宝塚雪組 『f f f-フォルティッシッシモ-~歓喜に歌え!~』で考えたベートーヴェンの歓喜の意味と運命数#1
演出家のアルバイト経験から生まれたサヨナラ公演
『f f f -フォルティッシッシモ-~歓喜に歌え!~』(作・演出/上田 久美子)とレビュー・アラベスク『シルクロード~盗賊と宝石~』(作・演出/生田 大和)を見てきました。歌ウマで知られるトップコンビ、望海風斗(だいもん)と真綾希帆(きぃちゃん)のサヨナラ公演です。
プログラムによれば、作・演出の上田 久美子先生は学生時代、名曲喫茶でアルバイトをして、毎日クラシック音楽を聴いていました。最初は幻想的なフランス音楽や感傷的なロシア系の音楽が好きだったのですが、やがて飽きてしまいました。ところが、毎日聴いても飽きるどころか、聴けば聴くほど好きになったのがドイツ系のベートーヴェンだったのです。
そして、ベートーヴェンが難聴になり、完全に耳が聴こえなくなる不安に怯えながら、弟たちに宛てて書いたハイリゲンシュタットの遺書を読んで、いつか彼のことを舞台にしたいと思ったそうです。
もし他の演出家なら映画「不滅の恋」をベース に殉職するかも
ベートーヴェンを題材にしたドラマといえば、名優ゲイリー・オールドマンがベートーヴェンを演じた映画「不滅の恋」があります。生涯を独身で通した楽聖ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、 その遺書で触れた“不滅の恋人”の謎に迫るミステリーで、死後に彼と深く関わった三人の女性が登場するのですが、出演者も音楽を演奏したメンバーも豪華で完成度の高い映画でした。
勝手な想像ですが、もし「エリザベート」や「ロミオとジュリエット」の演出家として名高い小池修一郎先生がベートーヴェンを描くなら、この映画をベースに、真綾希帆を彼が本当に愛した女性として登場させたかもしれません。その方がサヨナラ公演らしいラブロマンスに仕上がるはずです。ですが、上田先生はそうはしませんでした。
娘役トップスターであるきぃちゃんが演じる役は「謎の女」。ベートーヴェンだけに見える人間ならざる存在です。後半になって判明するのですが、女はベートーヴェンが生まれたときからずっと彼と共に歩んできました。彼女は「苦難」「災厄」の象徴であり、運命なのです。卒業公演で娘役トップが人間を演じないというのはかなりユニークです。
人生の最期に「苦難」を突き抜け「歓喜に至る」
死期が近づいたベートーヴェンは、やがて「謎の女」の存在の意味に気づき、それまで邪険にしてきた彼女を抱きしめます。そして、最後にもう一つだけシンフォニーが書きたいと語り、彼女と共にピアノに向かい、音を紡ぎ出していきます。
『苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ!』というのはベートーヴェンの有名な言葉ですが、それは人生は苦難の連続だったけれど、最後は苦悩を克服して歓喜に至ったという意味ではありません。たとえ地獄のような悲惨な境遇にいようとも、なお全力を尽くして生きた人間が最後に歌う「人生讃歌」なのです。
ベートーヴェンは自分がそういう生き方をすることで、他の悲惨な状況にある人たちの励みになると考えていました。耳が聞こえなくても「芸術」のために生きる決意をした彼にとって、芸術とは作品だけを指すのではなく、生き様そのものだったのです。
雑誌『歌劇』の座談会の中で、確かきほちゃんが「最後の作品でやっと結ばれる役で嬉しい」という意味のことを言っていたと記憶しているのですが、その結ばれるという意味は、男女の甘い恋愛を指しているのではないのですね。
ベートーヴェンは『いちばん深い地獄にいる者ほど、きよらかに歌えるものはありません。天使の歌だと思っているのは、じつは彼らの歌なのです』と言っています。絶望や苦悩と一体となり、ペアになって、絶望を知っているからこそ希求する「歓喜」を歌ったのです。
地獄の底で論理と理想の#7から自立の#1に辿りつく
数秘術的にいえば、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven)はライフ・パス・ナンバー(人生の工程)#7を辿りながら、ディスタニー・ナンバー(運命数)#1に向かう人です。#7は哲学、分析、調査、真理がキーワードで、物事をとことん論理的に突き詰めて考えるイメージです。
私は舞台を見ながら勝手に#1から#9に向かっているのかなと思ったのですが、違いました。むしろその逆で終着点が#1だったのです。これは革命とナポレオンに憧れ、自由主義思想の信奉者だった、つまり音楽を理想や思想に捧げてきたベートーヴェンが、最後には人に依って立つのをやめ、自立することを意味しているのかもしれません。
望海風斗はファンにオペラグラスを下げさせる歌い手だった
「尊敬する舞台人」である望海風斗と「稀代の歌姫」真綾希帆の努力が報いられるようにと上田先生が書いた作品がこの『f f f -フォルティッシッシモ-~歓喜に歌え!~』だったというのは、二人とも宝塚史に残る歌うまコンビを考えるうえで感慨深いものがあります。
だいもんは歌いだすとファンがオペラグラスを下げると言われる希有な歌い手です。宝塚ファンは一般的にお目当てのスターの美しい顔をアップで眺めていたいものですが、彼女の歌は聴き手を歌に集中させる吸引力がありました。
一方、きぃちゃんは『ファントム』でエリックが”天使の声”と表現していたのそのままの声の持ち主です。二人とも花組にいた頃にファントム』の「Home」をデュエットして、そのハーモニーの相性の良さにファンは熱狂したわけですが、きぃちゃんの素晴らしさは決して現状に満足せず、進化しつづけていることです。
踊りもずいぶん努力されていて、就任時よりもずっと上手になっていますし、演技力も一作ごとに磨かれていった感があります。だいもんが愛したのは歌のテクニックだけでなく、彼女の舞台に対する真摯な姿勢だったのではないでしょうか。
『f f f -フォルティッシッシモ-~歓喜に歌え!~』を見て、だいきほコンビはファンにとっては勿論、当人たちにとっても幸せな組み合わせだったなと実感しました。二人の今後の人生が幸多きものでありますように願ってやみません。