舞いに寄った。
⑧「菊坂の親分」こと、御用聞きの富五郎は、友之助に⑬千駄ヶ谷(渋谷)で命を救われた(その時も小柄を投げて刀を止めている)。
⑦上野北大門町の親分文蔵は、弥七と仲が良い。北大門町は、⑫友之助の隠れ家の目と鼻の先。富五郎(菊坂の親分)は文蔵に会いに行って、帰りに湯島天神参詣、友之助に再会。事情を知る。
⑭菊坂の親分の遺体が発見された場所。
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こうしてみると、江戸のお人は長距離を普通に歩いていたということがわかる。昔の日記等の話を聞いたら、王子権現(すぐ近くに飛鳥山)日帰り、とか、品川まで見送りとか、普通に出てくるそうだ。
地図データ
:主に本文抜書です。※「51)」等は、文庫本のページ数。
:江戸時代の切絵図を参考にしています。
:住所がわかる場合は「江戸町巡り」に教えてもらってます。
為七
235)植村友之助 大塚町・横小路にある➀本伝寺門前で畳針を拾う。
②小石川七軒町・宗慶寺門前にある薬種屋へ行き、持薬をもとめての帰途
236)西へ向かって歩きはじめた。
236)道の南側の木立(男が引きずり込まれ、試し斬りの犠牲になるところを友之助が畳針を投げて止め、大声で「人殺し!」)
236)③大塚町の通りにある炭家・喜兵衛の弟で為七という者だ。
木伝寺門前の道で、人声がしている。
239)家来が抱き起した若侍(目に畳針)をたすけ、木立を走り抜け、④高処の下の畑道へ逃げはじめた。
240)為七は息せき切って、大塚の通りへ駈けている。
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波切不動
240)大塚町の通りを巣鴨の方へ向って行き、護国寺門前へ出る富士見坂を左に見た、その右側に⑤波切不動がある。
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通りに面して、鳥居前の空地があり、横斜めに建っている鳥居をくぐると十段ほどの石段があり、門を入れば、ただちに小さな堂宇の前へ出る。
植村友之助が、いま、住んでいる場所は、この鳥居の傍らにある茶店であった。
242)本伝寺の近くの木立の中で、為七の危急を救った翌朝になると、為七の兄で、波切不動の斜向(はせむかい)に炭屋の店を出している喜兵衛夫婦が、茶店の二階へあらわれ、
244)この日の朝。秋山小兵衛はおはるを連れて町駕籠で⑥雑司ヶ谷の鬼子母神へ参詣をし、その帰途、植村友之助を見舞った。
菊坂の親分
246)〔金貸し幸右衛門〕の事件で、四谷の弥七に協力してくれた⑦上野北大門町の御用聞き文蔵の家へ、ぶらりと立ち寄ったのは、⑧御用聞きの富五郎という男で、⑧本郷・菊坂町に住んでいるところから「菊坂の親分」。
247)菊坂の富五郎は、御徒町まで用事があったついでに寄ったと言い、間もなく帰って行った。
文蔵の家を出た富五郎・・・不忍池のほとりにある〔松桂庵〕という蕎麦屋へ入り、酒を頼んだ。小兵衛が友之助を訪ねてから7日目のこと
248)文蔵へのたのみというのは、⑨大塚の久保町に住む、御用聞きの藤兵衛へ添え状を書いてもらうことだった。
富五郎の家からも程近い、⑩小石川の上富坂に五千石の大身旗本・小堀信濃守利氏のもとへ、かねてから出入りを許されていた。
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250)四日前、呼び出しを受けた。
小堀信濃守の長男、右京利久が、三日前に⑪王子権現へ参詣に出た帰り道、大塚の本伝寺の近くで乱暴された。<で、右京の左目は失明した><その中の一人は知恵の足りない大人・・探し出せ>・・・添え状があれば、見つけ出せるだろう。
だが、自分は文蔵や藤兵衛に説明できない・・・これは自分で大塚へ行くしかない。
湯島の切通しをのぼりはじめた富五郎が、吸いこまれるように⑫湯島天神の境内に入り・・・
254)「久しぶりだな」
と、杖をついた植村友之助が笑いかけた。
254)15年ほど前の夏の夕暮れどきに、菊坂の富五郎は二人の殺人犯を⑬千駄ヶ谷の畑道まで尾行し、危うく殺害されようとしたことがある。
そのときに、当時は、まだ元気だった植村友之助が通りかかり、危急を救い(投げた小柄が耳に命中、動揺した犯人を叩き伏せ)・・・
「おれは、この近くに住んでいる」
256)・・・湯島天神の境内を出た。二人は中坂を左へ下った。右側が幕府小普請方の組屋敷。左側が同朋町の町屋である。
太田屋治助という扇屋の横道を入った突当りの門構えの家。
<次の日、富五郎は大塚へ行くと言い残して帰ってこなかった。その次の日、女房は文蔵宅へ。ちょうど弥七も来ていて話を聞くことに。そのあと、弥七は女房に頼まれた貝を小兵衛に届けに行って、その話を伝えたところ・・小兵衛は友之助の話と符合することに気づく>
弥七、湯島天神へ
266)武家屋敷に囲まれた道を折れ曲がって、中坂の下の方から同朋町へ入り、扇屋の横道へ足を踏み入れたとたん「おや・・?」
御用聞きの勘で、その浪人が怪しいと思う、友之助に伝えると、顔色が代わる。
270)友之助が②小石川七軒町の薬種屋へ持薬を取りに出かけた折、退屈した為七は湯島天神に遊びに行っていた。見られた。
<友之助、小兵衛父子・弥七とともに襲撃に備え・・・>
為七を守り切った。
後日談
市木典馬 湯島からも程近い⑮山本町代地に中条流の剣術道場
菊坂の富五郎の遺体は、⑭千駄木坂下の百姓地の雑木林に
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