剣客商売第12巻 第6話 逃げる人
渡り中間が小むすめを林の中に引きずりこむのを見た老人は、見過ごすことができず、怯えつつも立ち向かい、駆けつけた大治郎が手を出すまでもなく、老人は中間を倒した。
大治郎は老人に好感を持ったが、老人は名乗りもせずに去っていった。
去年の秋の夕暮れ時のこと。大治郎もいつしか忘れてしまった。
切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション
今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。
地図(画像)
地図1 出会い
大治郎は、三ノ輪から山谷堀(山谷浅草町の通り)を横切り、自宅へ帰るべく、玉姫稲荷の裏手へ出た(雑木林から走り出て来た老人)。
(三ノ輪のどこという地名はない。団子坂・根岸など考えられる)
地図2 老人の住処
1) 新鳥越町の④東禅寺の門前で別れ=(出会い時)⑤山谷堀方向へ去る
※山谷堀は、隅田川から千住まで続く堀。日本堤と並行(扇の要様か?)
★赤ルート:玉姫稲荷神社裏(中間と対決)→山谷浅草町の庄屋の家→東禅寺(別れ)→山谷堀方向へ
2) 数か月後、⑭浅草寺境内から馬道の通りへ出た大治郎は、田町から⑤山谷堀へ架けられた⑥山谷橋を北へわたる最中・・⑤山谷堀を行く老人を見た。
老人は、細道から右へ切れ込み、草地を横切り、向うの土塀のあたりへ姿を消す。その土塀は⑦貞岸寺という寺の裏手(裏門から中へ)
★青ルート:大治郎が歩いた道すがら、山谷橋を北へわたる
★黒ルート:件の老人のルート
地図3 真土山聖天宮・再会
その数日後。⑧真土山の聖天宮門前の蕎麦屋で再会。やがて二人は、⑨今戸橋を渡ったところで別れ >>
>高橋老人は、⑤山谷堀沿いの道を、⑥山谷橋の北詰の方へ去った。
>大治郎は、⑦貞岸寺の門前を行き過ぎ、しばらく行ってから右手へ切れ込み、⑩我が家へ向った。
※真土山の聖天宮:現在は、待乳山聖天宮という。
★蕎麦屋で再会・今戸橋で別れ。
★黒ルート:高橋老人。今戸橋を渡ったところで別れた。山谷堀沿いへ。
★赤ルート:大治郎。多分~橋を戻り、山谷橋を渡って、貞岸寺前を通過。
蕎麦屋で心が通じ合ったこと、父に伝える(最初の印象も伝えてある)
父・小兵衛は、さりげなく肯定するも、様子を探る・・・。
★地図データの「老人の真実」・・・新たな場所:不二楼のみ
高橋老人は、敵持ちと判明。本名『』それを大治郎に伝えると、新たな局面・・・大治郎の剣友の敵と判明。敵討とは、法の執行の一面がある。厳しい決断であったが、剣友に友人たる高橋老人のことを告げることにした(京への手紙)。
地図4 煩悶する大治郎は、老人に疑いを抱かせる
15日後、高橋老人(山本半之助)は風邪が全快している。
大治郎は密かに見張りを続ける心づもりではあるが、山本半之助への好意を押さえられない(赤ルート)。対岸からそっと見守る。
その姿を煙草を買いに出た山本半之助は見とがめ(⑦⑥青線:とくに、大治郎が小僧さんを避けた点:青★)、裏門から貞岸寺の中へもどる。
地図5 大治郎は煩悶しつつ、三ノ輪への道をたどる。
(三ノ輪方向は、初めて会った場所)
★赤ルート:⑭浅草寺へ参詣→⑮浅草田圃→⑯下谷の竜泉寺→➀三ノ輪の往還→⑰三ノ輪の西光寺の手前から右へ入り、引き返すことにした。
!<人の叫び声、男の怒鳴り声>大治郎は走り出した。
★黒矢印⑱山谷堀から千住大橋へ結ぶ往還(十字路)<山本半之助が渡り中間と三人の浪人相手にしており、大治郎は飛び込む。半之助は逃走>
★青ルート→大治郎は、橋場の自宅へ戻った。
地図は帰宅まで。
どんでん返し・・・家に戻ると、「剣友の死」が待っていた。
大治郎はまた迷う。・・隠宅へ。
小兵衛は何もするな、と意見をいったなり「好きにせい」と突き放す。
地図データ
地図のデータとした、本文と、場所の確認をしております。
本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。
老人(少女を助けた正義の人)との出会い
231)秋山大治郎が、その老人にはじめて出会ったのは、去年の秋の或る日の夕暮れであった。
➀三ノ輪から右へ折れ、一面にひろがる田畑と雑木林という景観の中を我が家へ向いつつあった。
大治郎が、②山谷浅草町の通りを横切り、田地の中にある③玉姫稲荷の北側へさしかかったとき、件の老人が、小道前方の雑木林から走り出て来た。
223)追って来たのは、無頼の渡り中間だ。
225)木立の草の上に、十五、六のむすめが倒れていた。
山谷浅草町の名主・梅村仁左衛門方の下女で、今戸へ使いに行った帰り途に、近道をして田地の道を急いでいたところを、渡り中間に襲われたものである。
大治郎と老人とは、④新鳥越町の東禅寺の門前で別れた。
