花が見えるようになった日
加工も何もせず、カメラロールに入っていた道端のお花を撮ったものですがあしからず。
20代前半の頃から、あまりにも毎日が苦しすぎて、事あるごとに心療内科を駆け回っていたわたし。
5年ほど前に、やっと、根本の問題を見つけ出してくれたある方との出会いがあるまで、わたしはどこの心療内科に行ってもカウンセラーさんに会いに行っても、
何も問題ないです。ただ脳が疲れているだけでしょう。
と決まって言われ、決して、今治療している「複雑性PTSD」と言われることももちろんなく、
かと言って、
症状はどう考えても鬱のようにキツかったのに、
鬱でもないなぁ。と言われていたので、
じゃあこの苦しさはなんなのよ!
と発狂しそうなほど頭は無茶苦茶で、診断名もつかないのに事あるごとに
(主に、一つの恋愛が終わった後の凹みが毎回すごかった)
病院に助けを求めようと考える自分が、これはわたしの弱さということなのか?と、もう心の底から意味が分からず自分を責めるしかない日々を送っていました。
根本の問題を言い当てていただいた5年前。
その瞬間に、その日を境に、わたしは、
花が見えるようになりました。
どういうことかというと。
もちろん、目は見えており、それまでも、自分の目には花は映っていたのですが。
花の綺麗さ、美しさが、ハッキリしっかりと心から分かるぐらいに、五感が戻った
ということが起こったのでした。
つまりは、それまで、根本の問題を言い当てて頂くまでのわたしは、
何かを見て、心から美しい!と思う、本来の自分に備わっていた感覚がぐちゃぐちゃに潰され機能しなくなっていたほど、本来の様々な機能が正常に働いていなかったのでした。
もちろん当時は、そのような問題が自分にあるとは当たり前分かっておらず、自分はただただ冷酷な人間なのだと思い、そのような自分をまた責めていました。
人生の全てが変わった日。に、わたしは、子供の時以来に初めて花を心から美しいと思え、当時住んでいた実家の飼い犬ヒラリーのことも、心から愛でて可愛いと思えるようになったのでした。
今では、嘘偽りなく堂々と、
わたしは花が好きです!動物も大好きです!
と言える、生まれた頃には持っていたはずの感覚を取り戻した自分に戻りました。
変容とは。他の誰かになることではなく、本来の自分の姿に還っていくことを言いますね。
花が見えるようになった日。
これは、ちょと話が上手くできすぎているのですが本当で。
その、わたしの根本の問題を言い当ててもらった日は、
8月7日。花の日なのでした。(本当だよっ!笑)