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武蔵御宿捕物帖-3

あらすじ

 辰之助は八王子千人同心だ。日光東照宮の火の番を勤めあげて帰る途中の扇町屋で捕り物に出くわす。その時あった男の笑顔に引っかかって、所沢まで行ってみた。出会ったのは、男とは似ても似つかない小柄な少女だった。 捕り物の男(実は女)は、所沢の岡っ引きだった。相棒と共に町を守っていた。件の少女とは姉妹の間柄。悪い虫なら容赦しない。

市に潜んだ悪いヤツ1

八王子千人同心村

 さて、八王子に戻った辰之助は、あれから夢見が悪くて仕方がない。
 男姿の岡っ引きの横顔が女に見えて、しかも、口の辺りに黒子がある。それが夢に現れて、ふふ、と笑うのだ。
 火の番は、一回が50日(往復を含めると60日、二カ月)とハードではあるが、残りの300日は出役(臨時の仕事)がない限り、畑に出たり山仕事をしたりの、郷民として暮らしている。士農の別が厳しい江戸時代にあっては特殊な集団といえるかもしれない。八王子千人同心は、甲斐ルートで攻めて来る敵を迎え撃つために八王子に住まっているという、その初期の設定を守っている、200年も誰も攻めては来なかったが。火の番という、厳しくも規律のある仕事のせいに違いない。剣・弓の訓練はもとより、教育も厳しく、農学については往来を中心に学び、堀やため池などの土木工事もかなり深く学ぶ。長じては寺子屋の師匠になったり、医師としての訓練を受けたり、文学に傾注したりと、なかなか人材豊富である。

 さて、夢の女の話である。きっかけは、扇町屋での捕物騒ぎ。

 扇町屋で大柄な岡っ引き(わざと名を聞かなかった)からもらった手ぬぐいは、所澤の祭りの柄で、肝煎が持つものだった。ちなみに、もう一人、馬五郎は向うが勝手に名乗ったのだ。
 所澤の市日が立つ三日をめがけて行くことにした。
 わざわざ山まで行って桑の枝を取って来、それを束にして馬の背に縛る。
「ちょっと行って来るわ」
「何もさ、所沢まで行くことはないよ、馬がかわいそうだ」
 母は相変わらず<意味が解らない>と渋面を作った。夕べ、出かけるといって以来、引き留めにかかる。
 ・・・何でおっかさんにはわかるのかなぁと辰之助はちょっと後ろ暗い。

所澤三八市

 考え事をしていたせいか、所澤にはなんということもなく着いてしまった。
 三八の市は噂通りの賑わいだ。仲見世は、筵(ムシロ)敷きで、通りを・・・井戸から井戸までの一角を埋めている。
 所澤の大通りには井戸が3つ掘ってあって、それをつなぐように水路が通っている。2番目の井戸と3番目の井戸の間の水路の片側に仲見世がならび、常見世の前の軒見世と向かい合わせになっていた。
 仲見世のないほうの常見世は開いていて、小間物屋とか穀屋の看板が出ていた。昔は民家だったと聞いているが今は店をやっているらしい。八王子にも市が立つが、ちょっと殺気立って感じるほどの勢いで、いとこと行って以来敬遠している。所澤の市は、なんだかほんわかとしていて、「ぼろ市」と呼ばれている通り、古物が多い。そんなアットホームな市のありようが物珍しくて、馬を引きながらウロウロしていると、
「兄さん、桑を売る気かね?筵を借りてもらわないと」
 背の低い男が声をかけてきた。
「頼むよ、世話役さんはどこだい」
 平静を装って、いとこに連れて行ってもらった八王子の市を思い出しながら声を出した。あの時は母に頼まれて織物を持って行ったのだった。声がかすれてしまうのは仕方ない。我ながらなんてざまだ。
 世話役はすぐに向うから走って来た。どうやら男が合図したようだ。
「初めてかい?」
 世話役という男はまだ若く、快活に聞いてきた。
「ここははじめてだ」
 いつものペースがもどって来て、普通に声が出た。
「まず、馬を預けて来るから」
 というと、筵を渡すからそれを見せれば、係りが案内するという。
 金を払って筵をもらう。場所の説明も聞いた。どうやら角座が高いらしい。

