2024/11/19「二人称」

二人称っておもしろい人称だと思う。いや、うまく言葉にしにくいんだけどさ。三人称と区別されて、目の前にいる相手、ないしはその言明を届けたい相手のみを指す言葉だ。そこには明確に、相手とのコミュニケーションが意図されていると思う。三人称はその場にいない人間を指すのだから、その意味で直接的なコミュニケーションが発生していない。二人称はコミュニケーションにおける最重要の人称だと思う。飛躍しすぎ?

二人称に限らず、人称には人格とか人間性とか、そういったものが現れると思う。一人称に関して言えば、僕・俺・私あたりがメジャーだろうか。そのほか、小生とか我とかうちとかワイとか、かなりバリエーションがありそうな気がする。僕は大体僕だけど、相手によっては俺を使う時もあるし、シチュエーションによっては私を使う時もある。まあ、一般的だよね。

いわゆる二人称って、なかなか日常生活で適切なものが見つからないような気がする。たいていの場合、その人が自分との関係性において担っている役割を称して二人称とするか、名前やあだ名で呼ぶことが多いからだ。前者の例を挙げるなら、先生とか先輩とか、お母さんとかおじいちゃんとか。二人称として使われてはいると思うけど、三人称と区別するのが難しいと思う。
そういった意味で、純然たる二人称を使う機会ってあまりないような気がする。英語だとyouがあるけど、日本語だと一般的に使われそうなのは「お前」「あなた」くらいだろうか。けど、そのどちらも、あまり使う機会ってないんじゃないだろうか。いや、「お前」の方がまだあるか。少し粗暴な印象があるので、あまり使いたくない、使う機会がないような気がする。兄から弟とか、親から子とか、教師から生徒とか。
「お前」にはある種の上下関係が出てしまう気がして。たとえば恋人に対して使ったことはないし、使いたいとも思わない。

「お前」は友だちに対して使うこともあるのだろうけど、僕は友だちに対してはむしろ「君(きみ)」を使うことが多い。「君は〇〇だよね」とか、「君の予定はどうなの」とか。どことなく上品だし、少なくとも粗暴な感じはない。僕の所属するコミュニティの中では、特段珍しいものではなかったりする。

いずれにしても、二人称というのは相手とのコミュニケーションにおいてかなり重要な役割を担っていると思う。「お前」の例に顕著なように、相手との関係性を表す言葉だと思う。「お前」と言えばある種の上下関係が見て取れるし、「先生」と言えばある種の師弟関係が見て取れる。二人称は、相手と自分の関係性を表現する、もっと言えば、発言者が意図せずとも表現してしまうものだ。それだけに、取扱いに注意が必要なものなのかもしれない。

以下日記。
9時起床、9時半始業。細々したタスクを進める。明日から3日連続で出社。嫌すぎる。

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