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剣客商売第13巻 第3話 剣士変貌

 タイトル画像は、江戸時代のお店カタログ。こういうものがあるんだーというのに気付いたのも、noteの成果。ありがとう!

 秋山小兵衛は、鯉屋にいて、おはるの舟を待っていた。
 そこへ、見知りの女房、お吉が入って来た。お吉は市ヶ谷の菓子舗〔笹屋長蔵〕の後妻。続いて入って来た侍の名は横堀喜平次、15年前、門人の杉原平吉郎を斬殺し、わが道場を捨てて逃亡した男。お吉と横堀は同じ座敷へ。
 座敷女中の話では、ここ二月に三度ほど来、話だけして帰るという。
 小兵衛は後を尾けてみることにした。

 今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
 切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション
 ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。


地図(画像)

地図1 ③鯉屋/お吉と横堀喜平次のこと

 ➀大治郎宅へ来た小兵衛は、②おはるの迎えを待つため鯉屋へ
 ④和菓子屋の女房・お吉と、逃亡犯の横堀喜平が会っていると気づく。
黒ルート:お吉は駕籠で、鯉屋へ喜平次に会いに来ている。
青ルート:横堀喜平次は、深川の船宿・立花から、舟でやって来る。

地図1

地図2 15年前、横堀は自分の道場を持った

 ⑥秋山小兵衛の道場、⑦中西弥之介の道場
 横堀は、中西の道場に滞留し、代稽古なども誠実にやっていた。
 小兵衛の道場への稽古にやってきて、すぐれた腕前だった。
 ⑧北日ヶ窪に、親の遺産と自分の稼ぎだけで、道場を立ち上げた。
※借金やパトロンなどを当てにしない、堅実な経営感覚。当時、六本木辺の土地代は、四谷等に比べて安くもあったのではないか?

 三年後、⑥小兵衛・⑦中西の道場へ来なくなり、二人は心配する。
 その後、⑧横堀は、門人の杉原平吉郎を斬殺し、逃走。

地図3 小兵衛、おはるの舟で後をつける

 おはるが鯉屋へ迎えに来た。小兵衛は、舟で先回りする。
 目的地は、亀久橋の船宿・立花。おはるの舟はその手前の蛤橋の船着きへ。
 赤ルート:おはるさん。⑪蛤橋で小兵衛を下し、⑫又六を迎えに。
 青ルート:小兵衛は⑪蛤橋で下りて、⑤亀久橋の北詰の蕎麦屋で待機。

地図3 江戸時代の「横川」は、南北に流れている/三好屋は左住み、名前だけ出ている

本文抜書:126)横堀喜平次を乗せた舟が、⑤船宿の立花へもどって来た。おはると又六が舟で尾行。
127)⑭富岡八幡宮の表門前の広場には、かなりおおきな船着き場が設けられてい、横堀はそこで下りたという。
<えっと。横堀は、一度立花に戻るも、通過して最寄り駅まで送ってもらったということか?>

地図4 横堀の家

 ⑭富岡八幡宮の参道。一ノ鳥居の手前の、小間物屋と酒屋の間の細道を南へ入った突き当りに小さな木戸門がついた二階屋
※むしろ、上の切絵図のほうが、小説の情景をあらわしている。
 現在の富岡八幡宮は、往時よりも面積が小さいとわかった。

地図4

地図5 翌日、小兵衛は弥七宅へ

 赤ルート:弥七宅は、小兵衛の道場があった、四谷仲町のそばで、現在の隠宅からは、③あたりで駕籠に乗って行くにしても、遠い。その弥七は静岡県に出張中。
 青ルート:小兵衛は市ヶ谷(下の地図の㉚)へ向って歩きはじめる。

地図5

地図6 市ヶ谷八幡宮

 小兵衛は、市ヶ谷八幡宮を詣でる。町人と浪人のイザコザに出くわす。
 浪人は野原甚九郎。小兵衛の道場が四谷にあったころ、懲らしめて追い払った狼藉者だった。小兵衛は『また舞い戻ったのか・・・』と、暗澹たる気持ちになる。野原は小兵衛を見て逃走したものの、まだ起こっていない横堀の見張りより、このような狼藉者をどうにかしたいと考え始めた。

※実は、市ヶ谷八幡付近には、井筒屋と笹屋がある。両店の位置は適当です!だいたい550mくらい離れている、というのが唯一の正確な情報。

地図6

地図7 深川へ

 暴力を振るわれていたのは、『⑱飯田町の煙草問屋〔伊勢屋三右衛門〕の長男・庄太郎』、怪我をしているので、川向こうまで送っていき、駕籠をよんでもらって、深川へ向う(又六に「もう横堀を見張るのは止めよう」と言うため)。 