 馬立場に行くと、すぐに男が馬をつなぐ場所に連れて行ってくれた。
 飼い葉を買い・水を飲ます。馬は落ち着いていた。
 桑を下ろして荷造り直して背に背負うと、なんだか自分が何をしているんだ感が増して、笑い出してしまいそうだった。
 桑の場所(座)を探した。
 すでに数人が取引を始めていた。
 決められた場所に筵を敷くと、桑を積んだ。馬の背に積んだときは多すぎるかと思ったのだが、店を構えて売るとなったら頼りないほど少ない。あれあれ、である。
 隣の男が声をかけてきた。
「兄さん、これで全部かい?筵がもったいないなぁ」
 その後、言いにくそうに続ける。
「おれが全部買ってやるから、筵を売らないかい」
という。どうやら、ライバルがいないほうが良いと判断したらしい。
 最初から商売っ気の欠片もない辰之助は渡りに船とその話に乗った。
「兄さんさ、これっぱっかの売りならさ、俺らに声をかけて売りこみゃあいいんだ、筵代が浮くよ」
 筵代と桑代とで、飼い葉代や買い物代(これから買うんだけれど)を引いても黒字になった感じだった、ちょっと色を付けてくれたのだろう。
「ほんとにそうだ、ありがとう、俺は辰之助だ」
「おうよ、こちとら仙造だ、また頼むわ」

 良い身なりの農家と思しき男がまっすぐに来て、
「柔らかいヤツはあるかい」
と聞いた、仙造との話はそれきりとなった。

夢の女

 表向きの用事は済んでしまった・・・ぼんやりと井戸端に佇んでいると、「どうしました?お水飲みますか?」
と後ろから声がかかった。振り向くと、夢の中に何度も出てきた顔が笑っている。
 心臓が飛びあがった。
 小柄な少女が、何を驚くという顔・・・一瞬、目をまんまるにして、もう一度笑顔になった。
「桶がわからないのでしょ、誰かが落としちゃったんだわ、ちょっと待って」
 からからと滑車の音がして、たっぷりと水が入った桶があがってきた。 井戸の水を汲むのはコツがいる。どうやら名手のようだ。適当に柄杓を拾うと、渡してよこした。桶は井戸の縁にある台に置くのが決まりらしい。
 笑顔が眩しい。口の端に小さな黒子。

「桶はこのまま、柄杓はゆすいで。使った水は川に流して。自分の水を井戸に戻しちゃだめですよ」
 いつも言っているセリフなのだろう、淀みなくそういうと、地面に置いてあった包みを抱え直して仲見世と反対側のほうへ歩き去った。見るともなく、なんてはずがない、目を外すこともできずに後姿を追っていると、角の店へ、いや、店先ではなく裏の木戸に入って行った。
 思わず足が動いて店前まで行くと店の裏から声がきこえた。
「おばさん、青豆買って来たから」
 しわがれた声が答える
「おかえり、遅かったじゃないか、つまみが足りなくなってしまう」
「大丈夫、すぐだからねー」
 それきり会話は終わって、水の音がした。

