今年初美術展は待ってましたな 甲斐荘楠音の全貌―絵画、演劇、映画を越境する個性 展
土日を避け天気やコロナ感染者数とにらめっこしながら2月11日の展覧会開催から数日目での鑑賞でした。
ギュウギュウの車内や会場でマスクを外す人が増えてきだしたら大変だわと。
今回は氏の写真や映画の風俗・衣装に関する資料も沢山展示されているときき、切り口の新しさにワクワク♪
一番最初のブース「序章 描く人」には代表的大作が。
今回の展覧会の大看板「女人像」や「白百合と女」を間近に見てることができ、
幾重にも塗り重ねられた、けど決して厚ぼったくない深く美しい味わいに唸ることしばし。
特に「女人像」の目元や「白百合の女」の百合部分に惹かれたでしょうか。
その傍らには「幻覚」と「舞ふ」の大型作品がガラスの仕切りなしの生身で。
絵柄的には好きというほどではない作品ですが、
丁寧に盛り飾られた画面が素晴らしく、こんな手の込んだことをしていたのかと。
日本画で金粉というかラメのようなもののことを何と呼ぶのかは知らないですが、
いわゆるグリッターのようなものが散りばめられ、
「舞ふ」の揺れ動く簪の輝きの表現など細部に渡る美意識の高さに感じ入ったのでした。
顔や肢体の美しさ、表情のみならずそんなところにまで行き渡る感性が
そののちの映画の作品に繋がっていくのかと納得。
「横櫛」2作も間近で細部を見ることができ、離れたり近寄ったりしながら比較したりして満足。
あやしい絵として取り上げられることが多いですが、
これは上半身だけ描いた福富太郎コレクションのものがダントツであやしいと思ってます。
昔一緒に行った叔母なんかもろ表情がコワイとかキモチワルイとか言ってたしw
次の「第一章」では六曲一隻屏風「歌妓」と「春」がどちらも初めて見る大型作品。
「歌妓」は六枚のうち一枚とその両隣に裾がちょっとはみ出す程度に歌妓が立って描かれているのみのシンプルなもので、構図もモチーフもあっさりした印象なのが珍しいかなと思われましたが、佳き味わいでした。
反対にメトロポリタン所蔵の「春」は鳥や草花の背景(敷物?)が中華ぽくもありアラベスクっぽくもあり、芳醇な爛漫感が。
自身の女装や芝居の女形の扮装を含めた写真やスケッチの他スクラップ帳も多く展示されており、
作画のベースや参考資料として活用されてたと思われる一方で、
本来の性別とは異なったり非日常的な設定の衣裳で美しく装う様は、
昨今SNSで日々目にすることのある画像と通じるものがあるような。
(twitterに表示される内容は人夫々だけど、わたくしのTLには少なからず情熱のコスプレ画像が散見されます)
スクラップ帳はアーティストのピンタレストといったところでしょうか。
中には凡そ作風には全然似つかわしくない西洋人の男女や
昭和中期のポップなモデル風の人たちも沢山みとめられるのですが、
そこから抽出された要素が伝わるような気がしたランナップでした。
「第二章」では舞台や作中人物を描く絵やスケッチがメインで、女形を描いたものが多かったのだけど、
「駆落」というタイトルの絵では女性がおかあさまの若いころってこんな顔?と思えるような風貌でちょっと似ていたような。
「櫓のお七」はぱっちり目のキュートな可愛さでした。
続く「第三章」では風俗・美術・時代考証をした映画の紹介と、制作された衣裳の展示が大々的に。
「旗本退屈男」がメインで女性用のものが少なかったのが残念!
終章を飾るメインの2大作は「七妍」改題「虹のかけ橋」と「畜生塚」でした。
「虹のかけ橋」は人生で一番最初に出会った氏の作品。
あでやかで絢爛たる遊女たち✨
何度みても美しい、というか昔より美しくなっているような??
見目が麗しいだけではなく肌の様子とか背景や着物小物とか
見ればみるほど細部の美しさに気が付けるというか味わえるようになってきてるのかも?
最後の最後を締めくくったのは「畜生塚」。
これは最近になって(多分2021年の「あやしい絵展」で)
豊臣秀次の妻妾らが処刑された際の絵と知り興味を持てるようになったのですが、
以前は勝手にピカソのゲルニカのような反戦的な絵なのかしら?中心の人を抱きかかえた構図のイメージはピエタ?とか。
長年ほぼ未彩色の画面(未完)ながら何かしら強い主張性を放っていて
わたくしこういうの苦手~と思っていたのですが、テーマを知るとおぉ素晴らしいと掌返しw
今回じっくり眺めていると中央三角部分の下寄りに集合する人々の表情に強く惹きつけられました。
右下の彩色された二人のうち外側の眼を見開いた南蛮味の感じられる濃いめの顔立ちにまず目が行き、
左にずれていくとその他の人たちも、一人一人それぞれが表情豊かで
導かれるように見入ってしまうことに。
ただ三角外にいる人たちはただ諦念感を湛えているような印象で、
三角形上部の人たちもあまり共感できるような表情ではないのは相変わらずなのですが…。
解説に書かれていたように、下絵とか草稿を見る方がはっきりと伝わるものがあるような気がするけど、
やっぱり完成図もちょっと見てみたいような。
昔々氏を知ったばかりの頃「穢い絵」と評され展示を外されたとか、病弱だったとかいう話からか、
なぜか勝手に地方の青年が失意のうちに若くして果てたような想像をしていたのですが、(ミュシャやモローなど好みの絵を描く人はみんなそうかとw)
文献の類によると結構なお血筋の都人で芝居や文化に親しんで育ったとのこと。
「穢い絵事件」も大家に罵られたわけでもなく、展覧会を仕切るいくつも年の違わない先輩からの
嗜好のあわなさや、恵まれた環境と感性へのコンプレックスを感じてた故のへんねし案件に過ぎなかったのでは?と考えると、必要のないことを思いつめた無駄な懊悩だったような気がして勿体ないというか残念でなりません。
映画制作に携わるようになられてからは、画壇と映画界を比較して
「前者は嫉妬が強く互いの足を引っ張り合う、後者は日頃もめていても事が起これば一致団結して向かっていくような気質」
みたいなことを語られてたりして(メチャあやふや)、
ご自身は画家時代は不遇と感じておられたようですが、
あなたの絵を好きは人はこんなにいるんですと、無二の存在であることをお称えしたい。
(氏には「なんであんなの構うのよ~!あんなヤツ放っておけばいいのよ~」とお伝えし、
垢抜けないこけし顔専門の土●麦▲には胸倉を掴んで〇ツの穴の小ささを罵りたいw)
決してメジャーにはなってほしくないのだけど、
サブカル、マニアック寄りの大衆に強く支持されそうな、
時代が望んでいる感のある取り上げられ方の展覧会でした。