地図8 深川・又六の家から三好屋へ

 小兵衛は、駕籠で⑫又六の家へ・・「横堀を見張るのは止める」。
赤ルート:別れがたい又六は見送り。二人して⑲相川町の三好屋へ。
 ⑭富岡八幡宮入口で、曲者二人を見かけて軒先に隠れる(○印)
黒ルート:「長虫の甚九郎と浪人が一ノ鳥居を潜るのが見えた」→横堀の家(〇にヨの字辺り)へ。曲者二人は、横堀宅へ泊る。
赤〇(丸の字):又六は知り合いの二軒先の〔丸竹〕を見張り場所に選ぶ。

地図8 一ノ鳥居は、広場にあったらしく、横堀宅は、もう少し北かもしれない。
⑫又六さんは小兵衛を⑲の船着きまで送っていくつもりだった。

地図9 翌日

赤ルート:小兵衛。丸竹出発→⑲相川町の船宿・三好屋へ行き、舟を出させ→大川から神田川の⑳和泉橋(下舟)→徒歩で㉑上野北大門町の文蔵宅へ。
青ルート:野原甚九郎(又六の尾行)。又六は家を突きとめて文蔵宅へ。
 ※すいません!又六のルートは適当です。
(赤点)小兵衛は、横山正元宅を見張りの根城にすることにした。
 小兵衛の戦略の見事!小兵衛は横堀が笹屋襲撃(強盗)と見抜く。

地図9

地図10 横堀喜平次動く。

「一人で家を出て、歩いて㉔日本橋から㉕赤坂へ出て、㉖外堀をまわって、いま、㉗牛込から㉘馬場下町へ出て来ました。丸竹の若い者千吉が尾行しています」

地図⑩ 上野経由の方が近そうだが、自分の道場の辺りを見たかったのだろうか。
外濠をまわり、渋谷川沿いをあるくのは、歩きやすそう・・と思うのだが。

地図11 襲撃の夜

赤ルート:小兵衛・夜明け方㉓正元宅から㉙市ヶ谷御門外〔井筒屋〕へ。
 夜中。㉑北大門町の文蔵が㉙井筒屋の潜り戸を叩く。
黒ルート:「㉒百姓屋を出た三人が市ヶ谷の方へ向っている」
笹屋の軒下へあらわれた人影十二。・・・戸を潜った時点で捕り物開始。
赤点ルート:小兵衛は、横堀喜平次を㉚江戸城・外濠の淵まで追いつめる。

地図⑪

地図データ

 地図の参考としたデータ類を掲載しています。
 本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。

横堀喜平次

107)思川の土橋をわたり、橋場へ出て来た秋山小兵衛。
108)朝から➀小太郎に会いに来て、二時ごろに②隠宅へ帰ろうとしていた。
 おはるが③鯉屋へ迎えに来ることになっていた。
 船宿へ入って来た、④市ヶ谷田町三丁目の菓子舗〔笹屋長蔵〕の後妻お吉。笹屋の名物〔巻狩せんべい〕は小兵衛もつい先ごろ買い求めた。
109)笹屋長蔵・・・先妻は五年前に病死。一人むすめのお里に養子を迎えたのが三年前、養子の名は伊太郎。
「一昨年の春に迎えた後添えでお吉と申します」
111)おはるが着き、土間へ出た小兵衛は、入ってきた侍の顔に驚く。
 お峰へきくと、二月ほどの間に三度ほど、此処で会っているという。そして侍は・・・
「⑤深川・亀久橋の船宿の立花の舟でおいでになります」
113)侍の名を横堀喜平次という。二人は一刻ほど語り合って別れ別れに去って行く。二人は猥らなまねをしていたわけではない。

15年前のこと

114)15年前、小兵衛は⑥四谷・仲町に道場を構えていた。
 当時、横堀喜平次は⑦牛込の原町に中条流の道場を構えていた中西弥之介の食客であった。中西に気に入られ、三年ほど滞留し、代稽古をつとめるまでになった。
116)「ようやくに宿望を達し、自分の⑧道場を、もつことができました」
 横堀は、⑧麻布の北日ヶ窪の百姓家を買い取り、道場を建てた。
 中西も小兵衛も、一種特別の不安を感じた。
119)三年後、横堀は、ふっつりと姿を見せなくなった。
120)そして、門人の杉原平吉郎を斬殺し、わが道場を捨てて逃亡してしまった。

