忘れかけていた感覚
久しぶりに英語の書籍を読んでいる。読み始めるまではちょっと勇気が必要だったというか、しっかり腰を据えて取り組まねばいけないような気がしてしまって、入手してから3週間近く出窓に展示して放置。もとはといえば、来年上演予定の作品の原著を読もうと思って買ったのだが、欲張って7作品が収載された全集を買ったもので、とにかくでかいのである。開けば机の上が半分以上、本で埋まる。パソコンでわからない単語を引きながら読もうと思っていたけどパソコンを開くスペースがない。そんな大きさだから、持ち歩いて電車の中で読むとかも無理。ちょっと日に灼けてきた感もある。
学生時代に比べて英語を使う機会ががくんと減って、ボキャブラリーは相当減ったと思う。特にイディオム的なものの記憶は壊滅的と言わざるを得ない。大学では英文学を専攻し、中学・高校の教員免許も取得、制作専業になるまでは塾講や家庭教師のバイトで食いつないでいたことが、かえって無駄なプライドにもなる(読めなかったらつらいな…みたいな)。うじうじもじもじ、現実逃避か日本語の本ばかり読む日が続いた。
ところがひょんなことから、読もうと思っていたものとは別の作品を読む必要が出て、開かざるを得なくなった(それもわりと急ぎ)。腹をくくってパソコンを閉じ、意を決してでかい本を開く。
…あれ。意外と読めるぞ(喜)。
1ページに1~2個は意味がおぼろな言葉・フレーズが出てくるのけど、なんだかそれはあまりストレスにならず。今回の読書の目的がストーリーをつかみ、登場人物の関係性をつかむことで、細かいニュアンスがわからなくても問題ない、というのが大きいようだ。逐語訳するわけじゃないから気が楽だし、これは作者の特徴もあるかもしれないけど、文字では読まない観客に伝わるセリフというのは、ぱっと聞いて理解できる=平易な言葉が使われやすいってことなのかもしれない。
学校英語では習わない口語的な表現も出てきたりする。でもなんとなく、仲が良さそうなのか喧嘩してそうなのかくらいは伝わってくるから目的は阻害されない。読み始める前はジョークや皮肉が読み取れない不安があったのだけど、それらも意外とわかりやすく書いてあったり、ト書きに登場人物の行動の温度みたいなものが書かれていたり、ここはちょっとおもしろポイントだな、どたばたしてるな、みたいなことはそこまで頑張らなくても掴める感覚があった。
とはいえ母国語よりはるかに時間がかかる。2時間で1幕しか読み終わらず。3幕まであるのであと2日はかかるかなぁ。1幕が1番長いからあと3時間くらいか。読書だけしていられたらいいんだけどそうもいかないし、あと、読んでて1時間半くらい経ったところではっきりと集中力が落ちた感覚があった。突然のすさまじい睡魔。何度も同じ行を読んでしまう現象(←ちなみにこれ、日本語の書籍や書類でもときどき起きる)。
小心者なので、うまくいかないかも、すごくエネルギーがかかりそう、わからなかったら恥ずかしい、みたいなことに踏み出すのが億劫になりがちなんだが、最初の1歩さえ踏み出せばあとは意外とするするっと進めること、結構あるような気がする。とにかく手を付けてみるってのはなかなかいいもんだな、と思った6月のはじまり。
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