剣客商売第7巻 第2話 徳どん、逃げろ
私にとっての「はじめの一歩」
池波正太郎著「剣客商売」には江戸の町の空気があって。自分の足でも歩こうと、地図を作りはじめました。各話ごとに作っています。江戸以外が舞台の話など、抜けているのもあります。 ※&ネタバレあります※
今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
切絵図の出典は、国会図書館デジタルコレクションです。出典を明示すればだれでも使っていいそうで、私にとってとてもハードルが低かったのです。ありがとうございます。
「徳どん、逃げろ」は、初出箇所がそんなに多くないのですが、『六道の辻』がどこか知りたくて、作りはじめました。六道って『業とか輪廻転生とかの六の境涯』なのだそう。なんだか・・・道を選ぶのを間違えると大変なイメージ。というか、意志では選べないのかもしれない。
池波先生は、さりげなく「青山の六道の辻は、六筋に道が分かれている中心地点なので、その名称があるのだろう」って。
では、机上ツアーを始めさせていただきますね。
! 炎暑を越えて、良い季節になってきました。先に歩いてくださった方、ご近所でいつも行かれている方、おしらせください。
「六道の辻」地図とデータ
「六道の辻」検索
まずは、『江戸町巡り』サイトに聞いてみる。
『青山長者丸辺図』に「六辻町 ○六道ノ辻ト云」とある。六道の辻周辺の武家地をそう呼んだのであろう。現・新宿区と現・港区の2区に跨る。
四谷、千駄ヶ谷、鮫河橋、権田原、青山御炉路町の方への往来と、青山甲賀組百人組屋敷(青山甲賀町)への小路とを合わせて6筋の道が分かれていた。
現在は・・・2019(令和元)年10月20日現在、六道の辻は旧神宮軟式野球場の内で、オリンピック陸上競技のトラックを造成中、とのこと。
2023(令和5)年10月20日現在。やっぱりここでよかったのだ。
六道の辻・地図
前の地図を切り取ってみたら。駒太郎の遺体が見つかった雑木林が入ってしまった。冥府の入口という六道の辻、とりあわせがなんとも。
ここに集まる6つの道については、江戸町巡りに詳しく。
「四谷、千駄ヶ谷、鮫河橋、権田原、青山御炉路町の方への往来と、青山甲賀組百人組屋敷(青山甲賀町)への小路とを合わせて6筋の道が分かれていた」
④に道は、現在は赤坂御所の西の道。南へ行くと虎ノ門の方へ出る。⑤の道も南へ、青山二丁目から西麻布の方かなぁ。
⑥は小路(辻褄合わせのような‥)
切絵図 「青山甲賀百人組屋敷への小路」
「青山甲賀百人組屋敷への小路」についての資料
この図の百人組?
青山百人町で検索したら。下の図にヒット。真ん中の道に〇百人町ト云とあり。上の図のあった「青山渋谷絵図」、百人組の前の道の先に展開。善光寺は現在も〒107-0061 東京都港区北青山3丁目5−17にあり、移転していなければ、ここでいいと思う。
切絵図・六道の辻
六道の辻は、地図の端っこでした。
検索したら ガイドに「青山一丁目六道の辻」と浮かび、それを手掛かりにもう一度検索。なし。切絵図にはここしかないみたいです。
「徳どん、逃げろ」地図(画像)
1.賭博場で、傘徳は八郎吾と出会う。
2.盗賊・八郎吾は、傘徳も盗賊と見きわめ、一緒に鐘ヶ淵の爺様の家を襲おうと誘う。④六道の辻の菜飯屋(盗人宿)
3.小兵衛宅へ盗みに行く日。八郎吾は南をまわるコース⑤~⑨を選択。
4.⑩我善坊谷から来た一団に見とがめられる(傘徳が⑪で捕らえ損ねた盗賊)
5.八郎吾と傘徳は夜の8時に⑫料亭から⑮舟へ
八郎吾はお上の御用をする傘徳を盗賊と思いこみ、手を組む。
傘徳をお上の手の者と知る浪人・田島(大久保と組んで押し込み狼藉)は、傘徳を殺そうと追いかける。義の人であるべき侍が地に落ち、盗賊八郎吾が傘徳を守り切る。ねじれにねじれた話に見えるが、女房と再会した八郎吾の最後の言葉は切ない。