大治郎は名乗ったが、老人はていねいに挨拶はしたものの、名乗ることなくそそくさと⑤山谷堀の方へ立ち去った。
「なんとなく妙な老人だった」
三冬にも小兵衛にも漏らしたが…いつしか忘れてしまった。
「それが、新しい年が明けた、正月半ばに、また出会ったのである」
再会
227)⑭浅草寺の境内から馬道の通りへ出た大治郎は、田町から⑤山谷堀へ架けられた⑥山谷橋を北へわたりかけていた。
と、そのとき、⑤山谷堀に沿った細道を行く老人を見た。
件の老人は、細道から右へ切れ込み、草地を横切り、向うの塀のあたりへ姿を消した。
この土塀は、⑦貞岸寺という寺の裏手にあたる。
つまり、老人は⑦貞岸寺の裏門から、中へ入って行った。
228)その数日後。
山谷堀の南に、⑧真土山(まつちやま)の聖天宮(しょうてんぐう)がある。大治郎は、門前の〔月むら〕という蕎麦屋へ入り、「酒をたのむ」と、いった。
・・・
230)老人のほうから、にっこりと笑いかけてきたのだ。
二人は静かに会話する…
大治郎が名乗ると、老人は
「高橋三右衛門と申します」
と、いった。
232)やがて二人は、⑨今戸橋を渡ったところで別れた。
高橋老人は、⑤山谷堀沿いの道を、⑥山谷橋の北詰の方へ去った。
大治郎は⑦貞岸寺の門前を行き過ぎ、しばらく行ってから右手へ切れ込み、⑩我が家へ向った。
232)大治郎が孫の小太郎の顔を見に⑩橋場(大治郎宅)へあらわれた秋山小兵衛へ語るや
「老人はこころさびしいものゆえ、うれしいのであろう」
老人の真実
233)小兵衛は、帰途、⑪不二楼へ立ち寄った。
「ちかごろ、⑦貞岸寺の和尚は、みえるかえ?」
「はい、時折に」
「ではな、わしが共に酒をのみたいからといって、和尚の許へ使いをやってくれぬか」
大治郎には黙っていたが、顔見知りの間柄であった。高橋老人に対して、それとなく興味をおぼえたにちがいない。
円照和尚が与兵衛に案内されてあらわれた。
酒を飲みつつ、それとなく、小兵衛が
「実はせがれが・・・」
と、語るや
和尚は膝を乗り出して聞き入った。言いさして、また、やや緊迫の面持ちで
「本名は、山本半之助、敵持ちの身でありましてのう」
和尚は帰って行った。・・・大治郎を呼んだ。
240)大治郎は、本名を聞かされるや、絶句してしまった。。
241)「私は知っているのです・・・山本半之助を父の敵として探しまわっているいる男を」
決心した大治郎
248)田沼屋敷へ手紙をたのみ、稽古をつけて帰途についた大治郎
(まだ、山本半之助に会うだけの、心構えができていない)
249)いつの間にか、秋山大治郎は、⑧真土山昇天・門前の月むらの前へさしかかった。
250)「もし・・・もし、秋山さまではございませぬか?」
「私は、⑦貞岸寺のものでございます・・・風邪をひき出られませぬ・・・」
(我知らずほっとする・・見張るのも心苦しく、心が揺れる)
逃げる人
255)十五日たった。我知らず、大治郎の足は、⑦貞岸寺の方へ向っている。
今戸から右へ切れ込み、⑫源寿寺の横道を⑬新鳥越町三丁目の通りへ出た。
大治郎は、⑦貞岸寺の門前に立ちどまってから、⑤山谷堀へ出た。
そして、⑨今戸橋のたもとから、⑥山谷橋のたもとまで行き、草地の向うの⑦貞岸寺の裏門を笠の内からながめたりした。
小僧の姿を見て、逃げる大治郎・・・
255)それを凝っと見守っていた老人がいる。
山本老人は、⑦貞岸寺と道をへだてて真向いにある小さな煙草屋で愛用の薩摩刻みを買い、道へ出ようとしたところであった。
257)その半之助を、通りがかりの男(あの渡り中間)が見かけ、血相を変えた。
やや蒼ざめた顔色となって、老人は⑦貞岸寺の裏門へ入って行った。
怒声の中で(旅姿の山本半之助)
⑭浅草寺へ参詣をすませてから、大治郎は当所もなく歩みつづけた。
258)⑮浅草田圃から、⑯下谷の竜泉寺を経て➀三ノ輪の往還へ出た。⑰三ノ輪の西光寺の手前から右へ入り、引き返すことにした。
人の叫び声、男の怒鳴り声。
大治郎は走り出した。もう少しで⑱山谷堀から千住大橋へ結ぶ往還(十字路)へ出る。
259)旅姿の山本半之助をあの渡り中間と三人の浪人が取り囲んでいる。
262)大治郎が相手と対峙する間に山本半之助は身を隠してしまっていた。
263)夜に入って、大治郎が⑩家へもどると、京都から至急便が届いていた。
橋本又太郎は、一ヶ月も前に亡くなっていた。送った手紙の封は切られていない。
265)その翌朝・・大治郎は父の隠宅を訪ねた。
大治郎のこだわり(迷い)が形になる。
国許に又太郎の死を告げれば、老母にも息子の死が届く。そして国許では新たな討手が立つだろう。国許の身内を通して山本にもそのことが届く。
また、同時に山本が江戸にいたことがわかれば、捜査の輪も狭まろう。
266)「お前の考えで思うようにするがよい」
こういって小兵衛は、さっさと、また寝所へ入ってしまった。