手ぬぐい男

 あのときの男ではない。容姿も声も違う。閃くような笑顔だけがおんなじだった。
 混乱したままぼんやり井戸に戻った。帰るしかない、とだけ思っていた。
 焦点の定まらない目の端に何かが動いた。
 仲見世通りを男たちが擦れ違っていく。たいていは下に向って歩いているのだが、逆らうようにわざらしく揺れながら歩いてくる若い男。
「おっとごめんよ、通してくんない」
 派手な手ぬぐいを首に結わえた若い男がするっと人込みを抜けて路地へ入って行った。派手な手ぬぐいだけが印象に残った。ぶつかられた男は先程桑を買っていた良い身なりの農家の男だった。それにしては何も持っていない、先ほどもちょっとだけ違和感があったのはそれだ。市に買い物にきたにしては身軽な身なりで。しかも、着物は辰之助から見ても上等だった。
 そいつはぶらぶらと市を冷やかしながら、何買うでもなく歩いてい、時間つぶしをしている風な?
 自分がやっていることに思い至って赤面すると、男を観察するのをやめて、馬立場へ行こうと踵を返した。

「いや、買うよ、買う。だけど財布を落としてしまったらしい」
 先ほどの農家風の男のろうばいする声に振り向くと、小間物屋の前に小さな人だかりがある。男は簪を買ったらしい。花簪は、耳かきの形のベースを買って、それに小さな花手毬の好きなのをつけるのが流行りだ。そこまでやらせておいて、金がないと騒いでいるのだ。
「もう売り物にはなんないんだよ、どうしてくれるんだい」
 辰之助には閃くものがあった。というのも、八王子の市でもそんな騒ぎがあった。そのときは、何人かがいつの間にか財布を無くしていたのだ。
 旧来のおせっかい気質が働いた。
 小間物屋と男の間に割って入ると、見物客に声をかけた
「ちょっと待ちねぇ、みなさんもお手元を確認してみてくれませんか」
「あ、俺も財布がない」
「おい、小鉄を呼べ」
 地元の商人らしい男が仕切り出した。侍の拵えの男が近寄って来た。
 辰之助は先ほど消えた男の曲った路地へ一散に走って行った。
 路地は崖で止まっていた。崖前に細い道が東へ向って続いていて、正面に稲荷の祠があった。稲荷の祠の前でうろうろしていると、祠の右手に細い隙間、それは祠を巻くようにできた細い道。崖は稲荷のところで切れていて、ちょっと後に隙間があった。そこを除くと、道である。崖を斜めに横切って上へつづいていた。ひょいひょいと身軽に上がって行くと、崖の上は立派な道になっていた。西へ目を投げると、遠くに大寺院が見えている、実蔵院だ。
 正面には、はるか向こうに川が見える。柳瀬川に違いない。柳瀬川に向って・・・道の辺りは平だが、徐々に下がって行っている、尾根道ふうに東西に続いているものの、木がまばらに生えているだけに見える。
 ぐるりと目を回すが東側にも何もない。いや、一丁ほど先には人家が見えている。坂下を見ると、坂稲荷の赤い鳥居が見える。坂稲荷というだけあって、市が開かれている仲町からはだいぶ坂上、市から続く道をもう少し上がればこの道と合流するのだろう。そうか、あの町並はその道に違いない。
 どうやら、だいぶ東に来ているようだ。

 さて、どうしたもんだろう。

 短気な自分を呪ったけれど、またあの細道をたどって崖下へ行くのは願い下げだ、膝や肘の赤いしみは取れないに違いない・・・道をたどれば下へ行く道はあるだろう。実蔵院に向って歩き出した。
 がさがさと音がするので振り返ると、派手な手ぬぐいの男が崖下から上がって来た。手ぬぐいは持っていなかった。本能的に木の陰に隠れる。
 ちっ
 オレは悪いことをしているわけじゃないのに。

 男は左右をゆっくながめ、満足そうに首をすくめると、まっすぐ前に向い、道路から飛び降りた。
 飛び降りた?茂みのせいで平らに見えている道路の路肩。どうなっているんだ?
 
