罪なる紙 秋ピリカ応募作
はるか昔の時代、免罪符と呼ばれるものが存在したらしい。人々は何も記されていない純白の紙に意味を見出し、自らの罪をそれと同じ状態にするためにそれを求めた。
そんな免罪符と、今手元にある紙はある意味対極に位置すると言える。何故ならこの紙は存在そのものが罪なのだから。
俺は手のひらサイズの小さな紙を、自分の指で撫でる。直に伝わってくるザラザラとした感触はどう考えても粗悪品のそれだ。しかし、バーチャルではなく確かに実在するこの紙は俺にとって何より大切だった。
今の時代、富裕層以外の人間は支給されたポットの中から出れず、人生のほとんどをバーチャル空間で過ごす事となる。
バーチャル空間は現実と変わらないほど充実した場所ではあるが、ただ一つ現実と大きく違う点がある。それは、もしバーチャル空間の利用者が死亡した場合、その人に関わるデータが全て削除されるという事だ。もし、その人物がバーチャル空間でどんなに素晴らしい芸術作品を作っていても、どんなに大量の電子通貨を持っていても、それらは悉く、虚空へと消えてしまう。
要は、バーチャル空間を利用する我々には自分が生きた証を残す術が存在しないという事だ。
それはとてつもなく恐ろしい事で、それに気づいた時、俺は積み上げた積み木をいきなりぶち壊しにされた様な絶望に襲われた。
そして、それと同時に思った。必ず自分が生きた証を残さねばならないと。
そして、その日から俺はひたすらハッキングの技術を学んだ。もし、バーチャル空間のシステムに侵入するためだ。
結論から言うとそれには失敗した。防御システムの突破があまりにも困難だったからだ。しかし、その代わりに植物を育てている現実空間の制御を僅かに奪う事に成功した。植物を少しくすねる程度にしか使えないが、それでもそれは大きな前進だった。
それ以降、俺はそのシステムを使い、紙を製造する事にした。理由は単純で、現実に残るものを作りたかったからだ。
長い時間を掛けて手に入れた僅かな植物繊維を、ハッキングした3Dプリンターに入れて、なんとか粗悪品の紙へと加工する。
そんな事を始めてから、早五十年、集まった紙の数は二百五十頁にも及んだ。大体電子書籍一冊分の紙が今自分の手元にある。
俺はここ数年、植物の油から作ったインクで紙に自分の半生を綴った物語を書いていた。紙をどうするべきかずっと考えていたが、結局無難な使い道を選ぶ事にしたのだ。自身の生き様を紙に記して、それをハッキングシステムを利用して地上へと送り出す。紙の束はひょっとすると誰かにあっさりと捨てられてしまうかもしれない。しかし、もしそうでなければ、もし誰かの目に少しでも留まれば、それは俺の生きた証と言えるのではないだろうか。
そんな風に未来に思いを馳せながら、俺は今日も、自分の存在を刻み込む様にして紙に文字を書き続けるのだった。
(文字数1171字)