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武蔵御宿捕物帖-6
あらすじ
辰之助は八王子千人同心だ。日光東照宮の火の番を勤めあげて帰る途中の扇町屋で捕り物に出くわす。その時あった男の笑顔に引っかかって、所沢まで行ってみた。出会ったのは、男とは似ても似つかない小柄な少女だった。
捕り物の男(実は女)は、所沢の岡っ引きだった。相棒と共に町を守っていた。件の少女とは姉妹の間柄。悪い虫なら容赦しない。
絹市・八王子
八王子は、甲州街道において府中と並ぶ大宿場である。 新町・横山・八日市・八幡・八木・久保・嶌ノ坊・本郷・本宿・横町・子安・馬乗・寺町・上野原・小門の小字から構成され、「八王子十五宿」と総称されていた。
江戸のはじめ、軍事都市として町割りされた。仕切った大久保長安(土屋長安、甲斐の人、代官頭の一人)は、徳川家康の腹心である。
千人同心の仕事は東照宮火の番だけではない。甲州街道・日光街道(日光脇往還)の整備、八王子及び周辺地域の治安維持にも精を出していた。道の整備はひたすらの力仕事だ。たいていの連中の背には天秤棒の豆ができている。
辰之助は、自分は畑が向いている、と思っている。
辰之助一家は郊外に住んでいた。武士の身分とはいえ、住みかは農村そのものだ。畑は、組(小頭の下に100人の同心が付く)の担当エリアが決まっていた。武蔵野台地の中に在って、新田と呼ばれる範囲、新田といっても畑地である。小名木家は林の側のちょっと悪い畑(下畑。その下に下下畑がある)であった。その代わり、林と畑の間の野原で馬を遊ばせたり、林内の雑木を薪にしたり、薬草を増やしたりと、思うままに利用していた。
辰之助は、八王子の町場へはめったに行くことはない。小頭の屋敷へ行くくらいのものだ。その辰之助が所澤の市に通い出したのだから、母でなくても何事かと思う。
それまでは何となく一緒に畑仕事をしていたものを、何やかやと用事を言いつけるようになった。
「ちょっと、八王子へ行っておくれ」
これは、八王子の市へ行けという意味だ。母たち女衆(おなごしゅ)は暇を見つけては織物を織り、絹市に納めていた。畑は夏野菜の端境期だ。じつは所澤の市に野菜を出すことにしたのだ。青菜なら相当積んでも馬は堪えないし、町場は商いや機織で忙しかったから、おかみさんたちが結構買ってくれる。第一、おなつの店に卸すことができる。馬五郎一家は畑を持っていなかったのだ。前回出荷した後の畑を耕して休ませなくてはならない。
届仕事を早く終わらせるのが一番、早朝に出ることにした。
市へ行くと、いつもの商人がいい値段で引き取ってくれた。絹正という老舗であった。
「辰さんよ、江戸へ届けておくれでないかい」
という。今日日は馬方が足りないのだという。自分に声をかけるのはそうとうの事だと理解している辰之助は断れなかった。絹正の主人も、この時間なら往復できると踏んだのだろう。一泊止まりなら駄賃をはずまなくてはならないし、そうなったら赤字だ。駄賃は高いのである。
「いいですよ、どちらへ届ければいいですか」
「よかった、千のお屋敷に子どもが生まれたとかで、白い反物を頼まれてね」
母には、絹正の旦那から手紙を届けてもらうことになった。
馬に積めるだけつんで降る気配もない雨対策もして(絹は水に弱い)、しっかりと結わえた。渡したら10両値の金を預かってくる。
千人同心は名字帯刀は公務以外はゆるされていないのだが、脇差は持ってでてきた、実は、馬の腹に隠すようにしてある。馬の負担になることは本当はやりたくないのだが、以前、与太者に絡まれたときにとっさに身を守ったことがあって、忘れずに忍ばせていた。江戸までは10里。下手すると泊まることになるだろう。
青梅街道に出ると一本道だ。馬の負担にならないよう、ゆっくりと引く。
途中の水場には必ず寄るのが大事だ。絹正の親父が持たせてくれた握り飯を最後の水場でたべた。うまかった。
江戸に着いたら、2時を回っていた。青梅街道は、内藤新宿で終わる。
頼まれたのは前にも行ったことのある屋敷だったから、難なく見つけて届け10両受け取った。馬の腹帯の背側にわからないように隠す。まぁ盗難除けでも何でもない、ちょっと重いので、ここは馬に頼んでしまうのである。
急いで帰路についた。どんなに急いでも、9時くらいになってしまうだろう。青梅街道は町場ばかりではない。この頃は追剥も出るという噂で、用心して江戸へ泊る商人は多い。
半ばまで、ちょっと急いだら、思いのほか距離を稼げた。調子に乗って馬に負担をかけてはいけない。
坂をあがったところで、馬を休ませた。ここを下ると水場に出る。そこでもう一度休ませよう。明らかに空気の気配が変った。なんだかもわっとした圧が茂みの方からただよう。
「おい、何か用か」
何も言わずに刃物を光らせて飛び出す男。杖で払いのける。馬五郎に教えてもらった通りに縄をかけた。どうやら一人ではなかったらしい。ひるんで出て来なかった奴が、仲間を助けに飛び込んできた。そいつも杖で打ち付けて縄を打つ。
坂を下ると水場で、近くに農家がある。この農家の親父とは顔見知りだった。辰蔵という、同じ辰なので互いにすぐに名前を覚え、貴重な水場であり馬を介しての馴染みなのだ。
二人を木に縛り付けて、農家の親父・辰蔵に岡っ引きへのつなぎを頼む。
どちらにしても迷惑をかけることになる。覚悟を決めて、岡っ引きを待つことにした。それにしても馬が心配だ。
帰って来た辰蔵は、岡っ引きに2人をひきわたした。
「辰之助さん、今夜はここへ泊るのがいい。馬を休ませないと」
「悪いがそうさせてもらう」
辰蔵に2朱ばかり渡して頭を下げた。
「少ないが取っておいてくれないか、後で改めてお礼にきます」
「いいんだ、千人同心からはもらえないよ」
「そんなこと言わないでさ、いつも助かっているんだ」
先ず馬を休ませて、荷を一塊にして抱えて家にもどった。
辰蔵は土間の西に設えてある広い畳の間に床を敷いていた。
「辰蔵さん、座敷は申し訳ないよ」
「大丈夫、ゆっくり休んでください」
おかみさんが握り飯を運んできた。
「何も食べてないんじゃないかと思ってね」
「ありがとうございます」
次の朝、岡っ引きが顔を出して、いろいろ事情を話て行った。ここの所何件も被害が出ていた追剥二人組だった。抵抗する者もいなかったので、いい気になっていたんだろうと岡っ引きの言うことだが、どうして早く取り締まらなかったものか。