「徳どん、逃げろ」地図データ
本文抜書+切絵図
:「51)」は、文庫本のページ数です。
博奕場で見込まれて
50)傘屋の徳次郎は、➀千駄ヶ谷にある松平肥前守下屋敷で博奕をやっていた。
松平肥前守治茂は、九州の佐賀三十五万七千石の城主。上屋敷は日比谷御門外。その他に別邸が三つある。
54)松平屋敷を出た徳次郎は、畑の道を北へ向かった。
57)「大川の向こうの②鐘ヶ淵に爺さまが若い女房と二人きりで・・・」
58)早朝、③四谷伝馬町の弥七の家(報告)
62)昨夜あれから、④青山の六道の辻にある菜飯屋へ連れていかれ裏二階で酒を飲まされた。
下見・前日
63)②小兵衛宅・・弥七。松の上には二人の盗人
64)④青山の六道の辻は、六筋に道が分かれている中心地点なので、その名称があるのだろう。
幕府(こうぎ)の組屋敷や武家屋敷に囲まれた小さな一郭に町家があり、盗賊・土橋の八郎吾が、いま、寝泊りをしている菜飯屋も其処にあった。
78)「明日、この盗めを終えたら、その足で、上州の高崎へ突っ走り、また一仕事をして、中山道を美濃の太田へ出る。そこでまた一つ、盗めをしてから、尾張の名古屋へ行き、盗めをしてから、江戸へ帰ってくるのが、来年の春ごろになるかねぇ。どうだね、徳次郎どん。いっしょに来ないか」
当日
79)その翌日
八ツ半ごろに④六道の辻の菜飯屋を出た。
80)青山の通りへ出たとき・・・
81)二人は、⑤飯倉の通りへ出てから、⑥右へ折れた。
八郎吾は、⑦麻布の市兵衛町から、⑨赤坂の溜池へぬけるつもりらしい。
82)道が、⑧南部遠江守屋敷の塀へ突き当り、二人は左へ曲った。
邂逅
と、そのとき・・・。
⑩我善坊谷の方からあらわれた四人づれの、いずれも編笠をかぶった侍のうちの一人が、
「あ・・・」
83)「⑪下目黒で、大久保さんを捕えたやつらの中のひとりにちがいない」
八郎吾と傘徳、舟へ
84)夕闇が淡くただようころ・・・⑫浅草・山谷堀へかかる今戸橋に近い〔二文字屋〕という料亭へ案内した。山谷堀に面して船着場あり。
山谷堀は、石神井用水、根岸川の末流であって、今戸橋からすぐに大川へながれこんでいるのだ。
86)二人が二⑫文字屋を出たのは、五ツ(午後八時)をまわっていたろう。
86)「舟は、⑮正法寺橋の向うに、ちゃんと舫ってあるよ」
山谷堀をはさむ両岸には、料亭や船宿が軒をつらねているし、堀川をさかのぼって日本堤から新吉原の遊里へくりこむ客もいる。
二人は、山谷堀の中河岸を⑬新鳥越橋の北詰へ出た。
道は、目の前の⑭正法寺の北側をまわって、そこから⑮正法寺橋へかかる。
だが、河岸の草地をぬけて行けば、まわり道をせずにすむ。
三つの黒い影
87)新鳥越橋の上に佇んでいた三つの黒い影が突然橋を駈けわたり、うしろから追いすがって来たからである。
「おのれ、この顔を見忘れていまいな」
去年の二月の中旬に、⑪下目黒の荒れ寺に隠れていた大久保伝七郎を捕まえたとき、大久保と共に潜んでいた浪人、田島某なのである。
千駄ヶ谷の名主屋敷へ押し入り、四人の仲間と逃走。大久保のみ捕縛
89)「覚悟しろ!!」
いきなり抜き打った。頬を切られた徳次郎は逃げた。八郎吾は田島浪人へ体当たりをくわせた。
「徳どん、逃げろ」
大治郎
90)いつの間にか、⑮正法寺橋のたもとへ逃げて来た徳次郎の正面に別の敵が襲いかかった。
そこへ秋山大治郎が通りかかった。・・・
93)「いいのだよ、おれが、むかし、この手で殺した女房が、いま、おれを、手招きしているものね」
・・・徳次郎が、わっと泣き出した。
93)その日。
秋山大治郎が稽古を終えて帰ろうとすると、めずらしく暇ができた田沼意次から声がかかり、語り合ったのち辞去した。
94)「それにしても傘徳は、とんだ手柄をたてたものだのう、弥七」