チベット仏教の聖地、秘境・ラルンガルゴンパへ! vol.2
「たどり着けばどうにかなる!」
2015年夏、東チベットのラルンガルゴンパを旅の目的地に定めた私の続きを話そう。
ラルンガルゴンパを目指すこの旅においては、第一歩、つまり初動が旅の成否を決める。私は先に宿と目的地へのバスをあらかじめ手配しておくことにした。
これまでの旅からすると、宿や交通手段などを予約するのは私の「旅の心得」に反することで、それは初日といえどもあり得ないことだっだ。だけどこの旅のために与えられた時間は9日間。
たった9日。
秘境のラルンガルゴンパへ行くには弾丸旅行になること必至だった。辿り着き帰って来るためにも、もとい、有意義に過ごすためにも「旅の心得」は切り捨てるしかなかった。
詳しい話をする前に、まずは東チベットの地理やアクセスについて話しておこう。
東チベット、つまり西藏エリアは三国志の劉備の納めた蜀の都、今は四川省の州都である成都のさらに西にある。西、つまり成都よりさらに内陸に入ったところに位置する。そこから南下すると、香格里拉(迪庆西藏自治州)、そして麗江(丽江)に至る。
▲ピンの立っているところがラルンガルゴンパ。成都からは近いようでいて、実は東京・大阪より離れている。おまけに山岳地帯だ。
理想郷という意味のシャングリラと呼ばれる香格里拉は、雲南省側からチベットへの入り口のような場所で、大学時代の放浪していた頃、行きたいと願った場所だ。その当時は、まだ迪庆という地名の方が一般的だった。丽江で出会ったとある老人は、香格里拉とその先のチベットエリアの素晴らしさを熱弁した。鳥葬の話を初めて聞いたのもこの老人だったように思う。
私は香格里拉とその先の東チベットに恋い焦がれずにはいられなかった。
しかし当時は2カ月弱の旅で、時間に余裕があったものの季節は冬。季節柄道路が凍結しており、運良く行けても春になるまで帰ってこられないかも知れないと言われ諦めたのだった。大学のガイダンスはエスケープ(死語かも)するにしても授業初日の出席は、平々凡々な学生にとっては出席率的に、最優先事項。
東チベットはそんな場所であるがアクセス方法はいくつかあり、とはいえ9日間の夏休みで行くのであれば、到達した人のブログを見る限り最善の方法は成都経由で入ることだった。
まず、成都に行きそこからバスで甘孜藏族自治州の甘孜という街に行く。そこからは、乗り合いのバン(シェアタクシー)で、ラルンガルゴンパに一番近い街の色達(色达)へ行ける。色达からは頻繁にシェアタクシーが出ているという。
となれば、まず初動としては、甘孜に行くことだ。
そういうことで、成都から甘孜へのアクセス方法を調べ、現地の代理店へ連絡し、バスを手配した。成都に到着するのが夜なので、翌朝の出発になる。
その手配は、日本人がやっている東チベットへの旅行代理店があったのでそこへ依頼した。東チベット俱楽部というので、もし行ってみたい人がいたら、ぜひ連絡してみるといい。中国の情勢により入れなくなるエリアだ。
さて、次に宿は大学時代に成都を訪れた際に泊まった交通飯店というバックパッカー御用達のドミトリー宿を調べる。すると、今は普通の宿になっていて、パンダホテルというドミトリーを併設していた。すると、東チベット俱楽部はパンダホテルにあるという。となれば、バスチケット受け取りにも打って付けだし、そこに泊まるしかない。
予約を済ませ、こうして初動の準備は整った。
準備万端。
あとは、現地情報を仕入れるのみ。それは旅先でも参照できるものとしてだ。そこで、バックパッカーの聖書、地球の歩き方だ。
ところが。
このエリアは東チベット、ましてやラルンガルゴンパについてはまったく記されていなかった。
そこで頼りになるのは、すでに絶版となっていたガイドブック「旅行人」だ。
10年前と比べて便利な時代になったもので、Amazonを探せば、安くはないが手に入る。それも、2006年の第4版だ。ネットの恩恵を感じる。
会社の人からチベット仏教の本も借りた。準備は整った。あとは旅立ちの日を迎えるだけ。
とにかく今回の旅は弾丸になる。まずは辿り着けばいい。辿り着けばどうにかなる!そう腹をくくり、私は旅立ったのだった。
この時、私の旅史上かつてないほどの苦痛を味わうとは予想していなかったのだった。
つづく。