⑤亀久橋

122)小兵衛は後をつけてみることにした。
123)⑨大川から⑩仙台堀川へ入り、東へ向って行くと、三つ目の橋が⑤亀久橋だ。(船宿・立花は、亀久橋の袂

 小兵衛は、その手前の⑪蛤町の船着き場へ舟をつけさせ、鰻売りの又六をよんできてもらった。⑤亀久橋を北へわたり、〔万屋〕という蕎麦屋へ入った。
124)おはるが又六を連れて、万屋へあらわれた。
 又六は、もう三十歳。老母と⑫島田町の長屋に暮している。

126)横堀喜平次を乗せた舟が、⑤船宿の立花へもどって来た。おはると又六が舟で尾行。
「⑬入舟町の鮒芳の二階で待っていよう」←三十三間堂の前。青マーク

横堀の家

127)⑭富岡八幡宮の表門前の広場には、かなりおおきな船着き場が設けられてい、横堀はそこで下りたという。すぐ又六が後を尾けた。
128)⑭参道。一ノ鳥居の手前の、小間物屋と酒屋の間の細道を南へ入った突き当りに小さな木戸門がついた二階屋があった。
(調査結果)中年の侍は堀内某という学者で、その家は、以前同じ深川・佐賀町の書物問屋〔村田屋治郎兵衛〕の別宅であったものらしい。

弥七の不在(出鼻を挫かれ)

130)翌日、小兵衛は、⑮四谷の弥七宅へ。弥七不在(相州・小田原)。
132)⑯江戸城の外濠に沿った道を市ヶ谷の方へ歩みはじめた。
(さて、どうするか?)
 ⑰市ヶ谷八幡宮の総門から境内へ入って行った。
133)⑰境内南側の、崖を背負って立ちならぶ茶店の前で、二人の浪人が若い町人を殴りつけている。浪人の一人に見覚えがある。
 小兵衛が「まだ悪運がつきぬのか」
 〔長虫の甚九郎〕と呼ばれていた野原甚九郎、這う這うの体で逃げた。
 若い町人は、⑱飯田町の煙草問屋〔伊勢屋三右衛門〕の長男・庄太郎。
 庄太郎を送りとどけた小兵衛は、⑱伊勢屋で駕籠をよんでもらい(駕籠の中で、もう横堀のことは放っておこうと決め、又六にもそう言うつもり)、⑫深川・又六の家へ着いた。

三好屋へ。

 ⑲三好屋で舟をたのみ、②隠宅へ帰ることにした。
138)⑲深川の相川町に〔三好屋〕という船宿。
 二人は⑭富岡八幡宮・表門の所を過ぎた。
139)小兵衛は、いきなり又六の腕をつかみ、足袋屋の軒下へ走り込んだ。
 ⑭八幡宮の参道、一ノ鳥居を潜る二人の浪人は、野原と連れであった。
 二人は、⑭横堀宅へ入って行く。
140)「又六。またしても、⑭横堀の家を見張らねばならぬことになった」
 又六は知り合いの二軒先の〔丸竹〕を見張り場にしようと提案。すぐ。
 二人の浪人は⑭横堀宅へ泊りこんでしまった。

翌日

 二人の浪人は、翌日、五ツ半にあらわれた(又六尾行)
142)丸竹を出た小兵衛は、⑲相川町の船宿・三好屋へ行き、舟を出させ、大川から神田川へ入り、⑳和泉橋の先の船着き場で舟を下りた。
 徒歩で㉑上野北大門町の文蔵宅へ。
144)又六があらわれたのは七ツ(午後4時)前
144)「㉒早稲田村の茗荷畠の神明さまの裏手の一軒家に住んでいます」

その夜から、横山正元宅へ

145)小兵衛は、㉓横山正元の家を見張りの根城に決めた。
146)又六が駆けもどってきたのは、この日の七ツすぎであった。
「横堀喜平次がこっちへ来ます」
「一人で家を出て、歩いて㉔日本橋から㉕赤坂へ出て、㉖外堀をまわって、いま、㉗牛込から㉘馬場下町へ出て来ました。丸竹の若い者千吉が尾行しています」

襲撃

148)夜明け方、小兵衛はそっと外へ出た。
149)㉙市ヶ谷御門外〔井筒屋〕の中へ入れてもらった。
 この㉙井筒屋から④市ヶ谷田町三丁目の菓子舗・笹屋長蔵方までは五町(550m)ほどの近間であった。
152)夜中。㉑北大門町の文蔵が㉙井筒屋の潜り戸を叩いた。
「百姓屋を出た三人が市ヶ谷の方へ向っている」
153)④笹屋の軒下へあらわれた人影十二。・・・戸を潜った時点で捕り物開始。
157)小兵衛は、〔横堀喜平次〕を㉚江戸城・外濠の淵まで追いつめている。

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