 崖の上の道は、尾根道のようで、左右に低くなっていた。といっても、ほぼ平らなのだったが、東に向かう、その一角だけがえぐれたようになっていて、掘っ立て小屋が一件。屋根が道路すれすれにあった。辰之助は木蔭と茂みで隠れたようになっていることを後で確認した。
 そのときは慌てて道を横切って、下を覗くようにしてみたところ、もう少し西へ行ったところから斜めに下へ降りる道があり、その先に件の小屋があった。道も茂みに隠れたようになっている。上手に隠れた?それは変だ。
 そこまで来て、何となくからくりがみえた気がした。
 誰かに知らせなくてはならないが、疑いだけでは難しい。だが、探りを入れようとしてこの道を辿れば、見つかってしまうだろう。土地勘もない。

 仕方ないので、先ほど来た崖の道を戻ることにした。少なくとも、あの若い男に会うことはない。
 稲荷のところまで降りて来てさっきなかった木の葉の山があるのに気づいてそっとめくると、沢山の財布が見えた。疑われると困るからそっとそのまま、町へもどった。
 そのとき、一刻も過ぎてしまったことに気づき、馬の様子を見に行った。

馬立場

 馬立場は、混んでいた。様子を見に行って正解だった。普段静かな環境にいる馬は不安そうに眼が動いている。
「あら、お侍さんだよね、扇町屋の」
 弾む声に振り向くと、馬五郎がいた。
 え?
「あははっ、男だと思ったんでしょ、扇町屋で。
 馬五郎の名前はおとっつあんからもらったもんさ。あたしはおはる」
 愕きからやっと立ち直って
「じつは・・・」
 と語ると、おはるの顔が馬五郎の顔に戻った。
「すぐに小鉄に知らせるんで」
 声も低い。あっ、と思った。小鉄とはあの大柄な岡っ引きのことだろう。岡っ引きは組んで動くもんだと聞いたことがある。

 馬をなだめているうちに、小鉄が姿をあらわした。やはりあの男だった。
 場所を聞き取って、顔がさっと青くなった。いわくつきの家らしい。
 小鉄に話す間、馬五郎は新之助の馬を見ていた。
「うちにさ、連れて行ってやろうか?そうとう、いらいらしているよ」
「そうなんだ、慣れない場所でおだってしまって」
 暴れ馬になったら命を失う。じつは新之助はそのことに焦っていたのだ。馬は財産と一緒だ。ここで失ってなんとしよう。朝の母の顔も浮かぶ。渡りに船と、すぐに縄を解いて外へ連れ出した。馬の歩き方が変だ。あぶなかった・・・なだめながら歩かせる。
 おはるの家は、家といっても名主の家の端っこの小屋なのだが、その裏に厩があった。おはるは名主の馬の面倒も見ているといった。広くて静かな厩だった。馬五郎とはそうした名なのだ(おはる自身も先祖が馬借と言っていた)。
 『ここだって、慣れない環境だよな』と辰之助の心の声。まぁ商売馬の勘気に触れるよりずっといい。

「辰之助さん、後はこっちでやらしてもらう。ありがとうございやした」
 小鉄のきっぱりとした声に、辰之助の気も定まった。ここは身の引きどきだ。何かあって千人同心・親分に知れたら、越境の責めは免れまい。
「こっちこそ、いろいろありがとうございました」
 さっさと帰る支度に戻る。
「まぁ、そう急がずに」
 馬五郎がおはるの顔に戻っている。

「ねぇさん、お昼持って来たよ」
 戸口の外から涼やかな声。
「ありがとうね、お前も一緒に食べるかい?」
「うん、おけいさんが食べて来てもいいってさ、あたしの分も持たせてくれたの」

 辰之助の顔を見ておなつの目がまんまるになった。みるみる頬が赤くなる。辰之助の動揺も、まぁ・・・ありありではある。

 おはるのこざっぱりとした小屋で弁当がひろげられた。
 小鉄とおはると、おはるの妹のおなつ。
 おなつがおはるの妹と聞いても辰之助は驚かなかった。
「水をありがとうございました」
「ご縁があるねぇ、姉さんの知り合いだったなんて!」
 5人は改めて再会の挨拶を交わしたのだった。

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