相田先生の物語 雑巾の使い方
お茶をこぼした。そう、私は注意力散漫で、中高生のときは「その特徴をいかんなく発揮」していた。
相田先生の研究室(理科準備室)で、遠慮してお茶碗を机の縁に置いて、あろうことかひっかけた、記憶がある。
そしてすぐ、ぞうきんをひっつかみ、机の下に落ちた滴をぬぐった。そして真上へ机を拭いた。
「逆でしょ、逆」
「おかあさんに教えてもらわなかったの?」
「まずは原因を正さないと」
「掃除は上から下へ」
ええっっと、まぁ、順番はわからないけど、矢継ぎ早に指示が飛んできて、私は茶碗をたて・その周りを拭き・もう一度机の下を拭いた。
いや、茶碗は流しに入れたのか?もたもたと不器用だったのは否めない。
そして私は学んだのだ。貴重な手順を。小学校1年生で学ぶレベルの段取りを。いや、幼稚園生以下か?不器用で溢すこと多いからね。おかあさんが手をかけすぎなければ、もしくは、委縮して何もしない子でなければ、本能的に学ぶのだ。
引っ掛けたと思ったら、素早く茶碗を立て直し、溢さずにすんだらよし。
いや、その前に、茶碗を引っ掛けないほどの位置に・・・机の中程に置いているだろう。
倒したら、それをたてて(倒しそうになったらその前に救えばなおよし)、もしくは流し(お盆があればそっちでも)に放り込み(縁や周りに雫がついているからね)、机の上の水たまりに雑巾を放って吸わせ、もう一枚の雑巾で回りを素早く拭いてしまう。
そのためには、部屋に入ったとき、雑巾・布巾などを確認しておく、自分のポケットにハンカチ類は忘れない。・・・とさかのぼる。
前の行は、慎重な人は必要ない、私みたいな粗忽だけだ。常に確認したがいいのは。
ただ。一度に身に着けた躾けではない、思い出したのだ。先生は繰り返して言っていた。たぶん「繰り返して言っている」と自覚する前に何倍も行ってくれていたのだろう。他の人は出来ていて、出来ている人がやってくれていたから、たぶん、事なかれ主義なら言わなくてもよかった。少数の頑固者のために最後まで言ってくれていたのだろう。
ああ、頑固者の自覚はない。自分は人の話を聞くタイプだと誤解していた。そしてこの年にして、しょうもない子だったのだと気づくのだ。
掃除は上から下。文字の書き順も上から下。上流から下流へ。
原因からただす。こぼした液体を吸い取った雑巾はもう、拭くのには使えない(容量が満杯だからね)、2枚使う(さかのぼって、雑巾・もしくは代替物を複数用意)。
「同じ場所へ戻す」
「やりっぱなしにしない」
「使ったらきれいにして元の場所へ戻す、そこまでやらないと実験は終わらない」
これも口を酸っぱくするほど言われた。つまり、私は治らなかったってことだ。そして、近くに呼んで注意してくれてた。その集大成は「お茶をこぼす」で・・・それから先も失敗を繰り返しているのだから、不肖の弟子のそしりは甘んじて受けないとなぁ。
先生。私は確かにあなたに愛されていたと、あなたが産んだ子どもはいなくても、私もあなたの子どもだったと、いつもいつも思うのです。親孝行できなくてごめんなさい。