カオス恋しき一時帰国
日本への一時帰国に成田に向かう飛行機内、もうすでにオークランドが恋しい。イギリスの風情残る街並みに、いろんな肌の色の人たちがいろんな言葉を話して、いろんな国の食べ物を食べているオークランドは、毎日が混沌としている。
ある時バイト先にかかってきたアジアンヘイトの電話について思い出す。中華系のタピオカ屋でのバイト中、客が注文をするふりをしてアジア人を罵る電話を受けたことがあった。怒りよりも何よりも、これが差別かと驚いたのだった。
「職場にヘイトの電話がかかってきたんだよね、びっくりしたんだ」と夕飯時にホストマザーに言ったら、「そんなことがあったのね、でも私たちにとっては日常茶飯事。私たちムスリムはテロリストだと思われてるんだから!」と彼女はあっけらかんと笑いながらそう話した。
肌の色が違わなければ、文化や背景が違わなければそんなヘイトを身近に受けることもなかっただろうに、どうしてそんな人種の坩堝に人々はわざわざ集まって、同じ街で生きるのだろうかと、タピオカ屋から人々が通りを歩くのを見ながらぼんやりそう思う。
日本で日本語を話している方がずっと楽でいいのに、どうして私はこんなカオスにきてしまったんだろうと時々思った。中華系のタピオカ屋でバイトをしながら、時には中国語で話しかけられ、母語しか話さない人にGoogle翻訳を使われながら、アフリカ系、アラビア系、インド系、ポリネシア系、ラテン系に欧米系と、見た目やアクセントから察するにルーツがあまりにも多様な人たちから毎日タピオカの注文を受けている。大体の人たちは同じような属性のグループで一緒にタピオカを注文しにくる。私がアジア人の友人と話がしやすいように、人種の坩堝にも棲み分けがあるようだった。
私がヘイト電話を受けた時、中国出身の同僚は「電話をかけてきたのはきっと○○人よ」とそう言った。こういう「△△人と●●人は相容れない」みたいな話はよく耳にする。彼女の発言も、それの延長線上かと思われた。ヘイトにヘイトが重なるこの状況に、私は人種が複雑に絡まるこの街に、ややもうんざりしていた。
でもそんなカオスな状況だからこそ、分かったこともある。日本人でいることそれ自体が、他の国の人がどんなに欲しくても手に入らない価値のあるものであることを実感した。私の暮らしていた東アジアの小国は、世界の多くが羨む特異な文化を持つ先進国だった。
地元横須賀の先輩がオークランドを訪れてくれた際、港近くのレストランに行った時のこと。日本語で話していた私たちに、注文をとりにきたウェイターが「日本の方ですか?」と聞いた。頷くと、「世界で最もクールな国の方達なんですね」とにこりと笑った。
同じ語学学校に通っていた友人たちと、一緒に昼ごはんを食べているとき、たびたびビザやパスポートの話になった。ワーキングホリデー制度を使って世界へと働きに出られるのは、一部の限られた国の特権であることを知った。コロンビアの友人は、「うちらにはワーホリ制度はないわ」といった。タイ出身の友人は「ワーホリ制度はあるけど、年間で100人しかいけないの」という。そういえば台湾出身の同僚も「年間で500人、しかも決まった日にしか応募ができない」と。日本人のニュージーランドへのワーホリビザ取得数は無制限、一年中いつでも申請ができる。
たとえば海外旅行の話になっても、どこの国に行くにはビザを申請しなくちゃいけないとか、この国に行くのは私のパスポートだと難しいねとか、そんな話をした。同僚によれば中国人が中国から台湾へと旅行することはまず不可能だし、韓国の友人から聞いた話では韓国から北朝鮮に観光で行くこともできない。日本からはどちらも可能だ。世界最強と言われる燕脂色のパスポートを持つ私には、今まで知ることのできなかった小さな事実が、たくさん広がっていた。
タイ出身の友人が「私も日本のパスポートがほしいわ」と冗談混じりに言った。彼女が学生ビザでニュージーランドに滞在するためには、500万円以上の残高証明があることが条件だった。一方私がビザを取得した時の残高条件は140万円だった。
「あなたが何か悪いことをしたってわけじゃないのに、どうして」と私が言ったら、「昔滞在してた人たちが違法労働とかしちゃったみたいね」と彼女は笑う。
「日本のパスポートが欲しいわ」と言われた時、私はなにも言うことができなかった。私が自分の努力で選んだわけでもなく、彼女が好んでその国のパスポートを得ているわけではないのだから。彼女はエンジニアとしての仕事で何度も日本に足を運び、日本のことが好きだと何度も私に力説してくれる。
世界で一番クールな国に生まれ、世界最強のパスポートを持つ私は、世界で最も無知だったのかもしれないと、このカオスな街で暮らしながら気づいた。
成田に向かう飛行機では、日本語が飛び交っていた。聞き慣れた私の母語は、意識せずとも耳に入ってくる。多くの人が同じ肌をして同じ言語を話すこの国で、わたしは何を思うのだろうか。人種と言語が入り混じるオークランドを恋しく感じながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
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