剣客商売第5巻 第7話 たのまれ男
地図を作っています。
このページをひらいてくださって、ありがとうございます。
池波正太郎著「剣客商売」は、行間に江戸の町が見えるよう、歩いてみたくなって地図を作りはじめました。
地図は各話ごとに作っていますが、アップはまとめてしているものもあります。
公開したものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
※ネタバレあります!未読の方はご注意ください。
● また、当noteは、「江戸散歩」がテーマですので、江戸を離れたら対象外。旅好きなかた、ごめんなさい。
では どうぞご一緒に。
地図(画像)
たのまれ男・地図
➀大川橋(吾妻橋):出会い、②③大治郎が小針を背負って逃げたコース(④宗哲先生宅へ)宿に戻ると危ないので、ずっと「入院」(碁の相手)
⑤~⑬⑮は、小針又三郎の江戸に着いてから➀簀巻きに至るまで。
⑯以下は、事件の全容と逮捕、小針の出立まで
本文抜書+切絵図(地図データ)
地図のもとになったデータです。アドバイス等は、ぜひ、コメントへ。よろしくお願いいたします。
※「51)」は、文庫本のページ数です。
第7話は、男が簀巻きにされて大川に投げ込まれようとするところから始まります。簀巻きにして太平洋の藻屑とか、あ、コンクリート詰めだったか?ちょっとあり得ないけど軽口の例え話とか活劇小説によく出てくるシーン。
簀巻き
橋をわたれば、花川戸。
大治郎は夜遅くの➀大川橋で、怪しい気配に走り寄る。男が簀巻きにされて大川に落とされようとしていた。寸でのところで助けたものの、殴られ縛られ虫の息。
「小針又三郎」と名乗った男、大坂・柳道場での剣友だった。
328)④宗哲の家へ
②中ノ郷から③本所・新井町のあたりまで細道をえらんで迂回
宗哲先生に診てもらいそのまま泊ることに(入院)、大治郎は早々に帰宅。
次の日、詳しい話を聞く。
由太郎探し(小針/江戸に着いたところから)
339)江戸へ着いて、定宿にしている⑤東神田の白壁町にある旅籠〔武蔵屋平吉〕方へ
340)⑥浅草・福富町は⑦幕府御米蔵の西方、いわゆる⑧蔵前通りを西へ入ったところだ。
⑥福富町二丁目の、御米蔵・小揚方の組屋敷と道をへだてた一角に、小間物屋新助の家がある。
「あの小間物屋は、一月ほど前から店を開けていませんよ」
この家は、近くの⑨御蔵前方町にある明樽問屋〔富田屋忠兵衛〕の家作。
両どなりに住む印判師と煙草屋へも問い合わせた。
近くの⑩金竜山・浅草寺を囲む盛り場を根城にしている〔巴組〕に入って悪さをしていたらしい。
⑪田原町に住む御用聞きの彦蔵宅へ告げに行こうとしたので、辞去した。
⑫須田町二丁目の〔清水屋〕で、翁せんべい
346)⑬浅草寺・奥山〔亀玉庵〕という蕎麦屋。となりのへやから『由太郎』と聞こえ、続いて『⑮立花さまの博奕場へ入りびたり』と。
348)立花左近将監 筑後・柳川十一万九千石、浅草田圃の外れ ⑮下屋敷
352)小針は案内を請い中へ。中間の小頭をつとめ、大部屋を牛耳っている銀平に酒を勧められ。→大川へ
下目付 杉山米太郎
356)大治郎は⑯海禅寺の土塀。南・西の方へかけて、びっしりと大小の寺院がたちならんでいる。北の方は浅草・入谷の両田圃。人足は絶え・・・
柳川藩・立花左近将監の家来で、杉山米次郎が佐々木三冬の弟子筋にあたる。杉山は当年四十二歳。柳川藩の下目付。
359)海禅寺の裏道の向こうの木立に、⑭山之宿〔駕籠駒〕の町駕籠が一挺。
西側の⑰曹源寺の横道から、駆け寄って来た杉山米次郎が、
「いま、やって来ます」
358)中間・百助逮捕。駕籠に乗せ/奉行所へ。
事件の全容・潜入
中間小頭の銀平は、腹心の中間十名と組み、賭博場を牛耳るのみか、人身売買にまで手をひろげていた。
362)由太郎は⑱入谷田圃へさそい出され、殺害(せつがい)された。
363)銀平は『入谷田圃の燈満寺に金六百両預けてる』と騙し・・・
新助は、由太郎の父留吉と生国が同じで、共に⑲大伝馬町二丁目の小間物屋〔小田屋半右衛門〕方へ奉公。おかねは両親をうしなったのち、⑳木挽町の料亭〔酔月楼〕、駆け落ち後東海道へ売られた
杉山米次郎が秋山大治郎と共に、浅草田圃の⑮柳川藩・下屋敷に潜入したのは八ツをまわっていたろう。
そして・・・
半月後に、小針又三郎は江戸を発った。
秋山父子は、㉑高輪の七軒茶屋まで小針を見送った。
此処は、東海道第一駅の品川宿の手前で、休み茶屋や飯屋が七軒
小兵衛の名言・・・善悪の境は紙一重じゃもの
江戸情緒/
錦絵で楽しむ江戸の名所(国立国会図書館のコレクション)
浅草奥山(金竜山・浅草寺の裏山、料亭・蕎麦屋などが)